[セット]『アナアキストの悪戯』『総ルビ版 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一死因鑑定書』
¥2,200
習俗打破! 大正の世において因習にとらわれず、国や権力からも縛られずに生きようとした伊藤野枝。パートナーの大杉栄や仲間たちと過ごしたアナキスト時代の生活が、本人の筆でいきいきと綴られる傑作選。
尾行をまいたり、警察のスパイや自称愛国者をからかったり、権力にひるまず、ユーモアあふれるアナキストたちの「悪戯」な日常。毒舌過ぎる人物評など、本作では伊藤野枝のユーモア作家としての一面も発見することが出来るだろう。付録には同志、村木源次郎、和田久太郎が、虐殺事件後に彼女について書いた追悼の文章も収録。現行発売中の単行本には未収録の絶版作品を集めたアンソロジー(『アナアキストの悪戯』)。
関東大震災の混乱の中、官憲により虐殺された大杉栄と伊藤野枝、そして甥の橘宗一(6歳)。軍部の隠蔽により、甘粕正彦憲兵大尉の単独犯とされてきたこの「甘粕事件」は、一九七六年に発見された『死因鑑定書』によって、実際には集団暴行の末の殺害であったことが明らかとなりました。本書は、その「死因鑑定書』全文を収録するとともに、付録として『小説・死因鑑定書』、同志・和田久太郎による記事『大農大火による騒乱と奴等による逆襲ー並びに急進愛国党の出現ー』、さらに宗一の母であり大杉栄の妹でもある大杉あやめの手記『甘粕事件以後』を併録しています。多くの読者に届くよう『鑑定書』は総ルビ版で刊行しました(『大杉栄・伊藤野枝・橘宗一死因鑑定書』)。
*セットで200円引き。
[出版社より]
著 者|伊藤野枝
出版社|マヌケ出版社
定 価|1,200円+税/800円+税(200円引き)
判 型|A5判/並製
頁 数|116/64
ISBN|978-4-910661-00-1
発 行|2025年09月
Contents
・男に蹤かれるの記
・化の皮
・妙なお客様
・間抜けな比喩
・わたしの会った男の人々
・決死の尾行
・獄中へ
・アナアキストの悪戯
・拘禁されるまで
・行方不明
・愛の夫婦生活
―私共を結びつけるもの―
・彼と彼女と俺 村木源次郎
・僕の見た野枝さん 和田久太郎
・伊藤野枝とその周辺 略年譜
Author
伊藤 野枝 Noe Ito
1895-1923。フェミニスト、アナキスト、作家、翻訳家、編集者。親の決めた結婚を拒否し、恩師だった辻潤と結婚。その後、平塚らいてうが主宰する雑誌『青鞜』に参加し、20歳で編集長となる。辻と別れ大杉栄とパートナーになり、以後活動を共にする。女性の自由や社会的平等を訴える評論や翻訳を多数発表。関東大震災直後の混乱の中で大杉栄、甥の橘宗一と共に虐殺され、28歳で生涯を閉じる。その生き様は、現代においても多くの人々に影響を与え続けている。
尾行をまいたり、警察のスパイや自称愛国者をからかったり、権力にひるまず、ユーモアあふれるアナキストたちの「悪戯」な日常。毒舌過ぎる人物評など、本作では伊藤野枝のユーモア作家としての一面も発見することが出来るだろう。付録には同志、村木源次郎、和田久太郎が、虐殺事件後に彼女について書いた追悼の文章も収録。現行発売中の単行本には未収録の絶版作品を集めたアンソロジー(『アナアキストの悪戯』)。
関東大震災の混乱の中、官憲により虐殺された大杉栄と伊藤野枝、そして甥の橘宗一(6歳)。軍部の隠蔽により、甘粕正彦憲兵大尉の単独犯とされてきたこの「甘粕事件」は、一九七六年に発見された『死因鑑定書』によって、実際には集団暴行の末の殺害であったことが明らかとなりました。本書は、その「死因鑑定書』全文を収録するとともに、付録として『小説・死因鑑定書』、同志・和田久太郎による記事『大農大火による騒乱と奴等による逆襲ー並びに急進愛国党の出現ー』、さらに宗一の母であり大杉栄の妹でもある大杉あやめの手記『甘粕事件以後』を併録しています。多くの読者に届くよう『鑑定書』は総ルビ版で刊行しました(『大杉栄・伊藤野枝・橘宗一死因鑑定書』)。
*セットで200円引き。
[出版社より]
著 者|伊藤野枝
出版社|マヌケ出版社
定 価|1,200円+税/800円+税(200円引き)
判 型|A5判/並製
頁 数|116/64
ISBN|978-4-910661-00-1
発 行|2025年09月
Contents
・男に蹤かれるの記
・化の皮
・妙なお客様
・間抜けな比喩
・わたしの会った男の人々
・決死の尾行
・獄中へ
・アナアキストの悪戯
・拘禁されるまで
・行方不明
・愛の夫婦生活
―私共を結びつけるもの―
・彼と彼女と俺 村木源次郎
・僕の見た野枝さん 和田久太郎
・伊藤野枝とその周辺 略年譜
Author
伊藤 野枝 Noe Ito
1895-1923。フェミニスト、アナキスト、作家、翻訳家、編集者。親の決めた結婚を拒否し、恩師だった辻潤と結婚。その後、平塚らいてうが主宰する雑誌『青鞜』に参加し、20歳で編集長となる。辻と別れ大杉栄とパートナーになり、以後活動を共にする。女性の自由や社会的平等を訴える評論や翻訳を多数発表。関東大震災直後の混乱の中で大杉栄、甥の橘宗一と共に虐殺され、28歳で生涯を閉じる。その生き様は、現代においても多くの人々に影響を与え続けている。