-
映画の声を聴かせて フランス・ヨーロッパ映画人インタビュー
¥3,520
SOLD OUT
パリ在住映画ジャーナリストによる待望の映画インタビュー集。 アンナ・カリーナ、エリック・ロメール、ラウル・クタール、ジュリエット・ビノシュ、アヌーク・エーメ、マノエル・ド・オリヴェイラらが語るそれぞれの映画人生とは。総勢29名のインタビュイーたちが映画について語り尽くした証言集。 ヌーヴェル・ヴァーグから現在まで「映画の声」に耳を傾ける。 [出版社より] 「これまで雑誌などで断続的、断片的に読んできただけだったが、映画ファンの心の琴線に触れるインタビューだった。いつか一冊の本にまとまって全体を読めるのを心待ちにしていた。 パリ在住の気鋭のジャーナリストで飛び切りの映画ファン、魚住桜子さんの魅惑の映画インタビュー集だ。映画の秘密を聴き出すために、インタビューはパリを中心にしながらも縦横に移動するシネ・サロンのホステスとゲストたちの親密な語らいになって、ときには緊迫した静寂のなかの官能的なささやきのように、ときには洪笑とともに意気投合するかと思えば丁丁発止の議論さながらに聴こえてくるのだ──たしかな「映画の声」として」 ——山田宏一 著 者|魚住桜子 出版社|森話社 定 価|3,200円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|416 ISBN|978-4-86405-161-3 発 行|2021年07月 Contents フォト・アルバム まえがき Ⅰ ヌーヴェル・ヴァーグをたずねて [1 アンナ・カリーナ、ゴダールを語る] アンナ・カリーナ=恋と映画の時代 [2 フランソワ・トリュフォーを探して] クロード・ド・ジヴレー=私は生きている限りフランソワのことを語り続けるでしょう ジャン・グリュオー=ピンポンのラリーのように共作する セルジュ・トゥビアナ=暴力的な感情と情熱の映画作家 [3 エリック・ロメールのために] エリック・ロメール=私の映画は「場所」ありきです バーベット・シュローダー=これこそが私の求めていた映画だ! ジャン・ドゥーシェ=映画の本質は言葉にある フランソワーズ・エチュガライ=孤高の人の素顔 クロード・シャブロル=グラン・モモの軽やかさ マリー・リヴィエール=感情や思想、愛をめぐる考察 アマンダ・ラングレ=「ロメリエンヌ」と呼ばれて シャルロット・ヴェリ=ロメールの世界に飛び込みたい! [4 ジャック・リヴェットと舟でゆく] パスカル・ボニゼール=リヴェットとの冒険は、新しい挑戦の連続だった [5 アニエス・ヴァルダの台所にて] アニエス・ヴァルダ=〝マミー・パンク〟(パンクなお婆ちゃん)と呼ばれて Ⅱ ヌーヴェル・ヴァーグの波のひろがり [6 天才カメラマンのまなざし] ラウル・クタール=ヌーヴェル・ヴァーグのまなざし レナート・ベルタ=撮影監督と映画作家との〝共犯関係〟 カロリーヌ・シャンプティエ=撮影においての革命はヌーヴェル・ヴァーグの前か後、その時だけに起こった ピエール・ロム=『美しき五月』が私の映画人生を導いてくれた [7 映画史を〝書いた〟男] ジャン=クロード・カリエール=脚本という万華鏡 [8 映画の親子] フィリップ・ガレル=永遠の青年を生きる ルイ・ガレル=映画で起こる出来事は、その監督に実際に起こったのだと信じ込んでいました [9 映画の兄妹] ジュリエット・ビノシュ=私は演技を通して真実を追求していく オリヴィエ・アサイヤス=僕は永遠の青年のように生きている アヌーク・エーメ=女優の歓び クロード・ルルーシュ=映画は人生とスピードだ! [10 シネアストとその分身] マチュー・アマルリック=映画を作ることは、僕の人生そのものだ ドニ・ラヴァン=同じような体格で、年は一歳違い。そして、傲慢なレオスの分身=アレックスを、僕は演じてきたのです Ⅲ 映画の終わり… [11 一〇〇歳を超えてなお…] マノエル・ド・オリヴェイラ=映画で最も大切なこと、それは「記憶」です [12 ピエール・リシアンを偲んで] ベルトラン・タヴェルニエ=ピエールとは、新たな映画を発見する歓びを幾たびも分かち合いました ティエリー・フレモー=彼は映画が良くなることだけを考えていたのです ジェリー・シャッツバーグ=あるがままの映画を愛する イ・チャンドン=彼が亡くなったことで、映画の一つの時代も終わったのだと思います 初出一覧 主要人名索引 映像作品名索引 Author 魚住 桜子 Sakurako Uozumi 1973年生まれ。パリ在住ジャーナリスト。 1998年から3年間のフランス留学を経て、2004年からパリ在住。 『映画芸術』『キネマ旬報』などに映画人のインタビュー記事を中心に寄稿。映画のほかにも、食やフランス文化、暮らしにまつわる取材、執筆を行う。 フランス映画批評家協会、フランス外国人映画記者協会「リュミエール」会員。
-
日本のアニメーションはいかにして成立したのか
¥3,740
SOLD OUT
いまや日本の輸出産業となった「アニメーション」という概念は、どのようにして受容され、また変遷していったのか。 時代ごとの呼称や表現形式の分析を軸に、アマチュア作家や実験映画との関係、リミテッドアニメーションなど、これまで周縁的・境界的とされてきた創造活動に着目し、明治期から現代にいたるアニメーションの系譜をたどる。 《日本アニメーション学会賞2019》受賞。 [出版社より] 著 者|西村智弘 出版社|森話社 定 価|3,400円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|340 ISBN|978-4-86405-134-7 発 行|2018年11月 Contents はじめに──アニメーションをめぐる名称 1 アニメーションという言葉 2 戦前・戦中のアニメーションをめぐる名称 3 戦後・現代のアニメーションをめぐる名称 [Ⅰ BEFORE THE WAR] 第一章 戦前の日本にアニメーションの概念はなかった──アニメーションをめぐる名称についての考察 1 アニメーションの概念について 2 アニメーションという「共通の場所」 3 今日におけるアニメーションの概念 4 日本で公開された初期アニメーション 5 トリック映画とコマ撮り 6 影絵映画 7 人形映画 8 絶対映画 9 漫画映画 10 受容者の視点と制作者の視点 第二章 映画統制下のアニメーション──「線画」「描画」「動画」に関する研究 1 映画教育と映画検閲 2 線画と映画教育 3 描画と映画検閲 4 描画と分類学の思想 5 政岡憲三と動画 6 アニメーターとアニメーティング 7 アニメーション 第三章 戦前の自主制作アニメーション──アマチュア映画作家の「特殊映画」について 1 アマチュア作家のアニメーション 2 影絵映画の芸術性 3 前衛映画とアニメーション 4 大藤信郎とアマチュア映画 5 特殊映画とアニメーション 6 小型映画コンテストのアニメーション 7 田中喜次の影絵映画 8 岡野卯馬吉、荻野茂二、坂本為之、今枝柳蛙、森紅 9 荒井和五郎と竹村猛児 10 浅田勇の漫画映画 11 森紅と荻野茂二の抽象アニメーション 12 その後の特殊映画 [Ⅱ AFTER THE WAR] 第四章 アニメーションの概念はいかにして確立されたのか──ノーマン・マクラレンの受容を中心に 1 戦後日本のアニメーション 2 ノーマン・マクラレンの作品 3 教育映画とアニメーション 4 グラフィック集団の『キネ・カリグラフ』 5 前衛映画としての『線と色の即興詩』 6 『線と色の即興詩』に対する反応 7 一九五〇年代のアニメーション 8 ジョン・ハラスとアニメーションの新しい運動 9 アニメーションとしての『線と色の即興詩』 10 漫画映画からアニメーションへ 11 アニメーション(動画)と漫画映画のずれ 第五章 アニメーションの概念はどのように変容したのか──リミテッドアニメーションから考える 1 一九六〇年代初頭のアニメーション 2 リミテッドアニメーション 3 アニメーション三人の会 4 テレビコマーシャルとリミテッドアニメーション 5 アニメーション三人の会とテレビコマーシャル 6 アニメーション三人の会と実験映画 7 グラフィック・アニメーション 8 手塚治虫と虫プロダクション 9 『鉄腕アトム』のリミテッドアニメーション 10 漫画映画、アニメーション、テレビ漫画 11 アニメーションとアニメ 12 今日におけるアニメーションの多様化 第六章 アートアニメーションとはなんであったのか──アニメーションの多様性をめぐる考察 1 アートアニメーションについて 2 アニメーション三人の会 3 一九七〇年代の自主制作アニメーション 4 一九八〇年代の自主制作アニメーション 5 手塚治虫とアートアニメーション 6 国際アニメーションフェスティバル広島大会 7 一九九〇年代の自主制作アニメーション 8 チェコの人形アニメーションの流行 9 アートアニメーションの広がり 10 山村浩二とアートアニメーション 11 自主制作アニメーションとアニメブーム 12 日本のアニメーションと海外のアニメーション アニメーション関連年譜 あとがき 主要作品名索引 主要人名・団体名・機関名索引 Author 西村 智弘 Tomohiro Nishimura 映像評論家、美術評論家。東京造形大学、東京工芸大学、阿佐ヶ谷美術専門学校非常勤講師。 専門は映像史、現代美術。日本映像学会、美術評論家連盟会員。1993年、美術出版社主催〈第11回芸術評論募集〉で「ウォーホル/映画のミニマリズム」が入選。 著書に『日本芸術写真史──浮世絵からデジカメまで』(美学出版社、2008)、共編著に『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)、『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』(森話社、2016)、共著に京都造形大学編『映像表現の創造特性と可能性』(角川書店、2000)、西嶋憲生編『映像表現のオルタナティヴ──一九六〇年代の逸脱と創造』(森話社、2005)、村山匡一郎編『映画は世界を記録する──ドキュメンタリー再考』(森話社、2006)、主な論文に「日本実験映像史」(『あいだ』2003年3月号-2006年3月号)など。
-
日本の〈メロドラマ〉映画 撮影所時代のジャンルと作品
¥4,180
SOLD OUT
ローカル・ジャンルとしての〈メロドラマ〉——。 戦前・戦後を通じて国民的人気のあった日本映画のジャンル〈メロドラマ〉は、どのように成立し、どこへ行ってしまったのか。『愛染かつら』『君の名は』をはじめ、スタジオ・システムのなかで量産されていた作品を分析し、現代のフィルム・スタディーズにおける概念を参照しながら、日本的〈メロドラマ〉の歴史的・文化的特殊性を浮かび上がらせる。 [出版社より] 著 者|河野真理江 出版社|森話社 定 価|3,800円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|288 ISBN|9784864051576 発 行|2021年02月 Contents 序論 日本映画における〈メロドラマ〉の発掘 1 なつかしの面影 2 メロドラマ映画研究の現在──標準化された概念の明と暗 3 ローカル・ジャンルと範例的作品──本書の対象と理論的背景 4 〈メロドラマ〉からメロドラマを再考する──構成と要旨 第一章 プロトタイプ・メロドラマ 批評用語から映画ジャンルへ 1 『愛染かつら』の神話から〈メロドラマ〉の歴史化に向けて 2 「メロドラマ」の映画言説への浸透 3 日本映画を対象とする「メロドラマ」批評の実践 4 プロトタイプとしての「松竹大船調メロドラマ」の誕生──「もっとメロドラマティックに」 5 〈メロドラマ〉の停滞、そして復活へ──戦中・戦後 第二章 『新道』(一九三六) 転覆的な女性映画 1 女性映画として読む──モダンガールの誘惑とまなざし 2 受難と天罰──死のモンタージュという過剰 3 「女性的男性」としての上原謙のスター・イメージ 4 折衝する視覚的快楽と道徳規範 第三章 すれ違い映画 戦後大衆文化のファンタジー 1 「戦後最大のメロドラマ」──『君の名は』とその影響 2 『君の名は』の模造品たち 3 映画・ラジオ・週刊誌の連携 4 ロマンティックな帝国、植民地としての異国 5 階級論争から「通俗」言説へ 第四章 映画『君の名は』三部作(一九五三─一九五四) 欲望と道徳のマゾヒスティック・メロドラマ 1 通俗的で感傷的なものの再評価に向けて 2 結びつきの絶対的宙吊りとしての「すれ違い」 3 「倒れること」と「待つこと」 4 夢と現実のパラドクス 5 「虚脱」という現実 6 「すれ違い」の超越的な力 第五章 文芸メロドラマ 「よろめき」ブームと〈メロドラマ〉の新しい波 1 女性向け文芸映画の流行 2 中間小説と文芸映画 3 よろめきブームとジャンルの成熟 4 松竹女性映画の変容 5 モラル・パニックと男性観客性 6 『妻は告白する』(一九六一)──例外的な文芸メロドラマとして 第六章 『猟銃』(一九六一) 権力と背信の洗練されたファミリー・メロドラマ 1 文芸メロドラマとハリウッド・ファミリー・メロドラマ 2 権力の表象とその主題化 3 「壺」と「銃」 4 イデオロギー的矛盾と批評言説 5 サーク的スタイル、あるいは五所的スタイル 第七章 リバイバル・メロドラマ 〈メロドラマ〉の復活と斜陽 1 〈メロドラマ〉のリメイクの流行 2 再映画化ブーム(一九五四─一九六〇)──「メロドラマ復活の波」 3 リバイバル・ブーム(一九六二~一九六七)──メディア循環的なジャンルへの変容 4 ゴシップの快楽──『三百六十五夜』(一九六二)の場合 第八章 『続・愛染かつら』(一九六二) 自己言及的でグロテスクなバックステージ・メロドラマ 1 『愛染かつら』四度目のリメイク 2 再現とアップデート──すれ違うオリジナルとリメイク 3 バックステージ・メロドラマとして読む 4 自己言及性と不可逆性 5 グロテスク美とリバイバルの不可逆性──ジャンルの死としての再生 結論 〈メロドラマ〉映画の身体 1 〈メロドラマ〉の歴史化──日本映画史と女性映画 2 ローカル・ジャンルからクラスター・ジャンルへ 3 日本映画とメロドラマの現在──〈メロドラマ〉はどこへ行ったか? Author 河野真理江 Marie Kono 1986年東京生まれ。映画研究。立教大学現代心理学研究科映像身体学専攻博士課程修了。博士号(映像身体学)取得。現在、立教大学兼任講師、青山学院大学、静岡文化芸術大学非常勤講師。 近著に、「渋谷実の異常な女性映画──または彼は如何にして慣例に従うのを止めて『母と子』を撮ったか」(『渋谷実 巨匠にして異端』志村三代子、角尾宣信編、水声社、2020年)、論文に「「メロドラマ」映画前史──日本におけるメロドラマ概念の伝来、受容、固有化」(『映像学』第104号、2020年)などがある。
-
ワイセツ論の政治学——走れ、エロス![増補改訂版]
¥2,970
SOLD OUT
猥褻か? 芸術か? どころの騷ぎじゃない!! チャタレイ夫人、悪徳の栄え、愛のコリーダ……、昭和の先人たちが挑んだ芸術論としての猥褻論争も今や昔。ネット社会化により混迷するワイセツ規制は、いまや「ブツ」から人々の「思考」そのものへと、その権域の拡大を試みる。海外配信から、準児童ポルノ、非実在青少年、JKリフレまで……。 「ヘア」解禁が話題となっていた1994 年に刊行された旧版を、大幅な加筆と註釈によりメタ的にリノベーション。エンタテインメント領域を中心に活躍する弁護士であり名画座「シネマヴェーラ渋谷」館主でもある著者が、昭和から現在までの豊富な判例をもとに、今日におけるワイセツ規制の問題点を実証的に描き出す。 [出版社より] 著 者|内藤篤 出版社|森話社 定 価|2,700円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|288 ISBN|978-4-86405-123-1 発 行|2017年12月 Contents プロローグ[1994/2017] ①───────────1994 Ⅰ 発情するメディア───テクノロジーが駆動する欲望 Ⅱ まだ死ねずにいる猥褻裁判のために───チャタレイ夫人/サド/愛のコリーダ Ⅲ 越境の規則───税関という名の超絶理論体系 Ⅳ 自主規制の政治学───映倫の存在理由 Ⅴ エンド・オブ・ザ・ロード───「有害」図書指定とは何であったのか Ⅵ リベラリズムを超えて───フェミニズム・ポルノ批判異論 幕間 メディア・セックスの彼方に───エピローグ[1994] ②───────────2017 Ⅶ 「フリー経済」の果てに───ビデ倫摘発/海外配信 Ⅷ エロい芸術───エロと権力の付き合い方 Ⅸ エロと権力、ふたたび───準児童ポルノ/非実在青少年 エピローグ[2017] あとがき Author 内藤 篤 Atsushi Naito 1958年東京生まれ。弁護士、ニューヨーク州弁護士。2006年より名画座「シネマヴェーラ渋谷」館主。著書に『ハリウッド・パワーゲーム──アメリカ映画産業の「法と経済」』(1991年、TBSブリタニカ)、『エンタテインメント・ロイヤーの時代──弁護士が語る映像・音楽ビジネス』(1994年、日経BP出版センター)、『走れ、エロス!』(1994年、筑摩書房)、『エンタテインメント契約法[第3版]』(2012年、商事法務)、『円山町瀬戸際日記』(2015年、羽鳥書店)。共著に『パブリシティ権概説[第3版]』(2014年、木鐸社)、『映画・ゲームビジネスの著作権[第2版]』(2015年、CRIC)、『論集 蓮實重彦』(工藤庸子編、2016年、羽鳥書店)。翻訳書にハロルド・L・ヴォーゲル『エンターテインメント・ビジネス──その構造と経済』(1993年、リットーミュージック)など。
-
テレビドラマと戦後文学——芸術と大衆性のあいだ
¥5,280
テレビドラマの青春時代——。 いまから67年前、テレビは本放送を開始した。それは戦後文化の象徴の一つとなったが、当初からその大衆志向性が批判されることも多かった。そうしたテレビの青春期ともいえる1950年・60年代には、どのようなテレビドラマが制作されていたのだろうか。 当時の映像がほとんど残されていないなかで、映像が現存する「芸術祭受賞作」を中心に検討し、そこに積極的に関与した文学者と、気鋭のディレクターとが追求したテレビドラマの可能性とその時代を丹念に描く。 [出版社より] 著 者|瀬崎圭二 出版社|森話社 定 価|4,800円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|480 ISBN|978-4-86405-158-8 発 行|2020年12月 Contents 序章 【 Iテレビドラマという芸術】 第1章 芸術祭参加作品とその時代 第2章 芸術祭と「私は貝になりたい」 第3章 和田勉の演出技法 【II表現としてのテレビ】 第1章 〝文学青年〟たちのテレビ業界 第2章 佐々木基一の『テレビ芸術』とテレビドラマ 第3章 一九六〇年代初頭における寺山修司とテレビ 付 録 谷川俊太郎氏に聞く「寺山修司とテレビ」 【 III安部公房と芸術祭】 第1章 安部公房とテレビ 第2章 「日本の日蝕」 第3章 「煉獄」 第4章 「虫は死ね」 第5章 「目撃者」 【IV芸術祭と〈文学〉】 第1章 三好十郎作「獣の行方」 第2章 遠藤周作作「平和屋さん」 第3章 城山三郎作「汽車は夜9時に着く」 第4章 椎名麟三作「約束」 第5章 秋元松代脚本「海より深き かさぶた式部考」 終章 Author 瀬崎 圭二 Keiji Sezaki 1974 年広島県生まれ。同志社大学文学部教授。日本近現代文学・文化専攻。 著書に『流行と虚栄の生成─消費文化を映す日本近代文学─』(世界思想社 2008年3月)、『海辺の恋と日本人─ひと夏の物語と近代─』(青弓社 2013年8月)、編著に『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─『あなたは誰でしょう』─』(ゆまに書房 2020年3月)がある。
-
演劇とメディアの20世紀
¥5,060
舞台と人々をつなぐもの——。 20世紀の演劇を考えるとき、近代に発達した印刷や写真、音声、映像などの多種多様なメディアの存在を抜きには語れない。多くの人々が舞台や役者の記憶をとどめ、想起するときの、それらメディアの果たした役割を検討する。メディアの発達がもたらしたものとは──。 [出版社より] 編 者|神山彰 出版社|森話社 定 価|4,600円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|368 ISBN|978-4-86405-150-7 発 行|2020年07月 Contents [Ⅰ 総論] 第1章 演劇に見る思い出とメディアの間──共有感の喪失=神山彰 [Ⅱ 勃興する活字メディア] 第2章 明治中後期における新聞と同時代演劇──新聞小説・興行・記録装置=後藤隆基 第3章 演劇雑誌の近代──青年歌舞伎とファンの『歌舞伎若人』=熊谷知子 [Ⅲ 大衆化の時代] 第4章 スターのおもかげ──演劇写真の日本近代=村島彩加 第5章 レコードと演劇=大西秀紀 第6章 漫画と演劇=鈴木理映子・日比野啓 [Ⅳ 放送メディアの登場] 第7章 北條秀司のラジオドラマ=和田尚久 第8章 テレビと演劇──レビュー式喜劇・軽演劇との関わりを中心に=西条 昇 [Ⅴ時代の変容を映して] 第9章 劇場プログラムとポスター=神山 彰 第10章 政治メディアとしての演劇=中野正昭 第11章 演劇と映像の変容と逆転=神山 彰 Editor 神山 彰 Akira Kamiyama 明治大学文学部教授 専攻=近代日本演劇 『近代演劇の水脈──歌舞伎と新劇の間』(森話社、2009年)、『日本戯曲大事典』(共編、白水社、2016年) Author 後藤 隆基 Ryuki Goto 立教大学兼任講師・社会学部特定課題研究員 専攻=近現代日本演劇・文学・文化 『高安月郊研究──明治期京阪演劇の革新者』(晃洋書房、2018年)、井川充雄・石川巧・中村秀之編『〈ヤミ市〉文化論』(共著、ひつじ書房、2017年) 熊谷 知子 Tomoko Kumagai 明治大学兼任講師 専攻=近代日本演劇 「小山内薫と晩年の偉人劇──『森有礼』『戦艦三笠』『ムッソリニ』」(神山彰編『交差する歌舞伎と新劇』森話社、2016年)、「小山内薫『第一の世界』論──宗教信仰と心霊主義をめぐって」(『演劇学論集』第62号、2016年5月) 村島 彩加 Ayaka Murashima 明治大学兼任講師、青山学院大学非常勤講師 専攻=近代日本演劇(歌舞伎、宝塚歌劇) 「近代歌舞伎と宝塚歌劇の交流」(『歌舞伎と宝塚歌劇──相反する、密なる百年』開成出版、2014年)、「表情をめぐる冒険」(神山彰編『交差する歌舞伎と新劇』森話社、2016年) 大西 秀紀 Hidenori Onishi 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター客員研究員 専攻=近代芸能史、日本レコード史 「歌舞伎SPレコード・ディスコグラフィ(戦前篇未定稿)」(『歌舞伎 研究と批評』第38号、歌舞伎学会、2007年)、「新派SPレコード・ディスコグラフィ(未定稿)」(『歌舞伎 研究と批評』第43号、同、2009年) 日比野 啓 Kei Hibino 成蹊大学文学部教授 専攻=演劇史・演劇理論 『アメリカン・ミュージカルとその時代』(青土社、2020年)、編著『戦後ミュージカルの展開』(森話社、2017年) 鈴木 理映子 Rieko Suzuki ライター、編集者 専攻=近現代日本演劇 『日本の演劇──公演と劇評目録 1980年?2018年』(監修、日外アソシエーツ、2019年)、「翻訳ミュージカルの歴史」(『戦後ミュージカルの展開』森話社、2017年) 和田 尚久 Naohisa Wada 放送作家、文筆家 ラジオドラマ台本『町の底を流れるのは』(文化放送『青山二丁目劇場』、2013年)、『友近の東京八景』(NHKラジオ、2016年) 西条 昇 Noboru Saijo 江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授 専攻=大衆芸能史、喜劇史、演芸史、アイドル史、ストリップ史、浅草興行史 『ジャニーズお笑い進化論』(大和書房、1999年)、『ニッポンの爆笑王100』(白泉社、2003年) 中野 正昭 Masaaki Nakano 早稲田大学演劇博物館招聘研究員、明治大学ほか兼任講師 専攻=近現代日本演劇 『ムーラン・ルージュ新宿座──軽演劇の昭和小史』(森話社、2011年)、『浅草オペラ 舞台芸術と娯楽の近代』(杉山千鶴と共編著、同、2017年)
-
映画人が語る 日本映画史の舞台裏[配給興行編]
¥3,960
SOLD OUT
日本映画の陰の立役者たち——。 「商品としての映画」に対価を支払ってもらうためには、撮影現場を離れた後も多種多様な戦略を講じる必要がある。──光学特撮や現像のスペシャリスト、コピーライター、営業・宣伝担当者、劇場支配人など、作品の仕上げから観客に供されるまでの仕事に携わってきた15名の映画人へのインタビューで語られる様々なエピソードを通して、日本映画史を捉え直す! [出版社より] 編 者|谷川建司 出版社|森話社 定 価|3,600円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|376 ISBN|9784864051521 発 行|2020年10月 Contents はじめに= 谷川建司 【第I部 作品を仕上げる仕事】 『ウルトラマン』から『乱』まで、光学合成のスペシャリスト(中野 稔/光学合成) 東映京撮から東映動画の編集者へ(千蔵 豊/編集) 東映動画の海外制作システム構築へ(蕪木登喜司/演出家・制作) 映画からテレビまで、現像を支えた東洋現像所(奥村 朗・須佐美 成/現像技師) 【第II部 作品を送り届ける仕事】 作品の魅力を伝える言葉の力(関根忠郎/コピーライター) 横田永之助の息子として、大映の営業マンとして(横田良之助/映画配給営業) スター像をファンに届けた雑誌『近代映画』(小杉修造/映画雑誌編集者) 黄金期の映画界と芸能雑誌の時代(高木 清/元『平凡』編集長) 【 第III部 企業の生き残りをかけて】 永田大映から徳間大映へ繋いだ労組委員長(山本 洋/プロデューサー) 大映の凋落と永田雅一(安倍道典/大映テレビ社長) 【第IV部 配給・興行の仕事】 満洲映画協会から洋画配給へ(緒方用光/映画配給) 独立プロから名宣伝部長、そしてプロデューサーへ(原 正人/宣伝・プロデューサー) 地方都市石巻で洋画上映館経営者として活躍(稲井峯弥/映画館支配人 ) 特撮ファン文化を醸成した劇場、伊丹グリーン・ローズ( 山富真治/劇場支配人) 映像作品名索引 Editor 谷川 建司 Takeshi Tanikawa 早稲田大学政治経済学術院客員教授。映画史、大衆文化研究。著書に『アメリカ映画と占領政策』(京都大学学術出版会、2002)、『戦後「忠臣蔵」映画の全貌』(集英社クリエイティブ、2013)、『高麗屋三兄弟と映画』(雄山閣、2018)、Cultural Politics Around East Asian Cinema 1939–2018 (Co-Edited, Kyoto University Press, 2019)など。新著として、Baseball in Occupied Japan: U.S. Postwar Cultural Policy(Kyoto University Press, 2021)が刊行を控えている。
-
映画産業史の転換点 経営・継承・メディア戦略
¥4,730
SOLD OUT
1958年をピークに斜陽産業へと転じた日本映画界は、いかにして時代の変化に対抗・対応していったのか。映画会社の戦略、俳優の組合運動、中村錦之助が製作した幻の映画『祇園祭』(1968)をめぐる騒動など、映画を広く産業としてとらえ、作家・作品中心ではない、日本映画史のオルタナティヴを描き出す。 [出版社より] 編 者|谷川建司 出版社|森話社 定 価|4,300円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|424 ISBN|9784864051491 発 行|2020年07月 Contents はじめに=谷川建司 [Ⅰ 映画産業界の経済と経営] 01 監督が映画を撮れなくなったとき──東宝サラリーマン喜劇〝社長シリーズ〟松林宗恵と〝無責任シリーズ〟古澤憲吾=西村大志 02 東宝歌舞伎と東映歌舞伎──斜陽期の映画会社とスターの延命装置としての舞台公演=谷川建司 03 興行戦略としての「青春余命映画」──『愛と死をみつめて』と吉永小百合=久保豊 04 小津安二郎の興行戦略──『彼岸花』にみる作家性と企業性の折衝=伊藤弘了 column 映画『地獄門』と和田三造高階絵里加 [Ⅱ 映画産業の拠点としての京都] 05 京都と時代劇再考──東映剣会殺陣師を中心に=小川順子 06 戦後の日本映画における西陣機業と地域表象──『西陣の姉妹』を手掛かりに=須川まり 07 絵師と映画監督──時代考証にみる甲斐庄楠音と溝口健二の通底性=小川佐和子 [Ⅲ 映画を取り巻くメディア環境] 08 『君の名は』の歌声──戦後日本の「メディアミックス」と聴覚文化=長門洋平 09 一九五〇年代の日本映画産業と海外市場へのアプローチ──国家支援を求めた動きとの関連で=北浦寛之 10 グラビアと啓蒙──戦後初期の『近代映画』が伝えたもの=花田史彦 [Ⅳ 映画『祇園祭』を巡って] 11 映画『祇園祭』と京都=谷川建司 12 近現代史のなかの映画『祇園祭』──もう一つの明治百年=高木博志 13 中村錦之助の『祇園祭』前夜──五社協定下におけるスター俳優の躍進と抵抗=木村智哉 14 『祇園祭』論争に見る監督と脚本家の権限──一九六〇年代における著作権法改正の議論を背景に=板倉史明 15 制作社日誌からみる映画『祇園祭』──歴史学的分析の試み=京樂真帆子 column まぼろしの映画『祇園祭』パンフレット──挿絵画家・竹中英太郎の「復活」=菊地暁 column 映画『祇園祭』の復元と保存について=太田米男 映画の歴史、歴史の映画 研究の現在と今後の展望=木下千花 Editor 谷川 建司 Takeshi Tanikawa 早稲田大学政治経済学術院客員教授。映画史、大衆文化研究。著書に『アメリカ映画と占領政策』(京都大学学術出版会、2002)、『戦後「忠臣蔵」映画の全貌』(集英社クリエイティブ、2013)、『高麗屋三兄弟と映画』(雄山閣、2018)、Cultural Politics Around East Asian Cinema 1939?2018 (Co-Edited, Kyoto University Press, 2019)など。
-
エジソンと映画の時代
¥3,850
SOLD OUT
19 世紀末、エジソンの発明した覗き見式キネトスコープなどを機に始まった「映画の時代」。 エジソンとその映画事業に関与した人々の活動を中心に、装置の開発、映画製作、表現様式、興行、他メディアとの関係などの多様な視点から、アメリカ初期映画成立の歴 史を描く。図版多数。 [出版社より] 著 者|チャールズ・マッサー 編・監訳|岩本憲児 訳 者|仁井田千絵・藤田純一 出版社|森話社 定 価|3,500円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|296 ISBN|978-4-86405-077-7 発 行|2015年04月 Contents 著者序文=チャールズ・マッサー Charles Musser [1] 映画の始まり──トーマス・A・エジソンとキネトグラフによる動く写真(藤田純一訳) [2] メイ・アーウィンの接吻──パフォーマンスと映画(仁井田千絵訳) [3] 古典期以前のアメリカ映画──変わりゆく映画製作様式(仁井田千絵訳) [4] ニッケルオデオン時代の幕開け──ハリウッド表現様式の枠組みの成立(藤田純一訳) [5] 複製技術時代のサラ・ベルナール──転向と集約・一九一〇─一九一三(仁井田千絵訳) [訳者解説 1] 映画の始まりと表現様式の変化=藤田純一 [訳者解説 2] 初期のアメリカ映画とその受容=仁井田千絵 編・監訳者あとがき=岩本憲児 原注・訳注 日本語参考資料 初出一覧 関連年表 索引(人名・作品名・事項) Author チャールズ・マッサー Charles Musser イエール大学教授。映画学・演劇学・アメリカ研究専攻。『映画の登場──1907年までのアメリカのスクリーン』(1990年)、『エジソン映画1890─1900──注解付フィルモグラフィー』(1997年)ほか。
-
アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ
¥3,850
SOLD OUT
マヤ・デレン、ペーター・クーベルカ、アンディ・ウォーホル、スタン・ヴァンダービーク、マイケル・スノウ、ロバート・スミッソン、ジェームス・ベニング、ジョナス・メカス───。 世界中からアメリカに集結した才能は、シュルレアリスムからミニマリズム、パフォーミング・アーツ、コンセプチュアル・アートなど、ジャンルの境界を越えて、視覚、身体、媒体の本質を追求し、映像表現のさらなる深化と拡張をもたらした。戦前から現代に至るアメリカ映画/美術のオルタナティヴな系譜を探る。 [出版社より] 編 者|西村智弘・金子 遊 出版社|森話社 定 価|3,500円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|368 ISBN|978-4-86405-103-3 初版|2016年11月 Contents [1] Ⅰ モダニズムの臨界点と、その先へ──アメリカ実験映画の史的考察=越後谷卓司 Ⅱ 民族誌家としてのアーティスト──マヤ・デレンとヴードゥー信仰=金子 遊 Ⅲ ペーター・クーベルカ PETER KUBELKA──伝説の映画作家=太田 曜 [2] Ⅳ アンディ・ウォーホルの映画──ありのままの美学=西村智弘 Ⅴ パフォーマンスとしてのエクスパンデッド・シネマ=ジュリアン・ロス Ⅵ マイケル・スノウ再考──スーパーインポーズの再帰性=阪本裕文 [3] Ⅶ 異鳴的うなり──ロバート・スミッソン『スパイラル・ジェッティ』=平倉 圭 Ⅷ 不在の人物とその表象──ジェームス・ベニング『ステンプル・パス』=吉田孝行 Ⅸ アメリカ/実験映画/現況=西川智也 Ⅹ 前衛を分かち合う場所──アンソロジー・フィルム・アーカイヴス=岡田秀則 「エッセンシャル・シネマ・レパートリー」全映画リスト 日本におけるアメリカ実験映画の受容──あとがきにかえて=西村智弘 あとがき=金子 遊 Editor 西村智弘 Tomohiro Nishimura 映像評論家、美術評論家。東京造形大学、東京工芸大学、 多摩美術大学非常勤講師。映像史、現代美術。著書に『日本芸術写真史── 浮世絵からデジカメまで』(美学出版社、2008)、論文に「アニメーションの概念はいかにして変容したか──1960年代初頭のリミテッド・アニメーションから考える」(『多摩美術大学研究紀要』30号、2016)など。 金子 遊 Yu Kaneko 映像作家、批評家。慶應義塾大学環境情報学部非常勤講師。映像研究、民族誌学。 著書に『辺境のフォークロア』(河出書房新社、2015)、『異境の文学』(アーツアンドクラフツ、2016)、編著に『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(共編、森話社、2014)、『国境を超える現代ヨーロッパ映画250』(共編、河出書房新社、2015)など。 Author 越後谷卓司 Takashi Echigoya 愛知県美術館主任学芸員。あいちトリエンナーレ2010、13、16映像プログラムキュレーター。 著書に『映画は世界を記録する──ドキュメンタリー再考』(共著、森話社、2006)、『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』(共著、アーツアンドクラフツ、2011)、『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(共著、森話社、2014)など。 太田 曜 Yo Ota 実験映画制作、研究。東京造形大学、尚美学園大学ほか非常勤講師。 代表作に『TEMPS TOPOLOGIQUE』(1981-1982)、『STADEL』(1985)、『L’Image de la Pucelle』(2012-13)『BLANK SPACE』(2016)など。論文に「造形の素材としての映画フィルム」(『東京造形大学研究報3』2002)、「映画が生成する空間と運動」(『東京造形大学雑誌』第10号、1999)など。 ジュリアン・ロス Julian Ross 映像研究者、映像キュレーター。英国ウェストミンスター大学博士研究員。ロッテルダム国際映画祭プログラマー。 Tate Modern, British Film Institute, Eye Film Institute, Anthology Film Archiveなどで日本の実験映画を中心に映画・パフォーマンスプログラムを紹介。論文に“Curating Problems for Expanded Cinema,” Preservation, Radicalism and the Avant-Garde Canon, Palgrave MacMillan, 2016、「映画における直接行動」『赤瀬川原平』(共著、河出書房新社、2014)など。 阪本 裕文 Hirofumi Sakamoto 映像研究者。稚内北星学園大学准教授、NPO法人戦後映像芸術アーカイブ代表理事。映像研究。 著書に『メディアアートの世界──実験映像 1960-2007』(共著、国書刊行会、2008)、編著に『白昼夢──松本俊夫の世界』(共編、久万美術館、2012)、『松本俊夫著作集成』(森話社、2016-)、『記録映画(復刻版)』(共編、不二出版、2015-16)など。 平倉 圭 Kei Hirakura 研究者、制作者。横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授。芸術理論。 著書に『ゴダール的方法』(インスクリプト、2010)、論文に「多重周期構造──セザンヌのクラスター・ストローク」(『ユリイカ』2012年4月号)など。 吉田 孝行 Takayuki Yoshida 映像作家、映像研究者。 ドキュメンタリーとヴィデオアートを横断する映像作品を制作、短編『ぽんぽこマウンテン』(2016)が世界各地の映画祭、ヴィデオアート祭で上映される。著書に『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(共著、森話社、2014)など。 西川 智也 Tomonari Nishikawa 映像作家、映像キュレーター。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校(ビンガムトン大学)映画学部助教授。アヴァンガルド、実験映画。 代表作に『Market Street』(2005)、『Tokyo - Ebisu』(2010)、『sound of a million insects, light of a thousand stars』(2013)など。キュレーターとしてドレスデン短編映画祭、サンフランシスコ近代美術館などで上映プログラムを紹介。 岡田 秀則 Hidenori Okada フィルム・アーキビスト、映画研究者。東京国立近代美術館フィルムセンター主 任研究員。映画史、映画アーカイビング。 著書に『映画という《物体X》 フィルム・アーカイブの眼で見た映画』(立東舎、2016)、『甦る相米慎二』(共著、インスクリプト、2011)、『岩波映画の1億フレーム』(共著、東京大学出版会、2012)、『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(共著、森話社、2014)など。
-
監督成瀬巳喜男
¥3,520
SOLD OUT
没後50年、ディテイルから全体へ。 市井に暮らす人々の哀歓や機微を描いた作品で、今も評価が高い成瀬巳喜男。 本書では、サイレント映画の修業時代から、「妻よ薔薇のやうに」など戦前の女性映画で頭角をあらわし、戦中・戦後の混迷とスランプを脱して、「めし」「浮雲」「流れる」などの戦後日本映画を代表する名作を送り出した成瀬のフィルモグラフィーと生涯をたどる。 [出版社より] 著 者|千葉伸夫 出版社|森話社 定 価|3,200円+税 判 型|四六判・上製 頁 数|368 ISBN|9784864051460 初版|2020年2月 Contents プロローグ 1 ルーツ、そして映画界へ《二〇世紀へ》 2 女性映画の旗手、隘路《一九三〇年代》 3 大戦と「空白」《一九四〇年代》 4 女優と名匠《一九五〇年代》 5 文明変貌、孤立《一九六〇年代》 エピローグ Author 千葉伸夫 Nobuo Chiba 作家・映画評論家。1945年、中国生まれ。早稲田大学文学部文学研究科修士課程修了。飯島正(映画史)、郡司正勝(芸能史)、南博(社会・歴史心理学)に師事。東京国立近代美術館フィルムセンターで図書担当後、明治学院大学、上智大学などで映画、映像論担当。 著書に、『映画と谷崎』『チャプリンが日本を走った』『評伝山中貞雄』『原節子』『小津安二郎と20世紀』『映像史』など。
-
スポーツ/アート
¥3,520
競技と美術のミッシング・リンクーー。 スタジアムの変遷や記録との関係、芸術家の参加などオリンピックをめぐる歴史から、スポーツと美術作品の顕在的/潜在的な相互作用、さらに競技、運動、観客をとりまくテクノロジーの問題、そしてeスポーツに至るまで、美術・写真・映像・身体表現など多彩な研究者、評論家、アーティストによる様々な視点から、スポーツ/アートの境界上に新たな結びつきを探る。 [出版社より] 編 者|中尾拓哉 出版社|森話社 定 価|3,200円+税 判 型|四六判 頁 数|432 ISBN|978-4-86405-145-3 初版|2020年2月 Contents I 01 スウィングとスピン──「アート」としてのスポーツ、「スポーツ」としてのアート=北澤憲昭 02 オリンピックスタジアムの変遷=暮沢剛巳 03 バランスをとること──ゲルハルト・リヒターとブリンキー・パレルモのミュンヘンオリンピックのスタジアムへの提案をめぐって=鈴木俊晴 II 04 スポーツ映像の美学と政治──レニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』をめぐって=渋谷哲也 05 熱狂の頂──日本におけるパウル・ヴォルフの受容と戦前のスポーツ写真=打林 俊 06 スポーツ漫画映画とナショナル・ボディ──戦前期日本のアニメーション表現に見るスポーツ的身体=渡邉大輔 III 07 イヴ・クラインの柔道=中尾拓哉 08 観念と絵画の狭間に打ちつける拳=栗本高行 09 フローの感覚──バスケットボールの経験から=大山エンリコイサム IIII 10 人が運動に隷属する時=山峰潤也 11 運動を見るという運動──スポーツと芸術の観客身体論序説=木村 覚 12 見下ろすことの享楽──VAR試論=原田裕規 13 つくるスポーツ/するアート=犬飼博士 - 吉見紫彩 Editor 中尾拓哉 Takuya Nakao 美術評論家。多摩美術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。 著書に『マルセル・デュシャンとチェス』(平凡社、2017)。監訳書にマシュー・アフロン『デュシャン 人と作品』(フィラデルフィア美術館、2018)。共著に『ストローブ=ユイレ』(森話社、2018)。主な論考に「50年あるいは100年後の鑑賞者――日本・マルセル・デュシャン論再考」(『美術手帖』2019年2月号)など。
-
ナチス映画論 ヒトラー・キッチュ・現代
¥3,300
禁忌と狂熱の映画史へ 近年、ナチスドイツ/ヒトラーを題材にした映画が多数製作・公開されている。なぜナチスは観客の興味を惹くのか? プロパガンダにはじまり、戦争責任の追及、悪のイコン、表象不可能性の問題を経て、ナチス表象はいま新たな段階を迎えている。 本書では、戦前から現代までのナチス映画をとりあげ、映像論、映画史、ドイツ史、キッチュ論など多角的な視点から、それらが人々を「魅了」し「熱狂」させる謎、周辺国や演劇などの他ジャンルにおよぶ余波、現在にいたるファシズムの問題を検証する。 世界各国で右傾化、排外主義の波が起こりつつある現在、私たちはナチスの表象から何を学べばよいのだろうか。巻末には主要なナチス映画50作品のガイドを掲載。 [出版社より] 編 者|渋谷哲也・夏目深雪 出版社|森話社 定 価|3,000円+税 判 型|A5判 頁 数|328 ISBN|978-4-86405-144-6 初版|2019年12月 Contents 前書き──二一世紀に増殖するナチズム=渋谷哲也 [I ETHICS - REPRESENTATION] 01 現代の映像環境とナチス映画──ゾンダーコマンドとヒトラーはどこを歩くのか=夏目深雪 02 ホロコースト表象の転換点──『サウルの息子』の触感的経験をめぐって=田中 純 column フェイク/リアルは相反するのか──『帰ってきたヒトラー』=森 達也 03 キッチュで殺せ──ナチス・映画・小市民=生井英考 column ハイル、タノ! 我が生徒たちとのファシズム体験=田野大輔 [II HITLER - GERMAN STUDIES] 04 ナチス時代のドイツ人=田野大輔 05 戦後ドイツにおけるヒトラーの表象──悪魔からコメディアンへ=高橋秀寿 06 ナチスvsニュージャーマンシネマ=渋谷哲也 column 壁の向こうの反ナチ映画──ドイツ民主共和国(東ドイツ)が描いたナチ時代=渋谷哲也 [III AFTERMATH - OTHER COUNTRIES ? THEATER] 07 石鹸と沈黙──イスラエル映画に見る生還者の表象=四方田犬彦 column ジャン=ピエール・メルヴィルの映画とナチス──「待つこと」をめぐって=野崎 歓 08 アイヒマンの同郷人──ピナ・バウシュとナチズムの影=鴻 英良 column クリストフ・シュリンゲンジーフとヒトラー──欲望と注視の再分配=古後奈緒子 後書き──映画批評は生きているのか=夏目深雪 ナチス映画50 Editor 渋谷哲也 Tetsuya Shibutani ドイツ映画研究。東京国際大学国際関係学部教授。 著書に『ドイツ映画零年』(共和国、2015)、編著書に『ファスビンダー』(共編、現代思潮新社、2005)、『国境を超える現代ヨーロッパ映画250──移民・辺境・マイノリティ』(共編、河出書房新社、2015)など。また『わすれな草』『あやつり糸の世界』『イエロー・ケーキ』などドイツ映画の字幕翻訳を多数手がける。 夏目深雪 Miyuki Natsume 批評家・編集者。 映画を中心に演劇やダンスなどについても執筆。『ユリイカ』や『キネマ旬報』などに寄稿。アプリ版「ぴあ」で「水先案内人」。共編書に、『国境を超える現代ヨーロッパ映画250──移民・辺境・マイノリティ』(2015、河出書房新社)、『アピチャッポン・ウィーラセタクン──光と記憶のアーティスト』(フィルムアート社、2016)、『躍動する東南アジア映画──多文化・越境・連帯』(論創社、2019)など多数。
-
フレームの外へ 現代映画のメディア批判
¥3,190
SOLD OUT
あらゆる画面が我々を囲み、新たな「自然」となりつつある現在。文字情報に奉仕する映像と音に操られてしまわないために、我々はこの環境といかにして向き合うべきか。 フレームの「内」と「外」、画面と音声の関係を軸に、ロッセリーニ、ブレッソン、ゴダール、ストローブ=ユイレ、さらにアメリカや日本の戦後映画をたどり、ロシア、南米、中東などの先鋭的な映画作家まで、「フレームの外へ」と分析の眼差しを向ける、ポスト・トゥルース時代の現代映画論 [出版社より] 著 者|赤坂太輔 出版社|森話社 定 価|2,900円+税 判 型|四六判・上製 頁 数|304 ISBN|978-4-86405-143-9 初版|2019年11月 Contents 序章 「外」の発見に向かって FRAME-1[イン&アウト──顕微鏡とリレー] 1 現代映画の出発点 2 フレーム内を見続けよ 3 リレー、まなざし、距離 4 方法=映画 FRAME-2[リアルというフレームの行方──「リアリズム」の流れを読む] 1 画質とリアル 2 シュトロハイムと包括的な時間 3 ベッケル/ロッセリーニ 4 ルノワール 5 ヴィスコンティvs ルーシュ FRAME-3[フレームを閉じることと開くこと] 1 「切り返し」は誘導ツールにすぎないのか 2 ベルイマンの場合 3 ロメールの場合 4 その他のフランス人作家たち 5 カサヴェテスとアルトマン FRAME-4[想像力は消えた──アメリカ映画史における追跡と撃ち合い] 1 ウォルシュの「追いつけない」追跡 2 古典映画の追跡と撃ち合い 3 ウェルズとアルドリッチ 4 距離の可視化と操られる人々、可能性は? FRAME-5[「時代劇」から上演の映画へ] 1 時代劇と古い映画 2 オーソン・ウェルズからヌーヴェルヴァーグ以後へ 3 アメリカ映画/西部劇の「上演」 4 リヴェット、ストローブ=ユイレ、フランス・ファン・デ・スターク 5 ルーシュ、クレイマー、マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画 6 ローシャ、ベーネ FRAME-6[『ミュリエル』から『和解せず』へ] 1 時の跳躍 2 時は戻って来ない 3 フレーム内に留まること 4 フレームの外へ 5 暴かれるつなぎ目 FRAME-7[ゴダール、小津から「ソ連映画」へ] 1 ゴダール 2 グリフィス、そして小津の「違和感」 3 一九八〇年代フランス映画の「室内劇」というフレーム、そしてドヴジェンコ 4 ユーリア・ソーンツェワ、ソ連崩壊前後の映画、ロシアの女性作家たち FRAME-8[闇から浮上する身体へ──メディア批判の視点から見た第二次大戦後の日本映画] 1 明白さから暗闇へ 2 一九六〇年代の人々 3 鈴木清順の場合 4 一九七〇─一九八〇年代 5 北野武、黒沢清、青山真治、堀禎一 FRAME-9[現代映画の軌跡──フレームとサウンドのクリティカル・ライン] 1 被覆と露呈 2 フランス現代映画の軌跡 3 湾岸戦争後のメディア批判──イラン映画とドイツにおけるゴダール、ストローブ=ユイレの後継者たち 4 切断/接続で奏でる音楽=運動 FRAME-10[メディア・イメージに抗って──エジプト、スペイン周辺、ラテンアメリカ現代映画] 1 エジプト 2 スペインとその周辺 3 ブラジル、チリ、アルゼンチンのインディペンデント映画 終章[トランスナショナルなメディア批判映画の現状] あとがき 人名索引 Author 赤坂太輔 Daisuke Akasaka 映画批評家・映像論。立教大学講師。 1994年にポルトガル取材後、1997年、1999年にアテネ・フランセ文化センターで開いた「ポルトガル映画講座」を皮切りに、2003年よりシネクラブ&ウェブサイトであるnew century new cinemaを立ち上げ、世界の日本未公開作品や作家の紹介上映活動をおこなう(詳細はhttp://www.ncncine.com/infoncncine1.html)。 またSight&Sound、Derives、La Furia Umana、e-lumiere、desistfilmなど世界各国のオンライン雑誌に寄稿。近年、国内誌では『中央評論』『シネ砦』『ユリイカ』『STUDIO VOICE』などに寄稿。2015年より雑誌『NOBODY』に「メディア批判としての現代映画」連載中。 著書に『ハルトムート・ビトムスキー監督特集』(アテネ・フランセ文化センター、2002)、『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(企画および分担執筆、EMブックス、2003)、共著に『映画を撮った35の言葉たち』(フィルムアート社、2017)、『ストローブ=ユイレ──シネマの絶対に向けて』(森話社、2018)がある。
-
写真の物語 イメージ・メイキングの400年史
¥3,520
写真の誕生から180年。いまではさまざまなイメージがメディアに溢れ、誰もがあたりまえに接している「写真」とは本来どのようなものなのだろうか。 写真発明の前史から現代までの400年の歴史を、発明競争、技法の開発、大衆の欲望、美術やメディアとの相互関係といった観点から豊富な作品例とともにたどり、交錯する歴史から、「モノ」としての写真とその発展をめぐる人々の物語を描き出す、気鋭の写真史家による新たな写真史。作品図版も多数掲載し、入門書としても最適。 [出版社より] 「写真史は極上の物語だ! 写真史は無味乾燥な事実の羅列でも、何人かの英雄たちの栄光と名誉の記録でもない。それは写真という奇妙な媒体に取り憑かれた人間たちによる、「物の見方」の解体と再編のプロセスである。銀塩からデジタルへ、「イメージ・メイキングの地殻変動」が進行するこの時期にこそ、ぜひ本書をひもといてほしい」 ──飯沢耕太郎[写真評論家] 著 者|打林俊 出版社|森話社 定 価|3,200円+税 判 型|四六変型判 頁 数|488 ISBN|978-4-86405-139-2 初版|2019年7月 Contents プロローグ 写真史を学ぶ意義──写真について考えてみる 【Ⅰ】 第1章 焦点を結ぶ欲望 第2章 目隠しの接戦──写真の発明まで 第3章 視覚革命──初期写真と社会のかかわり 第4章 初期写真の技法史 第5章 表現の広がり──ウェット・コロジオン・プロセスによる記録とドライ・プレートの登場 column 錬金術と空想科学から見る写真 【Ⅱ】 第6章 芸術の息吹──写真と美術の最初の接触 第7章 「写真らしさ」と芸術──ピーター・ヘンリー・エマーソンとピクトリアリズムの成立 第8章 ピクトリアリズムの展開──一八九〇年代から一九二〇年代 第9章 さまざまな印画技法と小型カメラの登場 column 写真としての美術──絵画複製写真の世界 【Ⅲ】 第10章 モダニズム写真へ──鮮明なイメージへの回帰 第11章 出版文化から見るアメリカのモダニズム写真 第12章 カラー写真小史 column ヴァナキュラー写真の分界──家族写真をめぐって エピローグ 戦前写真史年譜 あとがき 人名・団体名索引 Author 打林俊 Shun Uchibayashi 1984年、東京生まれ。2009年日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程映像芸術専攻修了、パリ第Ⅰパンテオン=ソルボンヌ大学、国立芸術研究所招待研究生(2010?2011)を経て、2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程芸術専攻修了。博士(芸術学)。日本大学芸術学部非常勤講師。専門は日欧視覚文化交流史、写真史、美術史。 著書『絵画に焦がれた写真──日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)にかかる研究で花王芸術・科学財団第9回美術に関する研究奨励賞(2015)および日本写真芸術学会学術賞(2016)受賞。共著に、《 A Forgotten Phenomenon: Paul Wolff and Formation of Modernist Photography in Japan 》(Dr. Paul Wolff & Tritschler: Light and Shadow: Photographs 1920-1950, Kehrer, 2019)、「外国写真展覧会の出品作に見るW・K・バートンの申し分のない教育の方向性」(『写真の起源?英国』東京都写真美術館、2019)、「アンリ・マティスの写実絵画不要論における写真をめぐって」(『イメージ制作の場と環境』中央公論美術出版、2018)など。