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ミステリヤ・ブッフ
¥1,047
仕事の成果はすべて、ここへ持ってきて下さい 1917年、十月革命。「認めるか、認めないか、そんな問題は私には存在しなかった。私の革命である」。24歳の詩人は、成就したばかりの革命のために「必要なことは何でもやる」意気込みで仕事にかかり、やがて三幕の戯曲を書き上げる。ユリウス暦の翌18年10月25日、演出家メイエルホリドと美術家マレーヴィチが革命一周年を記念して、この戯曲を舞台にかける……。翻訳家・小笠原豊樹の遺稿となった新訳版。谷川俊太郎序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] 「この大風呂敷なイメージの火砕流なみの言葉の速度、詩劇よりも言葉のサーカスと呼ぶほうがいいかもしれない」 ——谷川俊太郎[詩人] 「『ミステリヤ・ブッフ』を演ずる人、舞台にかける人、朗読する人、またこれを出版する人は、おのおの内容に手を入れ、自分たちの時代に合わせ、身近なものに、新しいものに作り変えてほしい」 ——マヤコフスキー[著者/詩人] 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|104 ISBN|978-4-907511-11-1 初版|2015年07月 Contents 一 言葉の速度(谷川俊太郎) 二 ミステリヤ・ブッフ 三 作者のメモ Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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人間
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ぼくは不死身だ 《そいつ/自由な人間が現れる/ほんとだよ/おれを信じてくれ!》と『戦争と世界』の終結部が告げるように、どうしても書かれねばならなかった、マヤコフスキー25歳の第四長詩。1905年の挫折した革命の影のなか、詩人はどんな叛乱も触れられない “万物の支配者” に復讐をいどむ。1917年の成就する革命寸前に書かれ、革命前マヤコフスキーの総決算となった長詩を、詩人・小笠原豊樹が遺した新訳でおくる。佐々木幹郎序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] 「マヤコフスキーは金権の化身のような男に恋人を奪われただけではない、自分の作品までがその男の単なるアクセサリーと化しているのを目撃しなければならない」 ——小笠原豊樹[訳者/詩人・翻訳家] 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|104 ISBN|978-4-907511-11-1 初版|2015年05月 Contents 一 マヤコフスキーという怪物(佐々木幹郎) 二 人間 三 訳者のメモ(小笠原豊樹) Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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俺は現役だ 超2000万部のベストセラー作法
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セールスの王者、ベトガーが最後に伝えたかったこと——。 真剣にやる――たよれるのは、これだけです。 2,000万部を突破し、もはやベストセラー機械と化した光文社「カッパの本」編集部の熱気を伝える、619の金言集。戦前の東京帝大に学び、大講談社から光文社社長へと累進しながらも、あくまで「播州の田舎出の非エリート」と反骨に徹した明治生まれの出版人の、部下を鼓舞する発言のかずかずが、若き、名もなき、金もなき、令和時代の編集企画者たちの胸いっぱいに鳴り響く。 [出版社より] 著 者|神吉晴夫[光文社代表取締役社長] 出版社|土曜社 定 価|1,998円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|224 ISBN|978-4-907511-74-6 初版|2020年06月 Contents まえがき 閻魔大王と問答 昭和24年 おれは現役だ 昭和25年 刀はちょっと抜け 昭和26年 『――だれが砲弾の前に立つか』 昭和27年 修飾語、形容詞をぬいた手紙や文章を書け 昭和28年 批評するとは、その代案を出すことだ 昭和29年 入念にやって、しかも失敗した場合は反省になる 昭和30年 この本には、必要なムダがない 昭和31年 「あっ、こりゃ、おれのことだ!」 昭和32年 かならずあたると決まってしまえば、おもしろくないよ 昭和33年 私は、熱っぽいやつには弱い 昭和34年 思いこみ、思いあがる危険 昭和35年 「ずれる」とは、お客さんにソッポをむかれることなり 昭和36年 アイデアがすぐれておれば 昭和37年 「まをぬく」と、「まがぬけている」とは 昭和38年 会議には、ユーモアが必要だ あとがき Author 神吉 晴夫 Haruo Kanki 光文社代表取締役社長。1901(明治34)年2月15日、兵庫県加古川市に生まれる。東京外語学校仏語部卒業後、東京帝国大学文学部仏文科に学ぶ。作家志望だったが、27(昭和2)年、大日本雄弁会講談社に入社。創業者・野間清治に「サムボディ」と高く評価され、雑誌編集以外の新規事業の部署で才能を発揮。キングレコードでは創作童謡のディレクター、商事部では滋養飲料「どりこの」の宣伝広告、出向しては報知新聞の販売拡張などで、はからずも「ビジネスと経営」のありかたを学習する。のち出版局児童課長に就任すると、文部省をはじめ陸軍省・海軍省そのほかの推薦図書をほとんど独占。44年に満州国新京特別市の康徳印書館創設のため出向を命ぜられ、滞満半年にして終戦。戦後、光文社創立に参画。既成の権威化した出版常識に挑戦し「創作出版」の旗じるしの下にかずかずのベストセラーを続々と世におくり、膨大な読者層を開拓した。「カッパ・ブックス」「カッパ・ノベルス」「カッパ・ビジネス」「カッパ・コミクス」(「鉄腕アトム」「鉄人28号」など)、週刊誌「女性自身」などを発行。
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戦争と世界
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ああ、とじて、とじて、新聞の目を 1914年7月、世界大戦の始まりを21歳の青年詩人は興奮して受け入れる。俄然立ちはだかる戦争の恐怖に、この目で確かめるべく義勇兵に志願するも、思想穏健を欠くとされ、不採用。やがて銃後のけがらわしさと殺戮の報道にうんざりした詩人は『戦争と世界』を書き上げる。戦中の1915年に書き始め、翌1916年に完成しながらも、当局の検閲で、革命による帝政ロシア崩壊まで世に出ることのなかったマヤコフスキーの第三長詩。町田康序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] 「気配、眼差し、衣服の感じ。完璧であった。写真の男は、自分が、パンクロッカーたるもの、外面と内面をかく衝突させるべし、と確信を抱きつつも描けないでいた像、そのものであった」 ——町田康[詩人・小説家] 「マヤコフスキーという一詩人の内部に凝縮した戦争は、ここですばらしい比喩の連発というか、むしろ古典的な詩句の大盤振舞いとなって世に現れた」 ——小笠原豊樹[詩人・翻訳家] 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|112 ISBN|978-4-907511-10-4 初版|2014年12月 Contents 一 ど阿呆が読むとき/読め、というとき(町田康) 二 戦争と世界 三 訳者のメモ(小笠原豊樹) Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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背骨のフルート
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よろしい! ぼくは出て行く! 《声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、ぼくは進む、美男子で二十二歳》と言い放ったその年に詩人は奇妙な夫妻と知る。のちに秘密警察 OGPU の工作員として働くことになるオシップとリーリャのブリーク夫妻である。詩人と妻の関係を知りながら、あろうことか、夫オシップは詩人の作品を一行50カペイカで買いとり、『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』を出版する。『フルート』初版600部が世に出たのは16年2月。来る5月に詩人は《ロシア式ルーレット》を実行し、さいわい、弾丸は不発に終る……。高橋睦郎序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] 「全体が不実の恋人リーリャへの「弾丸の終止符」であるとともに、ソビエト政府と人民と自分との三角関係の終止符への予告ともなっている」 ——高橋睦郎[詩人] 「一九一六年。これはマヤコフスキーにとって惨憺たる一年だった。……殺戮の報道にうんざりした詩人はこんな作品を書いている……。《モスクワ市に言ってやってください、/勝手に死守しやがれって!/そんな必要ないんだ!/武者ぶるいはやめときな!》」 ——小笠原豊樹[詩人・翻訳家] 「革命の詩人の挑発的な躍動感を伝えてすばらしい」 ——野村喜和夫[読売新聞、2014年11月18日] 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|64 ISBN|978-4-907511-03-6 初版|2014年10月 Contents 一 弾丸の終止符(高橋睦郎) 二 背骨のフルート 三 訳者のメモ(小笠原豊樹) Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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大人は判ってくれない
¥1,430
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「先生、実は母が……死にました」 やさぐれ少年がその場しのぎで吐いた嘘の、大き過ぎる代償 そして、疾走――ゆけゆけアントワーヌどこまでも! ー 1959年パリ。映画青年トリュフォーが、自身の不良少年時代をモチーフに撮った作品『大人は判ってくれない』が、世界中の映画を一変させた! 今をときめくグザヴィエ・ドランが長編第1作『マイ・マザー』で、巨匠スティーヴン・スピルバーグが学生時代の作品でオマージュを捧げた、ヌーヴェル・ヴァーグ作品の金字塔。観る者をナイーヴな童心に帰し、魅了してやまない、優しくて力強い傑作青春映画だ。そんな本作の魅力を “言葉” から味わう一冊。 [出版社より] 「『大人は判ってくれない』は、ロッセリーニの『戦火のかなた』以来もっとも感動した映画です。これを見てほかの映画を見るのがいやになり、見るたびにこの映画を思いだしました」 ——植草甚一[評論家] (日本初公開時のプレスブックより) 「我がフランソワ君/君の映画は傑作だ/奇跡のようなものだ/親愛のキスを送る」 ——ジャン・コクトー[芸術家] (トリュフォーに送った讃辞より) 「この映画に出会い、生まれて初めて恋に落ちた。お返しに愛されたとも感じた。というのも、物語の中で描かれていたのはほとんど、僕自身の子ども時代のことだったから(もちろん微妙な誤差はあるけれど)。「いったい自分の家のどこに隠しカメラが仕込まれていたんだろう」と思ったのは、僕だけじゃないはずだ」 ——グザヴィエ・ドラン[映画監督] (映像ソフトレーベル・クライテリオンのウェブサイト内記事「Xavier Dolan’s Top 10」より) 著 者|フランソワ・トリュフォー、マルセル・ムーシー 訳 者|山田宏一 出版社|土曜社 定 価|1,300円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|82 ISBN|978-4-907511-77-7 初版|2020年6月 Contents 映画と人生が出会うとき(山田宏一書き下ろしエッセイ) 『大人は判ってくれない』シナリオ採録 スタッフ・キャスト タイトル 学校のアントワーヌ アントワーヌの家 道草 ウソつきアントワーヌ 家出 操行ゼロ バルザック タイプライター泥棒 少年鑑別所 脱出 音楽がアントワーヌに寄り添い続けるわけ(世武裕子インタビュー) 名所巡礼アドレス帳 in Paris Author フランソワ・トリュフォー François Truffaut 映画監督。1932年、パリ生まれ。父は不明で里子に出されたのち、33年に母が結婚。おもに母方の祖母に育てられ、10歳から両親と同居。16歳のとき、シネクラブ「映画中毒者集会」を設立。のちに自身の “精神的父親” となる、映画批評家のアンドレ・バザンと知り合う。失恋がきっかけで軍隊に入るも脱走し、軍刑務所付属の精神病院に収容される。バザンの力添えで除隊を認められ、彼の推薦で53年から『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を執筆。59年に長編第1作『大人は判ってくれない』を完成させ、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として一躍注目を集めた。同作主人公のその後を描いた続編として『アントワーヌとコレット』(62/オムニバス映画『二十歳の恋』に収録された短編)、『夜霧の恋人たち』(68)、『家庭』(70)、『逃げ去る恋』(78)があり、まとめて「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズと呼ばれている。その他の代表作に『あこがれ』(57/短編)、『ピアニストを撃て』(60)、『突然炎のごとく』(61)、『華氏451』(66)、『恋のエチュード』(71)など。84年にパリ近郊ヌイイ=シュル=セーヌにて、悪性脳腫瘍のため死去。 マルセル・ムーシー Marcel Moussy 脚本家、映画・テレビドラマ監督、作家。1924年、アルジェ生まれ。テレビドラマの脚本でトリュフォーから注目され、『大人は判ってくれない』の脚色・台詞執筆の依頼を受ける。トリュフォーの次作『ピアニストを撃て』にも着手したが、リアリズムに固執するムーシーとトリュフォーの意見が合わず、ムーシーは途中で降りた。99年、カーンにて死去。映画監督作に『赤と青のブルース』(60)、『Trois hommes sur un cheval』(69/日本未公開)。またルネ・クレマン監督『パリは燃えているか』(66)のフランス語追加台詞、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『囚われの女』(68)の共同脚本も手掛けた。 Translator 山田 宏一 Koichi Yamada 映画評論家。1938年、ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。64~67年、パリ在住。その間『カイエ・デュ・シネマ』誌同人。著書に『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』『増補 トリュフォー、ある映画的人生』『フランソワ・トリュフォー映画読本』『フランソワ・トリュフォーの映画誌』『トリュフォーの手紙』『トリュフォー 最後のインタビュー』(蓮實重彦との共著)など。訳書に『ある映画の物語』『子供たちの時間』(ともにトリュフォー著)『トリュフォーによるトリュフォー』など。写真集に『NOUVELLE VAGUE』。87年、フランスの芸術文化勲章シュバリエ受勲。91年、第1回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞(『トリュフォー、ある映画的人生』)。2007年、第5回文化庁映画賞(映画功労表彰部門)。17年、第35回川喜多賞受賞。 ー Saturday Cinema Books とは フィルム、VHS、DVD……かつて映画に付いて回った “かたち” が今失われつつある。それにともない、どれほど素晴らしい作品にも、コンスタントに劇場上映・インターネット配信され続けない限り、その存在が世間から忘れ去られうる危険がつきまとう。だからこそ、名作映画を本という “かたち” で残そう。そして、後世に伝えていこう。20世紀の作品を中心に、ご機嫌な映画の情報を掘り起こし、未来へつなぐ映画書レーベル。
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リガ案内 162通のインヴィテーション
¥2,190
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ラトビアのことを知らない方もどうぞ。 00年代を通じて、北欧・東欧の各国を発見し楽しんできた、好奇心あふれる日本の旅行者たちへ。次なる目的地として、バルト三国きっての都、世界遺産の街リガの魅力をご紹介します。案内役は、地元リガで活躍する建築家・起業家・デザイナー・詩人・哲学者などのリガっ子たち。ロンドン、ベルリン、モスクワはじめヨーロッパ各地で評判の定番ガイドブックが本邦登場。 [出版社より] 「土曜社はリガしか出してない。そのひいきっぷりがいい」 ——能町みね子「SPRiNG」2014年11月号 「地元リガっ子がコアでホットな情報とさりげないつぶやきで162のスポットを紹介したフルカラーの本は、大人こそ心を震わされる旅の誘いにあふれている」 ——「@ブックポート」220号 「『リガ案内』に導かれるままに5泊7日、妻と二人でリガ旧市街~新市街を彷徨してきました。丸っこいリガの石畳は歩くほどに愛おしく、一見すると無愛想なリガっ子も実はとても優しくて、ちょっとシャイなだけなんだと分かるころには、異邦人である私たちを偏見もなく受け入れてくれていることを感じました」 ——井上喜雄(写真家) 著 者|アルタ・タバカ 訳 者|菅原彩・小林まどか 出版社|土曜社 定 価|1,991円+税 判 型|ペーパーバック判/オールカラー 頁 数|192 ISBN|978-4-9905587-3-4 初版|2012年6月 Contents 旧市街 リガ市街 モスクワ郊外 アンドレイサラ キープサラ島 パールダウガヴァ 郊外とユールマラ おわりに 付録 ラトビア語のあいさつとラトビア略史 索引
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ズボンをはいた雲
¥1,047
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ぼくの精神には一筋の白髪もない! 戦争と革命に揺れる世紀転換期のロシアに空前絶後の青年詩人が現れる。名は、V・マヤコフスキー。「ナイフをふりかざして神をアラスカまで追い詰めてやる!」と言い放ち、恋に身体を燃やしにゆく道すがら、皇帝ナポレオンを鎖につないでお供させる。1915年9月に友人オシップ・ブリークの私家版として1050部が世に出た青年マヤコフスキー22歳の啖呵が、世紀を越えて、みずみずしい新訳で甦る。入沢康夫序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] Recommend 「きみはマヤコーフスキイを読んだことがあるかい? そのマヤコーフスキイが廿二歳のとき、《ズボンをはいた雲》という詩を書いたのさ、そして廿二歳ということの意味をかたっているんだ、それを知っているかい?」 ——大江健三郎『日常生活の冒険』より 「小笠原訳で目の前に現れた『ズボンをはいた雲』は、私のささやかな先入見を微塵に打ち砕き、底知れぬ魅惑の力で、次へ次へと行を追わせた」 ——入沢康夫(詩人) 「全く、こういうものは空前絶後というか、一九一五年当時の「二十二歳の美男子」マヤコフスキーにのみ発生した一種の奇跡みたいな現象で、それ以前には決してなかったし、それ以後の二十世紀が二十一世紀に変っても、当分はあり得ないのではあるまいか」 ——小笠原豊樹(詩人・翻訳家) 「革命の詩人の挑発的な躍動感を伝えてすばらしい」 ——野村喜和夫(読売新聞、2014年11月18日) 「ランボーが既成の言葉の秩序を組み替えて、破壊し、新たな幻惑を生んだように、マヤコフスキーもまた、時代の停滞した空間をかき乱し、予見的な詩人として登場する」 ——世界日報(2014年10月12日) 「四十七年前にこんなかっこいい啖呵が切れたらどんなによかっただろう、と老いていささかの白髪と優しさのぼくは思う」 ——池澤夏樹(岩波書店「図書」2014年9月号) 「若気のいたりと自信と性欲と傲慢さと虚勢と、恋と自負と全能感と希望がとにかく全開ですばらしい」 ——山形浩生(新・山形月報、2014年6月24日) 「日本の詩は近代以降、このようなユーモアと諧謔の精神を失ったまま袋小路に入っているから、もう一度、彼の仕事をふり返る必要がある」 ——佐々木幹郎(熊本日日新聞、2014年6月22日) 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 序 文|入沢康夫 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|96 ISBN|978-4-907511-02-9 初版|2014年5月 Contents 一 マヤコフスキー『ズボンをはいた雲』讃(入沢康夫) 二 ズボンをはいた雲 四畳み聖像 三 訳者のメモ(小笠原豊樹) Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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悲劇ヴラジミール・マヤコフスキー
¥1,047
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きみたちにわかるかな、なぜぼくが嘲りの嵐のなか、平然と、自分の魂を大皿に載せてモダンな食事の席へ運ぶのか——。 ラフマニノフの退屈から逃げ出したマヤコフスキーと友人ブルリュックが意気投合した記念すべき夜。声を上げたロシア未来派の旗手として、奇矯な言動で「社会の趣味をなぐる」青年マヤコフスキーが20歳で書き下ろした第一戯曲。演出・主演を詩人自身がつとめ、ルナパルク劇場をすずなりにした観衆に「穴だらけになるほど口笛で野次られた」問題作。商業出版の道なく、わずか500部が友人ブルリュックの手で世に出た不穏な二幕物の悲劇がここに。平田俊子序文。日本翻訳家協会特別賞。 [出版社より] Recommend 「悲劇全体が置換と変身のめまぐるしい連続である」 ——アンジェロ・リペッリーノ(詩人) 「この悲劇の題名はヴラジーミル・マヤコフスキーだ。この題名は、詩人が作者ではなく詩の対象として、一人称で世界に呼びかけるという、天才的な単純さを発見したことを、背後に秘めていた。この題名は、作者の姓名ではなく、作品の内容を示していたのである」 ——ボリス・パステルナーク(詩人) 「最近、発見した一冊。このような本が新刊書店に並んでいることの奇跡。それだけで嬉しくなる」 ——クラフト・エヴィング商會(代官山蔦屋書店「クラフト・エヴィング商會の世界」) 「革命の詩人の挑発的な躍動感を伝えてすばらしい」 ——野村喜和夫(読売新聞、2014年11月18日) 「詩的で情熱的な言葉の熱泉の横溢があり、奇怪な登場人物のさなかに主人公のマヤコフスキーが屹立している」 ——ウラゲツ☆ブログ 著 者|ヴラジミール・マヤコフスキー 訳 者|小笠原豊樹 出版社|土曜社[マヤコフスキー叢書] 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|96 ISBN|978-4-907511-02-9 初版|2014年7月 Contents 一 水を越えて、時を越えて(平田俊子) 二 悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー 三 訳者のメモ(小笠原豊樹) Author ヴラジーミル・マヤコフスキー Влади́мир Влади́мирович Маяко́вский ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。 戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。 Translator 小笠原 豊樹 Toyoki Ogasawara 詩人・翻訳家。1932年、北海道虻田郡東倶知安村ワッカタサップ番外地(現・京極町)に生まれる。東京外国語大学ロシア語学科在学中にマヤコフスキー作品と出会い、52年に『マヤコフスキー詩集』を上梓。56年、岩田宏の筆名で第一詩集『独裁』を発表。66年『岩田宏詩集』で歴程賞。71年に『マヤコフスキーの愛』、75年に短篇集『最前線』を発表。露・英・仏の3か国語を操り、『ジャック・プレヴェール詩集』、ナボコフ『四重奏・目』、エレンブルグ『トラストDE』、チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』、ザミャーチン『われら』、カウリー『八十路から眺めれば』、スコリャーチン『きみの出番だ、同志モーゼル』など翻訳多数。2013年出版の『マヤコフスキー事件』で読売文学賞。14年12月、マヤコフスキーの長詩・戯曲の新訳を進めるなか永眠。享年82。
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3着の日記 memeが旅したRIGA
¥2,057
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2013年秋、meme(ミーム)の3着の白いドレスがラトビア共和国の首都リガへ旅立ちました。滞在中、白いドレスに、memeが日記を記し、出会った人々の手でドローイングが描き足され、リガの街を記憶する「3着のダイアリードレス」ができあがります。このダイアリードレスをめぐる旅の記録を、それぞれが作家としても人気のmemeが、絵と写真でつづります。 [出版社より] Recommend 「最もご一緒したかった旅。桃井、好物の一冊です。RIGAを体験しながら恋をして、絵が生まれ、絵は人生のように旅して行ったんだね。 ――桃井かおり 「三者三様の視点がおもしろく、自分も知らない国へ旅に出たい気持ちにかられます」 ――酒井景都「SPRiNG」2014年11月号 「普通のガイドブックとはまったく違う、meme を通して見える新鮮なリガ」 ――金子容子(代官山蔦屋書店雑誌コンシェルジュ) 「旅をしながら心に残った断片をスクラップするように、絵や写真で自由に(ほんとうに自由に!)表現したユーモラスな記録が、旅先のワクワクとした空気を運んでくれる」 ――長崎タウン誌「ながさきプレス」2014年8月号 著 者|meme[ひがしちか・塩川いづみ・前田ひさえ] 出版社|土曜社 定 価|1,870円+税 判 型|四六判 頁 数|128 ISBN|978-4-907511-07-4 初版|2014年7月 Author ひがしちか Chika Higashi 日傘作家。1981年、長崎に生まれる。2010年より一点物の日傘のブランド《コシラエル》Coci la elle を主宰。独特の色彩感にユーモアを織り交ぜた斬新で詩的な表現で展開。 塩川いづみ Izumi Shiokawa イラストレーター。1980年、長野に生まれる。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。広告、雑誌、商品などのイラストレーションを手がけるほか、ドローイング作品の展示発表も行う。 前田ひさえ Hisae Maeda イラストレーター。1978年、和歌山に生まれ、横浜で育つ。多摩美術大学卒業。雑誌挿絵や書籍装画を中心とした仕事のほか、個展での作品発表も定期的に行っている。クリエイティブユニット《クビーナ》kvina のメンバーとしても活動。 ー meme(ミーム)のこと 2012年4月に結成。「日々つづる絵は日記である」ということを軸にした、絵と布にまつわるプロジェクト。さまざまなものと出会い、変容しながら表現をしている。 *meme とは、ある学者が定義した、人々の間で心から心へとコピーされる情報のことを意味します
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クックズ・ツアー
¥2,035
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バルからバルへと渡りあるき、飲んでは食べ、食べては飲み、かたっぱしから店を襲撃していく——。 「こんなアイデアはどうかな?」私は編集者にいった。「世界中を旅して、好きなことをやる。高級ホテルにも泊まれば、おんぼろの宿にも泊まる。風変わりでエキゾチックな旨い料理を食べ、映画で見たようなかっこいい体験を試みながら、究極の食事を探す。どうだい?」……。前作『キッチン・コンフィデンシャル』から一年、人気絶頂の米国人シェフが、悪魔(テレビ)に身を委ね、究極の食事を求めて世界をゆく。東京・熱海篇も収録。前作に続いて人気の野中邦子訳でおくる。 [出版社より] 著 者|アンソニー・ボーデイン 訳 者|野中邦子 出版社|土曜社 定 価|1,850円+税 判 型|四六判 頁 数|368 ISBN|978-4-907511-08-1 初版|2015年9月 Recommend 「「食」への飽くなき探究心のみを原動力にたどり着いた「究極の食事」たちのなんと美味しそうなことか!」 三田修平(「オッジ」2016年1月号) 「たくましい文体と確かな見識をそなえ,茶目っ気ばかりでなく著者の好みもよく伝わってくる」 ——ニューヨーク・タイムズ 「まるで「地獄の黙示録」の上映を見るかのようだ……。解体された豚の開口部を人の手がまさぐる様は,お茶の間に届く本紙では描写するだに忍びない。食べ物が読者を圧倒する」 ——ロサンゼルス・タイムズ 「一個の胃袋とお茶目な知性を抱えた一人ぼっちの地上部隊が世界各地をゆく」 ——ピープル Contents 愛するナンシーへ はしがき 1章 生き物が食べ物に変わるとき 2章 思い出のビーチへ 3章 火傷を負った男 4章 男の領分/女の領分 5章 ウォトカの正しい飲み方 6章 特別料理 7章 死のハイウェイ 8章 東京再訪 9章 パイリンへの道 10章 燃えるイギリス 11章 コックたちの故郷 12章 チャーリーはサーフィンができるか? 13章 ウェストコースト 14章 ハギスは君臨する 15章 精力絶倫 16章 パーフェクト 訳者あとがき Author アンソニー・ボーデイン Anthony Bourdain シェフ、作家。1956年、ニューヨーク市に生まれる。コックを志し、米ヴァッサー大学を中退。78年に米国料理学院(CIA)を卒業。サパークラブ、ワン・フィフス・アヴェニュー、サリヴァンズなどニューヨーク市内の有名レストランで働き、98年にブラッスリー・レアール総料理長就任。その間、95年に犯罪小説『シェフの災難』、97年に『容赦なき銃火』を発表し、執筆活動を開始。99年、ニューヨーク外食業界の内実をえぐる記事「読む前に食べるな」をニューヨーカー誌上に発表し話題を呼ぶ。 反響冷めやらぬ2001年の自伝的実録『キッチン・コンフィデンシャル』は、28ヶ国語以上に翻訳され、各国でベストセラーとなる。翌02年、米フードネットワークの番組「A Cook’s Tour」に出演し、完璧な一皿を求めて世界を旅する。この体験を綴った『クックズ・ツアー』が再びベストセラーに。料理人が各国を旅し食するという企画は人気を博し、その後「ノー・リザヴェーション」No Reservasions 、「レイオーバー」The Layover とテレビ出演が続く。現在は、米CNNの旅行番組「パーツ・アンノウン」Parts Unknown に出演するほか、米ABCの料理対決番組「ザ・テイスト」The Taste 審査員も務める。妻オッタヴィア、娘アリアーネとともにニューヨーク市在住。 Translator 野中邦子 Kuniko Nonaka 翻訳家。1950年、東京に生まれる。多摩美術大学絵画科卒業。出版社勤務を経て翻訳家に。主な訳書に、A・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』『クックズ・ツアー』、R・ヘンライ『アート・スピリット』、A・ウォーホル『ウォーホル日記』(中原佑介共訳)、J・サックス『貧困の終焉』(鈴木主税共訳)、同『地球全体を幸福にする経済学』、ソロスほか『世界は考える』がある。
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フランクリン自伝
¥2,035
アメリカの町の印刷屋のおじさんの話。 植字工として世に出たフランクリンは、持ち前の植字・印刷術と文筆の力量をもとに印刷業から新聞へ、出版へと事業を広げ、さらに社会改良に乗り出していく。人任せを嫌い、実務をいとわぬ「善きアメリカ人」の母型を伝える18世紀の古典を、弱冠15歳で渡米し、戦前の米国を知る数少ない哲学者・鶴見俊輔の翻訳でおくる。 [出版社より] 著 者|ベンジャミン・フランクリン 訳 者|鶴見俊輔 出版社|土曜社 定 価|1,850円+税 判 型|四六判 頁 数|368 ISBN|978-4-907511-13-5 初版|2015年7月 Recommend 「十八世紀のアメリカの町の八百屋のおばさん、肉屋のおじさんがくつろいで話す時に、こういうことを教えてくれただろうと思うような人生の知恵をフランクリン自伝は、私たちにあたえる」 ——鶴見俊輔 「デール・カーネギーは、ある晩教室で一冊の本を手にしながら、「すべての人がこの本を読むといいんだが。しかも数回読みかえせばね……」と語りだした。本の名は『ベンジャミン・フランクリン自伝』といった」 ——フランク・ベトガー(『熱意は通ず』より) 「去年の今頃はフランクリンの自叙伝を日課のように読んだ。横文字の小さい字はことに読みなれんので三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら読んだのであるが、得た所の愉快は非常に大なるものであった。費府(フィラデルフィア)の建設者とも言うべきフランクリンが、その地方のために経営していく事と、かつ極めて貧乏なる植字職工のフランクリンが一身を経営していく事と、それが逆流と失敗との中に立ちながら、着々として成功していく所は、何とも言われぬ面白さであった」 ——正岡子規(『病牀六尺』より) 「およそ、私はフランクリンと正反対の人間なので、かえって、興味があるのかもしれない」 ——小田実 Contents 自伝 自伝の続稿 解説(鶴見俊輔) 『貧しいリチャードの暦』から 憲法会議における演説 年譜 三つの自伝(小田実) あとがき(鶴見俊輔) Translator 鶴見俊輔 Shunsuke Tsurumi 哲学者。1922年、東京に生れる。42年、ハーヴァード大学を卒業。交換船で帰国。戦中は海軍軍属としてジャカルタで勤務。戦後、46年に雑誌『思想の科学』を創刊。59年〜62年『共同研究・転向』全三巻を発表。60年、強行採決・安保改定に反対し、「声なき声の会」に参加。65年、小田実らと「ベ平連」を結成し、ベトナム戦争に反対。米軍脱走兵支援を開始。著書『戦時期日本の精神史』、『期待と回想』ほか。
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熱意は通ず
¥1,650
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セールスの王者、ベトガーが最後に伝えたかったこと——。 本書が伝える13の行動原理を用いた著者は、プロ野球の落伍者から、いちやく、全米最高給のセールスマンにのぼりつめる(本書など3冊のベストセラーという、おまけも付いていた)。ベトガーの行動術は、明朗簡潔、元手も不要。よりよい暮らしを求める気持さえあれば、だれもが即座に試すことができる。なにしろ、印刷職人として身を立て、のち外交官に推され、さらに科学の分野でも文明に寄与した叩きあげの賢者ベンジャミン・フランクリンが編み出し、『人を動かす』『道は開ける』の著者デール・カーネギーとの出会いを経て著者がついに手にした、万古不易たる「成功の秘術」なのだ。1960年に発売されるやたちまち全米で人気を博し、早くも2年後には邦訳が、ベースボール・マガジン社の創業者として野球殿堂入りする故・池田恒雄氏の手で世に出た名著がここに。 [出版社より] 著 者|フランク・ベドガー 訳 者|池田恒雄 出版社|土曜社 定 価|1,500円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|224 ISBN|978-4-907511-09-8 初版|2014年11月 Recommend 「いいかねフランク君。きみはベンジャミン・フランクリンの「十三週間で成功する秘訣」を自分に適用しようと努力を積む間に、多くの人びとが四年間の学校生活で得る以上の「実際的教育」を身につけたと思うのだがね。きみは新しい種類の本、つまりフランクリンの思想を辛苦して実地に試みた男が初めて世に問う本を書くことができるだろう」 ——デール・カーネギー(『人を動かす』『道は開ける』) 「よくよく試してみて、あなたの著作はこの手のいかなる書物よりもセールスの現場で役に立つことがわかりました」 ——L・H・シングル(L・H・シングル商会会長) 「外交販売をになう人たちを鼓舞する点において、あなた以上の存在はない」 ——J・C・バリュー(ヴァージニア生命保険会社) 「わが社の営業部は、本書から強い刺激を得た。一冊の書物に営業部全体がここまで傾倒するとは思いもかけないことであった」 ——エディ・リッケンバッカー(イースタン航空社長) 「ベトガー氏の発想は、じっさい、大学で学んだことよりも、わたしの役に立っている」 ——クレイ・E・ロバーツ(タルサ青年商工会議所会頭) Contents まえがき 読者に 第一部 社長が会いたいといっている 比類のない風変わりなゲーム/プロ入りのきっかけ/三割打者への成長と大リーグ入り/ウィンゴを呼び寄せよう/社長が会いたいといっている/オガクズ行列/会社は目をまるくした/奇襲をかけろ/スマッツ将軍の話 第二部 いかにして私のラインアップを変えたか フランクリンの成功の秘密/秘密の成分/人生を十年長く延ばす方法/奇蹟は起こった/熱意を持って行動せよ/ニューオーリンズのやぶにらみ左腕投手/クリスティ・マシューソンの金的/いかにして世界観を変えたか/心の代数学/沈黙は成功のカギ/自己を律する/クソくらえ!/第一ラウンドで相手を叩きのめせ!/まず自分自身に支払え/精神病院への近道/うそ発見器/敵をなくす方法/きみは臆病者/アメリカ国民の第一の関心事/鉄砲撃ち宴会/すばらしい思いつき/カクテル・パーティの祈禱会/驚くべき国際行事 私からあなたへの手紙 私の一三信条 訳者あとがきにかえて 池田恒雄の一期一会(池田哲雄) Author フランク・ベトガー Frank Bettger 元大リーグ選手(登録選手名はフランク・ベッチャー)、保険外交員、ベストセラー作家。1888年、米国フィラデルフィアに生まれる。幼いときに父をなくし、体を鍛えるために野球を始める。中等教育で学業をあきらめ、配管工見習いとして家計を助ける。1907年、19歳で下部リーグのジョンズタウン球団に入団するも、ほどなく解雇され、地方リーグをさまよう。この経験から「熱心に取り組む」ことの大切さを学び、その後「張り切りベッチャー」として活躍し、09年に大リーグのセントルイス・カージナルス入団を果たす。腕の故障で13年に引退。同年結婚し、2年後に長男ライル誕生(のちに性格俳優として名をなす)。17年にフィデリティ保険相互会社に保険外交員として入社。最初の契約獲得に苦労するが、デール・カーネギーの弁論講座をきっかけに、成功への歩みを始める。保険契約を積み上げ、21年に同社の優績者が構成するリーダーズ・クラブ議長に選出。20年代から30年代にかけて、全米で最も高給をとるセールスマンとして活躍。39年、51歳で退職し、第二次大戦中カーネギーと講演旅行で全米をまわる。その間、6年をかけて『私はどうして販売外交に成功したか』を執筆。同書は49年に初版が世に出ると、通信販売だけで10万部を売るなど営業マンのバイブルとして読まれ、17の言語に翻訳される不朽の名著となる。デール・カーネギーは「対人ビジネスにおいて、彼以上にすぐれた教師はない」とたたえた。60年に米国建国の父ベンジャミン・フランクリンの行動原則を伝える『熱意は通ず』を出版。81年逝去、享年93歳。 Translator 池田 恒雄 Tsuneo Ikeda ベースボール・マガジン社創業者、野球殿堂特別表彰者。1911年、新潟県北魚沼郡小出町(現魚沼市)に生まれる。31年、早稲田大学在学中の20歳で雑誌「野球界」編集部に加わり、37年から編集長を務める。終戦後の46年、月刊「ベースボール・マガジン」を創刊し、ベースボール・マガジン社を設立。51年にベトガー『優績者への道』をみずからの翻訳で出版。62年、同じくベトガーの『外交販売の秘訣』(『熱意は通ず』に改題)を再び翻訳し出版。「出版活動を通じて野球界の発展に貢献」し、89年に野球殿堂入り。2002年逝去、享年91歳。
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ブルースと話し込む
¥2,035
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読者はブルースがブルースとして歌い演奏される現場でブルースがどのようなものなのかということをたっぷりと、ブルースを体現するひとたちから語られる––。 1960年、英国人歴史家ポール・オリヴァーが米国で採録したブルースの生の声。世界から隔絶した、当時の米国南部の黒人音楽の躍動をつたえる本書は、80枚の貴重写真を添えて、5年後の65年にロンドンはカッセル社《ジャズ・ブック・クラブ》の一冊として世に出た。Pヴァイン・レコード創業者が半世紀ちかく座右に置く名著中の名著の本邦初訳。 [出版社より] 著 者|ポール・オリヴァー 翻 訳|日暮泰文 出版社|土曜社 定 価|1850円+税 判 型|四六判 頁 数|336 ISBN|978-4-907511-25-8 初版|2016年6月 Contents 序文 ミシシッピ州クラークスデイル ブルースと話し込む フィールド・トリップを終えて ブルースを話し込んだ人々 訳者あとがき Author ポール・オリヴァー Paul Hereford Oliver ブルース研究者、建築史家。1927年、英国ノッティンガムに生まれる。青年期からブルースの音源・書物の蒐集を開始し、51年に最初の署名記事を発表。以来『Blues Fell This Morning』(60年)『ブルースと話し込む』(65年)『Screening the Blues』(68年)『ブルースの歴史』(69年)『Blues Off the Records』(84年)などの著作を発表し、世界のブルース研究を牽引する。アフリカン・アメリカン・ミュージックの起源と発展をめぐるインタヴュー、現地調査、蒐集資料などは英国グロスターシャー大学が《ポール・オリヴァー・コレクション》として保管する。なお、97年には『Encyclopedia of Vernacular Architecture of the World』全三巻を発表するなど建築史への貢献も多大。 Translator 日暮 泰文 Yasufumi Higurashi 東京・新宿生まれ。慶大卒。中高生のときブラック・ミュージックに心酔し、1967年以降日本でのブルースへの関心を高めるために活動、音楽誌へ寄稿する。75年にブルース・インターアクションズ(Pヴァイン・レコード)を創業。著書に『ノイズ混じりのアメリカ――ブルース心の旅』(80年)『のめりこみ音楽起業』(2010年)『RL――ロバート・ジョンスンを読む』(11年)。
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キッチン・コンフィデンシャル
¥2,035
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レストラン業界のインテリジェンスとはーー。 CIA(米国料理学院)出身の異色シェフ(なにしろ2冊の傑作犯罪小説の著者でもあるのだ)がレストラン業界内部のインテリジェンスをあばく。2001年に初版が出るや、たちまちニューヨーク・タイムズ紙がベストセラーと認定し、著者は自分の名を冠したテレビ番組のホストという栄誉を得(その後離婚と再婚もした)、料理のセクシーさに目覚めた(血迷った)読者をしてかたぎの職場を捨て去りコックの門を叩かしめた(という実例を私は知っている)、男子一生の進退を左右してやまない自伝的実録。「月曜日に魚料理を食べるな」「グローバルのシェフナイフ一本あればいい」など、役立つ知見を含む極上の読み物を人気の野中邦子訳でおくる。 [出版社より] 著 者|アンソニー・ボーデイン 訳 者|野中邦子 出版社|土曜社 定 価|1,850円+税 判 型|四六判 頁 数|360 ISBN|978-4-907511-00-5 初版|2015年3月 Contents 前菜 シェフからひとこと ファーストコース 料理には魔力がある/料理はセクシーだ/料理は苦痛である/CIAの内側/見習いコックの逆襲 セカンドコース 料理をするのは誰だ?/キッチンからテーブルへ/プロのコックはいかにして料理をするか/オーナーズ・シンドロームとその他の症例/ビッグフット サードコース 一人前になる/ハッピータイム/未来のシェフ!/地獄の黙示録/荒野の日々/肉についてなにを知っているか/ピノ・ノワール――イタリア料理修業 デザート シェフの一日/スーシェフ/キッチンでの話題/その他の仲間たち/パン職人のアダム/人材について コーヒーと煙草 ブライアンの生き方/ミッション・トゥー・トーキョー/「で、シェフになりたいんだって?」――学位授与のスピーチ/キッチンはクローズしました 訳者あとがき Author アンソニー・ボーデイン Anthony Bourdain シェフ、作家。1956年、ニューヨーク市に生まれる。コックを志し、米ヴァッサー大学を中退。78年に米国料理学院(CIA)を卒業。サパークラブ、ワン・フィフス・アヴェニュー、サリヴァンズなどニューヨーク市内の有名レストランで働き、98年にブラッスリー・レアール総料理長就任。その間、95年に犯罪小説『シェフの災難』、97年に『容赦なき銃火』を発表し、執筆活動を開始。99年、ニューヨーク外食業界の内実をえぐる記事「読む前に食べるな」をニューヨーカー誌上に発表し話題を呼ぶ。 反響冷めやらぬ2001年の自伝的実録『キッチン・コンフィデンシャル』は、28ヶ国語以上に翻訳され、各国でベストセラーとなる。翌02年、米フードネットワークの番組「A Cook’s Tour」に出演し、完璧な一皿を求めて世界を旅する。この体験を綴った『クックズ・ツアー』が再びベストセラーに。料理人が各国を旅し食するという企画は人気を博し、その後「ノー・リザヴェーション」No Reservasions 、「レイオーバー」The Layover とテレビ出演が続く。現在は、米CNNの旅行番組「パーツ・アンノウン」Parts Unknown に出演するほか、米ABCの料理対決番組「ザ・テイスト」The Taste 審査員も務める。妻オッタヴィア、娘アリアーネとともにニューヨーク市在住。 Translator 野中邦子 Kuniko Nonaka 翻訳家。1950年、東京に生まれる。多摩美術大学絵画科卒業。出版社勤務を経て翻訳家に。主な訳書に、A・ボーデイン『キッチン・コンフィデンシャル』『クックズ・ツアー』、R・ヘンライ『アート・スピリット』、A・ウォーホル『ウォーホル日記』(中原佑介共訳)、J・サックス『貧困の終焉』(鈴木主税共訳)、同『地球全体を幸福にする経済学』、ソロスほか『世界は考える』がある。
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整体対話読本 ある
¥2,035
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「やりたい仕事は大事だけど、仕事は動作なんだから。」 整体指導者・川﨑智子からの呼びかけをもとに始まった二人の対話は、すっかり元気をなくしていた聞き手である鶴崎の目から鱗をボトボト落とし、身も心もグラグラとゆさぶり柔らかく解きほぐして行った。整体の元祖といわれる野口整体の方法をとおして世界の奥行きと元気になるヒントを模索する、三年間の対話の記録。 2017年に「観察と編集」から100部限定で自費出版され、読んでいるだけで効果があるという声が多数よせられた本書に後日談を加えて再編集。整体の入門書としても、どうぞ。 [出版社より] 著者|川﨑智子(話し手と整体)・鶴崎いづみ(聞き手、観察と編集) 出版社|土曜社 定価|1,850円+税 判型|B6変型判 ページ数|296 ISBN|978-4-907511-63-0 初版|2019年11月 Contents はじめに ・仕事 働かない人 認める、褒めると叱る 働く人 自分で職業は決められない ・気 気を実感する 気の作用と伝達 愉気は本能 ・感覚 打撲の効用 痛みが移動する 愛は骨盤が開く 殺す事に快感があるように出来てる 怒りは生理機能 気持ちと言葉がずれる ・人 人間はゴキブリ並に強い 食べる運動が好きな人 つくる人 ・虚 寂しさと孤独 寂しさは西からやって来る 体の中に虚がある 受け身で小さくて弱い力 死ぬのは気持ちいい ぺんぺん草を引きちぎる なくなる あとがき 後日談 索引 Author 川﨑智子 Tomoko Kawasaki 1970年宮崎県生まれ。不調をきっかけに出会った野口整体により体の全感覚が一致した自覚が生まれ、自由になる。気を独学。2005年より整体活動開始。整体指導者として「と整体」を主宰。 鶴崎いづみ Izumi Tsurusaki 1982年福岡県生まれ。ものごとをとらえなおす試みをおこなっている。2013年よりオルタナティブスペース「路地と人」の運営に加わる。14年より観察と編集を基礎として主に出版をおこなう試み「観察と編集」を始める。
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日本脱出記
¥1,047
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××××××××飛ぶ。××× ××××光る。 1922年――、ベルリン国際無政府主義大会の招待状。アインシュタイン博士来日の狂騒のなか、秘密裏に脱出する。有島武郎が金を出す。東京日日、改造社が特ダネを抜く。中国共産党創始者、大韓民国臨時政府の要人たちと上海で会う。得意の語学でパリ歓楽通りに遊ぶ。獄中の白ワインの味。「甘粕事件」まで数カ月――大杉栄38歳、国際連帯への冒険! [出版社より] 著 者|大杉栄 出版社|土曜社 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|208 ISBN|978-4-9905587-0-3 初版|2011年4月 Contents 一 日本脱出記・ヨーロッパまで 二 パリの便所 三 牢屋の歌 四 入獄から追放まで 五 外遊雑話 六 同志諸君へ 年譜/解説[大杉豊] Author 大杉栄 Sakae Osugi 1885年、丸亀市に生まれる。「旧い日本を根本的に変革して、新しい日本を建設する」ことを目指した。【評論】『生の闘争』、『社会的個人主義』、『労働運動の哲学』、『クロポトキン研究』、『正義を求める心』、『二人の革命家』(伊藤野枝共著)、『無政府主義者の見たロシア革命』、『自由の先駆』ほか。【随筆・記録・創作】『獄中記』、『乞食の名誉』、『悪戯』、『漫文漫画』、『日本脱出記』、『自叙伝』ほか。【翻訳】ダーウィン『種の起原』、ル・ボン『物質不滅論』、ルソー『懺悔録』(生田長江共訳)、ルトウルノ『男女関係の進化』、ロマン・ロラン『民衆芸術論』、クロポトキン『相互扶助論』、同『革命家の思出』、ハード・ムーア『人間の正体』、ファーブル『昆虫記一』、同『自然科学の話』(安成四郎共訳)、同『科学の不思議』(伊藤野枝共訳)。 Commentary 大杉豊 Yutaka Osugi 1939年、横浜市に生まれる。大杉栄が殺された当日に訪ねた弟が父であり、そこで生まれた。東京都立大学社会学科卒業。東京放送(TBS)入社、調査・営業・編成部門を経て定年退職。東放学園専門学校・常磐大学国際学部講師。編著書に『日録・大杉栄伝』(社会評論社)。
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自叙伝
¥1,047
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本読みの僕はいつもみんなの牛耳をとっていた––。 1921(大正10)年――、雑誌『改造』の求めで連載を起こすも、関東大震災下の「甘粕事件」により、未完で遺された傑作。「陛下に弓をひいた謀叛人」西郷南洲に肩入れしながら、未来の陸軍元帥を志す一人の腕白少年が、日清・日露の戦役にはさまれた「坂の上の雲」の時代を舞台に、自由を思い、権威に逆らい、生を拡充してゆく。 日本自伝文学の三指に数えられる、ビルドゥングスロマンの色濃い青春勉強の記。 [出版社より] 著 者|大杉栄 出版社|土曜社 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|312 ISBN|978-4-9905587-1-0 初版|2011年9月 Contents 一 最初の思い出 二 少年時代 三 不良少年 四 幼年学校時代 五 新生活 六 母の憶い出 七 お化けを見た話 自叙伝の一節 編注/略年譜/解説[大杉豊] Author 大杉栄 Sakae Osugi 1885年、丸亀市に生まれる。「旧い日本を根本的に変革して、新しい日本を建設する」ことを目指した。【評論】『生の闘争』、『社会的個人主義』、『労働運動の哲学』、『クロポトキン研究』、『正義を求める心』、『二人の革命家』(伊藤野枝共著)、『無政府主義者の見たロシア革命』、『自由の先駆』ほか。【随筆・記録・創作】『獄中記』、『乞食の名誉』、『悪戯』、『漫文漫画』、『日本脱出記』、『自叙伝』ほか。【翻訳】ダーウィン『種の起原』、ル・ボン『物質不滅論』、ルソー『懺悔録』(生田長江共訳)、ルトウルノ『男女関係の進化』、ロマン・ロラン『民衆芸術論』、クロポトキン『相互扶助論』、同『革命家の思出』、ハード・ムーア『人間の正体』、ファーブル『昆虫記一』、同『自然科学の話』(安成四郎共訳)、同『科学の不思議』(伊藤野枝共訳)。 Commentary 大杉豊 Yutaka Osugi 1939年、横浜市に生まれる。大杉栄が殺された当日に訪ねた弟が父であり、そこで生まれた。東京都立大学社会学科卒業。東京放送(TBS)入社、調査・営業・編成部門を経て定年退職。東放学園専門学校・常磐大学国際学部講師。編著書に『日録・大杉栄伝』(社会評論社)。
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獄中記
¥1,047
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僕はもっと馬鹿になる修業を積まなければならない——。 東京外語大を出て8か月で入獄するや、看守の目をかすめて、エスペラント語にのめりこむ。英・仏・エス語から独・伊・露・西語へ進み、「一犯一語」とうそぶく。生物学と人類学の大体に通じて、一個の大杉社会学を志す。21歳の初陣から大逆事件の26歳まで、「頭の最初からの改造」を企てる人間製作の手記。 [出版社より] 著 者|大杉栄 出版社|土曜社 定 価|952円+税 判 型|ペーパーバック判 頁 数|224 ISBN|978-4-9905587-2-7 初版|2012年4月 Contents 一 市ヶ谷の巻 二 巣鴨の巻 三 千葉の巻 四 続獄中記 五 獄中消息 獄中読書リスト/大杉栄略年譜/解説[大杉豊] Author 大杉栄 Sakae Osugi 1885年、丸亀市に生まれる。「旧い日本を根本的に変革して、新しい日本を建設する」ことを目指した。【評論】『生の闘争』、『社会的個人主義』、『労働運動の哲学』、『クロポトキン研究』、『正義を求める心』、『二人の革命家』(伊藤野枝共著)、『無政府主義者の見たロシア革命』、『自由の先駆』ほか。【随筆・記録・創作】『獄中記』、『乞食の名誉』、『悪戯』、『漫文漫画』、『日本脱出記』、『自叙伝』ほか。【翻訳】ダーウィン『種の起原』、ル・ボン『物質不滅論』、ルソー『懺悔録』(生田長江共訳)、ルトウルノ『男女関係の進化』、ロマン・ロラン『民衆芸術論』、クロポトキン『相互扶助論』、同『革命家の思出』、ハード・ムーア『人間の正体』、ファーブル『昆虫記一』、同『自然科学の話』(安成四郎共訳)、同『科学の不思議』(伊藤野枝共訳)。 Commentary 大杉豊 Yutaka Osugi 1939年、横浜市に生まれる。大杉栄が殺された当日に訪ねた弟が父であり、そこで生まれた。東京都立大学社会学科卒業。東京放送(TBS)入社、調査・営業・編成部門を経て定年退職。東放学園専門学校・常磐大学国際学部講師。編著書に『日録・大杉栄伝』(社会評論社)。
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私の生活技術
¥875
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心おきなく相手を賛美できるのは、大きなしあわせである。 ヒルティ(1891年)、アラン(1925年)、ラッセル(1930年)の三大幸福論のあと、フランス人作家モーロワが1939年に世に問うた第四の幸福論。進学、結婚、昇進、定年など人生の節目に繙きたい「モーロワ箴言集」。 [出版社より] 「若いうち本を読みあさるのは、ちょうど広い世間に出て行くのと同じで、友を得るためである。しかしいったん、これこそ友とすべきだという人が見つかったら、その人とともに世間づきあいをはなれるべきである」 ——アンドレ・モーロワ 「心穏かで、なすべきことが決まっているときには、孤独はいいものだ」 ——ゲーテ(詩人・作家) 「愛・労働・指揮・老いは、それぞれ人生のある時期の特徴をなすもので、したがって本書はおのずと人間の一生の推移のすがたを描くものとなる」 ——中山眞彦(仏文学者) 著 者|アンドレ・モーロワ 訳 者|中山眞彦 出版社|土曜社[土曜文庫] 定 価|795円+税 判 型|文庫判 頁 数|224 ISBN|978-4-907511-20-3 初版|2016年12月 Contents 1 考える技術 世界と思考/体で考えること/言葉で考えること/論理と推論/デカルトの方法/実験的方法/実験の欠点/思考と行動 2 愛する技術 相手の選択/愛の誕生/愛されること/求愛/あきさせぬこと/欲望の浄化 3 働く技術 うまく働く方法/助手、副官、秘書/肉体労働と頭脳労働。主婦/生徒の労働(勉強)/読む技術/芸術家の労働/休息する技術/結論 4 人を指揮する技術 いかにして指導者をえらぶか/指導者の人格/指導者の知性/指揮をする技術/統治する技術/指導者の権利と義務 5 年をとる技術 影の線/老いの自然のすがた/老いの不幸/年をとらずにいることはできるか/上手に年をとるということは可能か/上手に年をとるための二つの異なった方法/死ぬ技術/ある何人かの青年に寄せる手紙 解説(中山眞彦) Author アンドレ・モーロワ André Maurois 1885年、仏エルブフに生まれる。哲学者アランに師事し、小説家・伝記作家として活躍。『フランス敗れたり』『フランス戦線』『初めに行動があった』『パリの女』などの著作が日本語に翻訳されている。1967年永眠、享年82。 Translator 中山眞彦 Masahiko Nakayama 仏文学・比較文学者。東京工業大学名誉教授。1934年、京城市(現・ソウル)に生まれる。東京大学大学院博士課程中退。千葉大学、東京工業大学、東京女子大学で教鞭をとり、2002年退官。著作に『物語構造論――「源氏物語」とそのフランス語訳について』『小説の面白さと言語』『ロマンの原点を求めて』のほか、フランス語教科書も多数。
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移動祝祭日
¥785
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あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。 ——もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過そうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ。 1920年代パリの修業時代を描くヘミングウェイ61歳の絶筆を、詩人・福田陸太郎の定訳でおくる。 [出版社より] 「半世紀近く読み継がれていただけのことはある」 ——図書新聞[2017年5月20日] 「草の上に寝そべって、味わうように読むのがおすすめ」 ——阿久津隆[あいぼりー、2017年5月16日] 「あの独特の文体の強みと弱みとを実にくっきりと印象づける集約的な作品」 ——佐伯彰一[読売新聞、1964年12月15日] 「ヘミングウェイその人の体臭に接し、その肉声をきくような感じを起させる」 ——福田陸太郎[詩人・英米文学者] 「二十年代初めのかれのパリ生活の話を聞いて、わたしはおどろいた。それは、八年昔のわたしの生活とそっくりおなじだった。ヘミングウェイは、ロトンドのとなりのカフェ・セレクトで、一杯のコーヒーを前にして坐り、わたしとおなじように、もう一箇の三日月パンを夢みていたのだった」 ——イリヤ・エレンブルグ[作家] 著 者|アーネスト・ヘミングウェイ 訳 者|福田陸太郎 出版社|土曜社[土曜文庫] 定 価|714円+税 判 型|文庫判 頁 数|256 ISBN|978-4-907511-39-5 初版|2016年11月 Contents ノート(メアリー・ヘミングウェイ) 序文 サン・ミシェル広場の良いカフェ ミス・スタインの教示 〈失われた世代〉 シェイクスピア書店 セーヌの人びと 偽りの春 内職を止める 飢えは良い修業だった フォード・マドックス・フォードと悪魔の弟子 新しい流派の誕生 ドームでパスキンと共に エズラ・パウンドとそのベル・エスプリ まったく奇妙な結末 死の刻印を打たれた男 リラでのエヴァン・シップマン 悪魔の使い スコット・フィッツジェラルド 鷹は与えず 寸法の問題 パリに終りなし 解説(福田陸太郎) Author Ernest Hemingway〈アーネスト・ヘミングウェイ 〉 アメリカの小説家、詩人。1899年、米オークパークに生まれる。1918年、赤十字に加わりイタリア戦線(第一次世界大戦)に赴任、重傷を負う。21年、新聞特派員として再渡欧し、パリ滞在中の26年に『日はまた昇る』を発表、29年の『武器よさらば』までに作家としての地位を確立。53年『老人と海』でピュリツァー賞、54年ノーベル文学賞を受賞。61年に永眠、享年61。若き頃のパリ修業時代を描く『移動祝祭日』は没後の64年刊行の絶筆である。 Translator 福田陸太郎〈ふくだ・りくたろう〉 英米文学者、詩人。1916年、石川・羽咋に生まれる。40年に東京文理科大学(現・筑波大学)英語学英文学科を卒業し、49年から仏ソルボンヌ大学で比較文学をまなぶ。東京教育大学、日本女子大学、大妻女子大学で教鞭をとり、共栄学園短期大学学長を務める。パリ留学時代以降、詩作も多数。著作に『福田陸太郎著作集』『福田陸太郎詩集』。2006年永眠、享年89。
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茶の本
¥655
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茶道は、日常生活の俗事のなかにあって美しいものを崇敬する一種の儀式である 日露戦役直後、1906年に出た文明論の名著。ボストン美術館の東洋部門を司る著者が英文で世に問うた三部作の最後をかざる。古典の風格と親しみやすさが同居する、美術史家・宮川寅雄の翻訳。 [出版社より] 「世の中そのものが馬鹿馬鹿しいというのに、どうしてまじめでいられようか。もののつりあいを保ち、自分の地位を失うことなしに他人に譲ることが、浮世の芝居で成功をおさめる秘訣である」 ——岡倉天心[文人] 「偉大な利休は、ただ自分の心に訴えるものだけを愛する勇気があった」 ——小堀遠州[茶人] 「高邁な識見と、詩人的激情をもって、さして長いとはいえない生涯に、巨大な足跡をのこしたが、その思想的精髄は、『茶の本』をふくむ三大論著に集約されている」 ——宮川寅雄[美術史家 著 者|岡倉天心 訳 者|宮川寅雄 出版社|土曜社[土曜文庫] 定 価|595円+税 判 型|文庫判 頁 数|104 ISBN|978-4-907511-44-9 初版|2017年2月 Contents 第一章 人情の碗 第二章 茶の流派 第三章 道教と禅 第四章 茶室 第五章 芸術鑑賞 第六章 花 第七章 茶の宗匠 註・解説(宮川寅雄) 年譜(宮川寅雄)
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日本の目覚め
¥785
1904年11月、日露戦争の国際世論をめぐる攻防に、天心が投じた英文著作。日本文明の源泉をたどり、明治維新の大要を解き、「黄禍」の妄説を覆す。2年後の名著『茶の本』に通ずる詩趣をたたえた本書は、時のルーズヴェルト大統領が手にとり、英米有力紙誌が取り上げ、全米年間4位の書店売上を記録した。 [出版社より] 「げに荘厳なるは変化である。げに麗しきは生死という大推移である。日本人が日本人みずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくした著作の尤なるものは、実に天心の英文著書であろう」 ––村岡博[訳者] 「単に印刷物資料や世間の伝聞に基いたものではなくて、維新の際に活躍した人々の残存者との特別の知遇によって得たる知識に基いている」 ––センチュリー社[米国版元] 著 者|岡倉天心 訳 者|村岡博 出版社|土曜社[土曜文庫] 定 価|714円+税 判 型|文庫判 頁 数|128 ISBN|978-4-907511-47-0 初 版|2017年6月 Contents 第一章 アジアの夜 第二章 蛹時代 第三章 仏教と儒教 第四章 内部からの声 第五章 白禍 第六章 御用部屋と大奥 第七章 過渡期 大八章 王政復古と明治維新 第九章 再生期 第十章 日本と平和
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すし通
¥875
煙草屋は娘、魚屋は若い衆、鮨屋はおやじが看板である 鮨の食べ歩きを始めようとする人にとっては、「お前の口には勿体ないが食わしてやる」といった面構を忍ぶだけの、あるいは味わうだけの忍耐が必要である――。江戸の古老健在なりし昭和五年に世に出た、鮨の名著。 [出版社より] 著 者|永瀬牙之輔 出版社|土曜社 定 価|795円+税 判 型|文庫判 頁 数|160 ISBN|978-4-907511-22-7 初版|2016年12月 Contents すし 鮓、鮨、寿司 やすけ、すもじ すしの誇り 鮨礼讃 鮨の由来 古来有名なりし鮨 鮨の種類 魚の鮨 握鮨 巻鮨 稲荷鮨 五目と散し 箱鮨 熟れ鮨 特種の鮨 諸国の鮨 握り方、盛り方、食べ方 鮨は三食の外 鮨は三つ四つ 鮨は屋台か出前か 鮨屋のおやじ 鮨の鯖を読む事 鮨と酒 「鮨は玉子焼から」の論 酢 飯 「きり」と「つめ」 海苔と海苔巻 鮪 鰹 穴子 「鮨は小鰭に止め刺す」説 小鰭 鰺 赤貝 海老 わさび 生姜 俳季に現れた鮨 文芸に現れた鮨