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世界裁判放浪記
¥2,420
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とある法律事務所に勤めていた弁護士は、あるとき世界各国放浪の旅にでる。 目的の1つは裁判傍聴。 訪れる先々で法廷へ赴き、傍聴したその国は30カ国。各国で出会う魅力的な人々や文化、緊張感漂う法廷内外の様子、裁く者・裁かれる者たちの人間模様を、ときに弁護士、ときに旅人の視点でみずみずしく描く。番外編として東京地方裁判所での裁判員裁判をおった迫真のルポも収録。 [出版社より] 「古今東西、人のいるところどこにでも『裁判』はある。傍聴席から見たそれぞれの国は人間臭く、その細部(ディテール)を辿っていけば、世界はいまだに広い。『当たり前のことは当たり前』でなくなるのが、旅。その道をまっすぐに進む原口さんは、ひたすらすがすがしい」 ——辻山良雄[書店「Title」店主] 著 者|原口侑子 出版社|コトニ社 定 価|2,200円+税 判 型|四六変型判・仮フランス装 頁 数|344 ISBN|978-4-910108-07-0 初 版|2022年03月 Contents 第1部 ユーラシア(その一) 1 ユーラシアの交差点でーートルコ共和国[イスタンブール] 2 時間の降り積もった旧司法宮ーーフランス共和国[パリ] 3 裁判所の一歩手前ーーバングラデシュ人民共和国(その一)[ダッカ] 番外編 2009年、東京地方裁判所ーー日本(その一)[東京] 第2部 アフリカ(その一) 4 裁判所を歩き始めるーーエチオピア連邦民主共和国[アディスアベバ] 5 遠い場所、最高裁という場所ーーケニア共和国[ナイロビ] 6 近い場所、青空裁判ーーマラウイ共和国[リロングウェ] 7 裁判メモは時を越えるのかーータンザニア連合共和国[タンガニーカ/ザンジバル] 第3部 アフリカ(その二) 8 歴史と秩序/何がどこまで虚構なのかーールワンダ共和国[キガリ/ブタレ]/ブルンジ共和国[ブジュンブラ] 9 スワジ人の「作法」ーーエスワティニ王国(旧スワジランド王国)[マンジニ] 10 死の谷に住まう、アフリカ人裁判官とスプリングボックスーーナミビア共和国/カラハリ砂漠の国々[ウィントフック/ヨハネスブルク] 番外編 2020年、東京地方裁判所ーー日本(その二)[東京] 第4部 ユーラシア(その二) 11 裁判所からの帰り道ーーバングラデシュ人民共和国(その二)[ダッカ] 12 法廷に透明な箱ーーイタリア共和国[トリノ] 第5部 北太平洋と南米 13 太平洋のへそに法廷通訳ーーアメリカ合衆国[ハワイ州] 14 「正義の女神」と裁判中継ーーブラジル連邦共和国[ブラジリア] 番外編 裁判員裁判、覚せい剤密輸事件ーー日本(その三)[東京] 第6部 ユーラシア(その三) 15 光射すコートハウスーーブルガリア共和国[ソフィア] 16 初夏のロシア人にあてられてーーロシア連邦[サンクトペテルブルク] 17 四川の流儀ーー中華人民共和国[成都] 18 川の国の判決を読んでーーバングラデシュ人民共和国(その三)[ダッカ] 第7部 南太平洋 19 裁判所から泳ぎ出るーーサモア独立国[アピーア] 20 島内の流儀、世界の流儀ーーフィジー共和国[ヤサワ諸島/ラウトカ] 21 権利の所在と神話ーーニュージーランド[クライストチャーチ] 22 世界の交差点に住まう非トンガ人裁判官とクジラーートンガ王国[トンガタプ/ハアパイ] 番外編 「正解」と判決ーー日本(その四)[東京] エピローグ Author 原口 侑子 Yuko Haraguchi 東京都生まれ。日本法弁護士。東京大学法学部卒業、早稲田大学法科大学院修了。弁護士を休業中に各地を転々とし、アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に124カ国訪問。現在は主にアフリカの司法制度調査プロジェクトに従事している。
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未来派 百年後を羨望した芸術家たち
¥3,960
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なぜ百年後を羨望するか? 私たちは、なぜ未来に憧れ、そして失敗するのか。 20世紀、そして21世紀における文化・政治・テクノロジー・広告といったさまざまな人間活動の萌芽であった芸術・社会運動「未来派」。 その「未来派」の全容に、宣言・運動・詩法・建築・ネットワーク・ダイナミズム・音楽・ファシズム・起源という9つの切り口で迫り、現代における「未来観」の再考をはかる。 哲学者・美術批評家の多木浩二がイタリアで渉猟した膨大な書物や資料をもとに書いた渾身の遺作。 ◎本書の特色 1.芸術・社会変革運動「未来派」について書かれたモノグラフ。 2.「未来派」にかかわる絵画・彫刻・建築などの図版約120点を収載。 3.「未来派」の数ある宣言文の中からとくに重要な11篇をイタリア語とフランス語から翻訳し収録。 [出版社より] 著 者|多木浩二 出版社|コトニ社 定 価|3,600円+税 判 型|A5変型判・並製 頁 数|352 ISBN|978-4-910108-05-6 初 版|2021年06月 Contents 第一章 未来派という現象 1 始動――『ポエジア』から『フィガロ』へ 2 運動――すべては動く、すべては走る、すべては変わる 3 詩法――人間の言葉を変える 4 建築――あたらしい都市 5 宣言――羽のついた「ことば」が世界を飛びまわる 6 ダイナミズム――未来派がもたらす概念 7 音楽――騒音が世界を変える 8 ファシズム――全体主義の出発点 9 起源――マリネッティの感受性と詩的思考 第二章 未来派ギャラリー 第三章 機械・ファシズム、そして人間 いまを生きる人間の義務/森鷗外と未来派/社会の変革を望んだ芸術運動/羨望される人間になりそこねた私たち/システムと統治権力が日常を覆い尽くす/「未来」の宿命の端緒をひらいた未来派/未来への待機/無力感が未来派というかたちとなってあらわれる/「戦争こそ世界の唯一の健康法(衛生法)だ」/芸術の宿命/未来派の悲惨さ/人間の思想は機械からは生まれない/現在という幸福は未来を羨望しない/未来派を媒介に全体主義を考える/日本の破局の水脈/科学と芸術と言葉を繋ぎ合わせる 付録 未来派宣言の数々 1 未来派創立宣言 2 未来派画家宣言 3 未来派絵画技法宣言 4 未来派音楽家宣言 5 未来派彫刻技法宣言 6 騒音芸術 7 シンタックスの破壊 脈絡なき想像力 自由になった言葉 8 音、騒音、そして匂いの絵画 9 未来派建築宣言 10 全世界の未来派的再建 11 未来派的映画 あとがきにかえて 多木陽介 Author 多木 浩二 Koji Taki 1928~2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。 現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998~2003)などもある。 1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。
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サッカー批評原論 ブラジルのホモ・ルーデンス
¥2,090
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政治・経済・テクノロジーの激流にのみこまれ自閉した「スポーツ」を救済する、闘争的・情熱的スポーツ文化批評。 ゲームの刹那への愛が、厳格な批評と並び立つ。 遊戯的なサッカーの未踏の領野へ、不可視の祝祭のスタジアムへ! スポーツをめぐる現実的な問題に触れながら、サッカーそしてスポーツを真に愛し、体験するための9つの原論――起源・伝播・儀礼・本能・陶酔・戦術・遊戯・時間・ファンダム――を展開。その〈理念〉と〈美学〉と〈遊び心〉を語る! [出版社より] 著 者|今福龍太 出版社|コトニ社 定 価|1,900円+税 判 型|四六変型判 頁 数|240 ISBN|978-4-910108-03-2 初版|2020年09月 Contents まえがき 前半 0 序論 「サッカー批評」とは世界批評である 1 起源論 身体のアルカイックな分節 2 伝播論 身体帝国主義の流れに抗して 3 儀礼論 サッカーをいかに「想像」するか 4 本能論 遊戯の消息、筋肉の機微 5 陶酔論 ドーピングの淵から ハーフタイム 後半 6 陶酔論[続] 身体の自然を愛すること 7 戦術論 互酬性のリズムに揺れながら 8 遊戯論 カーニヴァル、賭博、あるいはブラジルのホモ・ルーデンス 9 戦術論[続] サッカーにおける「第三のストラテジー」 10 ファンダム論 フットボール民衆神学 11 時間論 ピッチの上のニーチェ主義者 アディショナルタイム 「サッカー」が終焉する残照のなかで フチボールの女神への帰依を誓うこと 夜の祝宴 曲がった脚の天使たち あとがき *『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社)の目次・書籍構成を一新。本文を改訂し、新しい論考や写真・図版を多数加えた2020年完全版。 Author 今福 龍太 Ryuta Imafuku 文化人類学者・批評家。1955年生まれ。1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より「奄美自由大学」を主宰。サッカーやスポーツにも造詣が深く、サッカー・スポーツ関連著作に『スポーツの汀』『フットボールの新世紀』『近代スポーツのミッションは終わったか』(共著)など。そのほかの著書に『クレオール主義』『群島-世界論』『書物変身譚』『レヴィ=ストロース 夜と音楽』『ハーフ・ブリード』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(讀売文学賞)『小さな夜をこえて』『宮沢賢治 デクノボーの叡知』『ボルヘス伝奇集 迷宮の夢見る虎』など多数。
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「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?
¥2,200
作って、食べて、考える。 「私、結婚したら毎日違う料理を作るんだ!」ある先輩が発したこの言葉に誘われるようにして、文化人類学者は「家庭料理」というフィールドにおもむく。 江上トミ、土井勝、小林カツ代、栗原はるみ、土井善晴といった個性豊かな料理研究家たちの著作、「食べるラー油」ブームの火付け役となった生活情報誌『マート』、レシピ投稿サービス「クックパッド」。数々のレシピをもとに調理と実食を繰り返し、生活と学問を往復しながら家庭料理をめぐる諸関係の変遷を追跡する。 心を込めた手作りが大事なのか、手軽なアイディア料理が素晴らしいのか、家族がそれぞれ好きに食べる個食はなぜ非難されるのか、市販の合わせ調味料は「我が家の味」を壊すのか、レシピのデータベース化は何をもたらしたのか、私たちは暮らしを自由にデザインできるのか? 家庭料理をめぐる様々な問いと倫理が浮かびあがり、それらが互いに対立しながら部分的につながっていく。何らかの価値判断を押しだすのでもなく、それらをシニカルに論評するのでもない。日々の料理を作り食べること、それは暮らしという足下から私たち自身を考えることにつながっている。 [出版社より] 著 者|久保明教 出版社|コトニ社 定 価|2,000円+税 判 型|四六変型判 頁 数|216 ISBN|978-4-910108-01-8 初 版|2020年1月 Contents はじめに――毎日違う料理を作るんだ! 第一章 わがままなワンタンとハッシュドブラウンポテト 暮らし、見えない足下/美味しい時短/消費社会下の家庭料理/ゆとりの天才/静かな戦い 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(前半戦) 第1戦 昼の副菜「キューカンバーサラダ」×「自家製ピクルスミックス」 第2戦 昼の主菜「じゃが芋スパゲティ」×「スパゲッティミートソース」 第二章 カレーライスでもいい。ただしそれはインスタントではない 手作りと簡易化/村の味/毎日がごちそう/ねじれた継承/贈与の拠点 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(後半戦) 第3戦 夜の副菜「大根たらこ煮」×「じゃがいものニョッキ、レンジトマトソース」 第4戦 夜の主菜「食べるとロールキャベツ」×「煮込みれんこんバーグ」 第三章 なぜガーリックはにんにくではないのか? 正しい料理/脱構築の末路/欲求を知り、満たす/にんにくではダメなんです/「我が家の味」のデータベース/動物的消費の彼方/ホワイトキューブのもそもそメシ 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(最終戦) 第5戦 夜の汁物「なすとそうめんの汁」×「かぼちゃの冷たいスープ」 レシピ五番勝負を終えて おわりに――暮らしはデザインできるか? Author 久保明教 Akinori Kubo 一橋大学社会学研究科准教授。1978年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。博士(人間科学)。専攻は、文化/社会人類学。主な著書に、『ブルーノ・ラトゥールの取説ーーアクターネットワーク論から存在様態探求へ』(月曜社、2019年)、『機械カニバリズムーー人類なきあとの人類学へ』(講談社、2018年)、『ロボットの人類学ーー二〇世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015年)など。
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超看護のすすめ ナイチンゲールの復権とケアの哲学
¥2,640
看護の課題を、人文学の側から真摯に、そして平易に語りながら、患者と看護者のあいだに新たな関係を築く、〈超看護〉という新しいあり方について——。 「文化人類学・文学・哲学」と「ナイチンゲールの思想」とを同時に考え、〈看護とは何か〉、そして〈生きることと死ぬことの意味〉について語る。 また、精神的な病とナラティヴ(物語)の関係性をあきらかにするなど、これからの看護の未来をわかりやすい言葉でえがき、ますます喫緊の課題となっている〈医療と看護のあり方〉にあらたな側面から光をあてる。 看護を志す学生や看護への新しいアプローチを模索する看護師や研究者、そのほか今まさに看護の現場に直面し悩んでいる一般の方たちのための一冊。 [出版社より] 著 者|井村俊義 出版社|コトニ社 定 価|2,400円+税 判 型|四六変型判 頁 数|264 ISBN|978-4-910108-00-1 初版|2019年12月 Contents まえがき Ⅰ 「超看護」の論点 第1章 「看護の詩学」とナイチンゲール 第2章 「看護の脱構築」試論 第3章 「アメリカの看護」という遺産 第4章 「死」は恐ろしいことなのか? 第5章 「前近代」から学べるもの Ⅱ 「超看護」の感性 第6章 「地理的身体論」序説 第7章 「闇」が教えてくれる世界 Ⅲ 「超看護」の広がり 第8章 「里山看護」について 第9章 「信州伊那谷」から考える あとがき Author 井村 俊義 Toshiyoshi Imura 長野県看護大学准教授。 1964年、長野県諏訪市生まれ。慶應義塾大学文学部・法学部卒業。名古屋大学大学院国際言語文化研究科博士課程満期退学。専門は、文学・民俗学・文化人類学。主な著書に、『チカーノとは何か――境界線の詩学』(水声社、2019)、『エスニシティと物語り――複眼的文学論』(共著、金星堂、2019)、主な訳書に、マイケル・タウシグ『模倣と他者性――感覚における特有の歴史』(水声社、2018)など。