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知覚の宙吊り——注意、スペクタクル、近代文化
¥3,300
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アテンション・プリーズ! 人間の「注意」はいかに構築され、「散漫」はいかに管理されてきたのか。モダニズム絵画から実験心理学、スペクタクル産業から注意多動性障害まで、社会、産業、科学、芸術にまたがるさまざまな言説と技術を横断し、近代における知覚の条件を問い直す。 [出版社より] 著 者|ジョナサン・クレーリー 監 訳|岡田温司 訳 者|石谷治寛・大木美智子・橋本梓 出版社|平凡社[平凡社ライブラリー] 定 価|3,000円+税 判 型|B6変型判/並製 頁 数|688 ISBN|9784582769869 発 行|2025年04月 Contents 序 第1章 近代性と注意の問題 第2章 1879年――拘束なき視覚 第3章 1888年――脱魔術化のイルミネーション 第4章 1900年――綜合(ジンテーゼ)の再創出 エピローグ 1907年――ローマの魔法 原注 訳者あとがき 平凡社ライブラリー版 訳者あとがき 文献一覧 事項索引 人名索引 Author ジョナサン・クレーリー Jonathan Crary 1951年、アメリカのコネチカット州ニューヘイヴンに生まれる。視覚文化に関する系譜学的な研究で知られ、Zone Booksの創業者のひとりとして長らく編集委員を務める。現在、コロンビア大学教授。 Translator 岡田 温司 Atsushi Okada 1954年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。京都大学名誉教授。専門は西洋美術史・思想史。著書に『モランディとその時代』(人文書院、2003、吉田秀和賞受賞)、『フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析』(平凡社、2008、読売文学賞受賞)などがある 石谷 治寛 Haruhiro Ishitani 1977年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。現在、広島市立大学芸術学部准教授。専門は美学・美術史・視覚文化論 大木 美智子 Michiko Oki 1979年生まれ。ロンドン大学UCL西欧言語文化社会研究科博士課程修了。現在、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校専任上級講師。専門は美学・美術史 橋本 梓 Azusa Hashimoto 1978年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程指導認定退学。現在、国立国際美術館主任研究員。専門は現代美術。展覧会企画に「Viva Video! 久保田成子展」(共同企画、国立国際美術館ほか、2021、倫雅美術奨励賞受賞)などがある
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K-POPはなぜマイノリティを惹きつけるのか
¥2,640
男性アイドルを好きなレズビアン、女性アイドルを愛するゲイ、BLと当事者性をめぐる探索、実在のアイドルで遊ぶ物語、フィクションにおけるトランス嫌悪、ボーイッシュな女性アイドルのかっこよさ……。 H.O.T.のデビューから始まる第1世代、東方神起がアイドル文化を本格化した第2世代、EXOに代表される第3世代、BTSやBLACKPINKが牽引する第4世代。世界とアジアと韓国のK‐POP受容を読み解きながら、性別二元論ではなくクィアの視点でK‐POPの魅力を語る画期的論集。 [出版社より] 編著者|ヨン・へウォン 訳 者|キム・セヨン、キム・ミンジョン、パク・キョンヒ 出版社|河出書房新社 定 価|2,400円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|296 ISBN|978-4-309-23151-8 発 行|2024年12月 Contents 第1章 世代論から読み解くK‐POPのクィアネス 第2章 K‐POPとK‐POPのディーバネス 第3章 「男性アイドルが好きなレズビアン」のための弁論:レズビアンのコミュニティ内で警戒される、「非常にレズビアンっぽい」欲望について 第4章 「当事者性」を構成する:BL、幻想、欲望 第5章 ファン・フィクション・クィアバディズム:クィア文化の様々な体位 第6章 Twilight Zone:女ドル・ファンフィクにおける愛という世界観―私が魅了された物語、その眩しさを目撃した者の証言 第7章 男性アイドルのアルペス文化におけるトランス嫌悪:「トランス的な」世界で起きている「トランス嫌悪」について 第8章 典型的ではない女性アーティストの系譜:トムボーイ、ガールクラッシュ、そして女ドクのクィアリング 第9章 女性‐クィア・フェミニストがガールズグループを愛する方法 第10章 K‐POPのジェンダー・クィアな美学 第11章 身体とジェンダーの隙間で連帯する:アイドルが遂行するトランス・フェミニズム Editor & Author ヨン・ヘウォン 大学院で社会学を研究。クィアとセクシャリティをテーマにさまざまなジャンルで企画・執筆活動を続ける。セミナー「2020クィアドロジー」や、朗読劇「エログロ京城」などを企画し、雑誌『them』を発行。 Translator キム・セヨン ソウル生まれ。梨花女子大学通訳翻訳大学院修士課程卒業。現在、同大学院博士課程在学中。訳書に、イ・ミンギョン『脱コルセット:到来した想像』(共訳)など。 キム・ミンジョン KBS通信員。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士課程単位取得退学。訳書に、チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』、ソ・ユミ『終わりの始まり』など。韓国語への翻訳も手がける。 パク・キョンヒ 梨花女子大学国際大学院博士課程在籍。梨花女子大学通訳翻訳大学院、韓国文学翻訳院、チェッコリ翻訳スクールで翻訳を教えている。訳書に、ポムリュン『誰よりも先にあなたが幸せになりなさい』など。
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図説 写真小史
¥1,320
芸術から「いま―ここ」という一回性の「アウラ」が消滅する複製技術の時代にあって、写真はどのような可能性をはらみ、どのような使命を課せられなければならなかったのか? 写真史を考えるとき、だれもが必ず引用する基本文献―ヴァルター・ベンヤミンの「写真小史」。初期写真から1930年代の作品までを通観したこの傑作エッセイに、そこで言及されているブロースフェルト、アジェ、ザンダーらの写真多数と、関連論文を加えて再編集。20世紀最高の批評家による写真論が目で見てわかる実証的な一冊。 [出版社より] 著 者|ヴァルター・ベンヤミン 訳 者|久保哲司 出版社|筑摩書房[ちくま学芸文庫] 定 価|1,200円+税 判 型|文庫判 頁 数|288 ISBN|978-4-480-08419-4 初 版|1998年04月 Contents 写真小史(ヴァルター・ベンヤミン) カール・ブロースフェルト『芸術の原形』への序(カール・ニーレンドルフ) ウジェーヌ・アジェ『写真集』への序(カミーユ・レヒト) 顔、映像、それらの真実について(アルフレート・デーブリーン) Author ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin 1892(Berlin)~1940年(PortBou)。20世紀ドイツの最も異彩を放つ思想家・批評家。きわめて緻密で繊細な文体をもつ卓越した文章家。青年運動の只中で思想形成期を迎え、ユダヤ神秘主義、観念論的弁証法、マルクス主義的歴史哲学等の影響を受ける。激動の時代状況とアクチュアルにまたラディカルに切り結びながら、同時に近代もしくはモデルネの原史(Urgeschichte)を見据え続けた。亡命行の途上でみずから命を絶った。
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定本 批評メディア論——戦前期日本の論壇と文壇
¥1,738
「論壇」「文壇」とは何か。日本において「批評」はいかにして可能か。言論を支えてきたインフラやシステムの生成過程にさかのぼることから再起動しなければならない。膨大な資料博捜に裏づけられた圧倒的な文体で知の基本構造をえぐり出す。注目を集める批評家による著書が、全面的な改稿をへて「定本」として再生する。 [出版社より] 著 者|大澤聡 出版社|岩波書店[岩波現代文庫] 定 価|1,680円+税 判 型|文庫判・並製 頁 数|462 ISBN|9784006023553 発 行|2024年01月 Contents 序 章 編集批評論 1 商品としての言論 ギルドから市場へ 2 批評のマテリアリズム 課題設定 3 出版大衆化 円本・革命・スペクタクル 4 ジャーナリズム論の時代 総合雑誌史 5 時限性と非属領性 本書の構成 第1章 論壇時評論 1 論壇とはなにか 第一の課題設定 2 レジュメ的知性 総合雑誌の論壇時評 3 空間画定と再帰性 学芸欄の論壇時評 4 メディア論の予感 相互批評の交叉点 5 消滅と転生 自己準拠的なシステム 第2章 文芸時評論 1 問題消費の時代 第二の課題設定 2 アリュージョンと多重底 批評無用論争 3 後発者たちの憂鬱 自律した批評の誕生 4 複数化する宛先 文壇村という読者集団 5 職業としての批評 文芸批評のプロトコル 第3章 座談会論 1 ふたつの欲望 第三の課題設定 2 合評から討議へ 「新潮合評会」の変成 3 劇場化とロールプレイ 行動主義論争 4 擬態する親密圏 『文學界』の文壇政治 5 造語の氾濫 メディア=形式の一義化 第4章 人物批評論 1 人物による時代診断 第四の課題設定 2 横断性と大衆性 普通選挙時代の批評 3 固有名消費 有名性生成のメカニズム 4 複数の表象様式 記号的身体とキャラ化 5 有名、匿名、無名 現実的権威の発動 第5章 匿名批評論 1 スターシステム 第五の課題設定 2 精神か経済か フリーランサー論争 3 声と批評 輿論・社会化・カタルシス 4 責任の所在 学芸/文芸欄という例外圏 5 固有名化する匿名 名をめぐる四象限 終 章 批評環境論 1 速度 編集的批評/批評的編集 2 綜合 アカデミズムとジャーナリズム 3 再編 境界条件の壊乱と地殻変動 4 局外 いまはそれと名指されぬもの 5 集団 全体性はいかにして可能か 註 あとがき(単行本版) あとがき(岩波現代文庫版) 人名索引 Author 大澤 聡 Satoshi OSAWA 1978年生まれ.批評家.近畿大学文芸学部准教授.東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了.博士(学術).専門はメディア史.主な著書に『教養主義のリハビリテーション』(筑摩書房),編著に,『1990年代論』(河出書房新社),『三木清教養論集』(講談社文芸文庫)など.本書『批評メディア論』(岩波書店)で第37回日本出版学会奨励賞,第6回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞を受賞.
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マクルーハン理論——電子メディアの可能性
¥1,320
「メディアはメッセージである」。メディアが発したメッセージ以上に、まさに電子メディアそれ自体が現代人の知覚を広げ、価値観を変えた。「メディアはマッサージである」この冗句も日々の生活で体感される。先駆者として甦るマクルーハンの理論を多彩な視角から浮き彫りにする。 [出版社より] 著 者|マーシャル・マクルーハン、エドマンド・カーペンター 訳 者|大前正臣、後藤和彦 出版社|平凡社[平凡社ライブラリー] 定 価|1,200円+税 判 型|B6変型判/並製 頁 数|328 ISBN|9784582764611 発 行|2003年03月 Contents 1部 マクルーハニズム 聴覚的空間 言語に与えた印刷物の影響 メディアの履歴書 メディア・アフォリズム 壁のない教室 ほか 2部 コミュニケーションの新しい探求 新しい言語 触覚的コミュニケーション キネシクスとコミュニケーション 先史芸術の空間概念 動く目 ほか Author マーシャル・マクルーハン Marshall McLuhan 1911‐1980。カナダのアルバータ州に生まれた英文学者、メディア・文明批評家。カナダのマニトバ大学で機械工学と文学を学ぶ。英ケンブリッジ大学留学。1946年トロント大学教授となる。『文学の声』など詩論、文芸批評の著作を続けながら、独自のメディア論を発表。広告論『機械の花嫁』(1951)、活版印刷の社会的影響を論証した『グーテンベルクの銀河系』(1962)を経て、ベストセラー『人間拡張の原理―メディアの理解』(1964)でマクルーハン旋風を巻き起こした。トロントで死去。 エドマンド・カーペンター Edmund Carpenter 1922-。人類学者。イヌイット文化を研究、映像人類学で活躍。1940年代房総と江戸湾末にトロント大学でマクルーハンらと共同研究を開始。53年以降、フォード財団から研究助成を得てセミナーを開き、雑誌『Explorations』を創刊。 Translator 大前 正臣 Masaomi Omae 1923年生まれ。評論家、翻訳家、東京大学文学部卒業後、コロンビア大学に学ぶ。電通、東京新聞外報部を経てフリー。 後藤 和彦 Kazuhiko Goto 1929年生まれ。常磐大学大学院兼任教授。東京大学文学部卒業。NHK、同放送文化研究所などを経て常磐大学教授。
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アニメオタクとビデオの文化社会学
¥3,080
1980年代に拡大したビデオというメディアは、オタク文化の代表とも見なされるアニメの視聴経験をどのように変えていったのか。アニメオタクはビデオを利用することを通じて、どのような映像文化を形成し、そこにはいかなる社会的な意味があったのか。 1970年代後半から80年代のアニメブームと呼ばれる時期に焦点を当て、「ビデオジャーナル」「アニメージュ」「Animec」「アニメV」などの雑誌を読み込んで、アニメファンのビデオ利用によってアニメが個人の趣味として立ち現れるようになったプロセスを描き出す。 ビデオがアニメの保存や操作を可能にしたことでファンの交流を促して、「趣味としてのアニメ」の新たな流通経路を作り出し、それが個人の収集(コレクション)やレンタル市場の形成につながっていった。ファン・産業・技術が絡み合いながらアニメ独自の市場を形成した1980年代のうねりを照らし出し、ビデオが切り開いた映像経験の文化的なポテンシャルを明らかにする。 [出版社より] 著 者|永田大輔 出版社|青弓社 定 価|2,800円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|280 ISBN|978-4-7872-3545-9 発 行|2024年09月 Contents 序 章 映像を趣味にする経験とビデオ技術 1 オタクとビデオの結び付き 2 アニメというファン領域 3 本書の分析資料 4 本書の構成 第1部 アニメを趣味にする条件とビデオ技術 第1章 ビデオのファン利用とオタクという主体 1 本書の問いをめぐる議論の配置 2 オタクとビデオの関連性について 3 ビデオを取り扱うことの意義づけ 4 ビデオをめぐるメディア論的視点 5 アニメという対象 第2章 ビデオにおける「教育の場」と「家庭普及」――一九六〇年代後半―七〇年代の業界紙「ビデオジャーナル」にみる普及戦略 1 ビデオ受容をめぐる諸議論 2 資料の特性 3 教育の場とビデオ 4 「教育」と「家庭」の間 5 結論 第3章 「テレビを保存する」ことと読者共同体の形成――アニメ雑誌「アニメージュ」を事例として 1 「テレビを保存するという実践の成立」と「新たなアニメファン」 2 「テレビを保存する」ことの前提条件 3 「テレビを録る」ということを軸とした読者共同体の形成 第2部 アニメが「独自の趣味」になる過程とビデオ技術 第4章 アニメ雑誌における「第三のメディア」としてのOVA――一九八〇年代のアニメ産業の構造的条件に着目して 1 本章で取り扱う分析資料 2 OVAをめぐる構造的条件 3 「第一のメディア」と「第二のメディア」 4 「第三のメディア」としてのOVA 5 結論 第5章 コンテンツ消費における「オタク文化の独自性」の形成過程――一九八〇年代のビデオテープのコマ送り・編集をめぐる語りから 1 「オタク文化の独自性」をめぐる先行研究・分析視角・分析対象 2 ビデオデッキの普及環境に関して 3 コマ送りが可能とする視聴実践 4 形成される相互循環 5 結論 第6章 アニメの制度化のインフラとしてのアニメ制作者の形成――一九七〇―八〇年代の労働規範に着目して 1 アニメーターの職務概要 2 分析枠組みと資料の分析上の位置づけ 3 アニメブーム期の労働を読み解く視点 4 制作者の労働規範の変容 5 結論 第3部 ビデオを通じて再定式化される「オタク」経験とアニメ文化 第7章 ビデオをめぐるメディア経験の多層性――「コレクション」とオタクのカテゴリー運用をめぐって 1 「オタクの代表」の宮﨑勤 2 一九八九年時点のビデオの社会的配置と有徴性 3 「真のオタク」ではない宮﨑勤 4 変容するコレクションの意味論 5 結論――オタクが語られだす論理 第8章 ビデオ受容空間の経験史――「趣味の地理学」と一九八〇年代のアニメファンの経験の関係から 1 先行研究 2 コンテンツ受容空間と経験史 3 有徴な空間としてのビデオ店 4 レンタルビデオ店経験の両義性 5 ビデオ店利用の個別性 終 章 映像視聴の文化社会学に向けて 1 ビデオが開いた映像視聴経験とアニメファン 2 メディア文化にビデオ技術がもたらしたもの 3 コレクションのメディア論 4 子どもの民主主義とオタク文化――「共同視聴」の文化社会学に向けて 引用・参考文献 あとがき Author 永田 大輔 Daisuke Nagata 1985年、栃木県生まれ。明星大学など非常勤講師。専攻はメディア論、文化社会学、映像文化論、労働社会学。共編著に『アニメと場所の社会学――文化産業における共通文化の可能性』『アニメの社会学――アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論』『消費と労働の文化社会学――やりがい搾取以降の「批判」を考える』(いずれもナカニシヤ出版)、共著に『産業変動の労働社会学――アニメーターの経験史』(晃洋書房)、『ビデオのメディア論』(青弓社)、論文に「「二次創作」はいかなる意味で「消費」であるのか――大塚英志の消費論を中心に」(「日本研究」第65号)など。
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マンガって何? マンガでわかる マンガの疑問
¥1,980
マンガミュージアムが、マンガ愛を込めておくるQ & A。今さら聞けないマンガの「?」をともに考える、マンガ研究の入門書! 本書は「マンガって何?」の問いに対してマンガの歴史や作り方、広がり方などさまざまな切り口で考える内容です。意外と知らないマンガにまつわる疑問を考えることで、今まで感じていたマンガの魅力が何倍にもふくらみ、より立体的に楽しめるはずです。浮世絵から海外マンガ、数字でみるマンガ産業、拡大する電子出版……。マンガをとりまくトピック盛りだくさんでご紹介します。 ◎マンガとイラストを織り交ぜながら紹介 本書の登場人(ニャン)物は、京都国際マンガミュージアムで働くことになった新人・ねこ学芸員と教育係のねこ博士。おっちょこちょいだけどやる気とマンガ愛に溢れるねこ学芸員が、ときに熱く、ときに冷静に、博士から教えを受けながら日々成長していく物語です。 [出版社より] 監修・編集|京都国際マンガミュージアム・京都精華大学国際マンガ研究センター 出版社|青幻舎 定 価|1,800円+税 判 型|A5判・並製 頁 数|144 ISBN|978-4-86152-950-4 発 行|2024年05月 Contents 第1章 マンガのはじまりっていつなの? 第2章 マンガって誰が読むの? 第3章 マンガの作り方 第4章 マンガのお約束 第5章 マンガ家はお金持ちなの? 第6章 広がるマンガの楽しみ方 第7章 マンガは世界中で読まれているの? 第8章 世界のマンガにはどんなものがあるの? 実録! ねこ学芸員、中のひと Edit 京都国際マンガミュージアム 博物館と図書館の機能をあわせもったマンガ専門の文化施設。保存されるマンガ資料は、江戸期の戯画浮世絵から明治・大正・昭和初期の雑誌、戦後の貸本から現在の人気作品、海外のものまで約30万点。京都市と京都精華大学の共同事業で、マンガの収集、保管、公開、マンガ文化に関する調査研究やそれらの資料と調査研究に基づく展示やイベントを行っている。 京都精華大学国際マンガ研究センター マンガとその周辺に関する研究機関。40年にわたる京都精華大学での「マンガ」文化に関する教育・研究の蓄積と研究基盤に必要な人的・情報ネットワークを十全に活用することによって、京都国際マンガミュージアムの中核を担う研究機関としての役割を果たしている。
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選挙との対話
¥1,980
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「あなたにとって選挙とは?」 「政治参加の手段?」「民主主義の根幹?」、それとも「行っても/行かなくても変わらないもの……?」 近年、国内外を問わず、選挙のあり方そのものが問われる事態が相次いで起こっている。こうした状況のなかで、選挙に関して「科学的に」わかっていることはなんなのか。またそれを知ることは、私たちの生活にどのように関係してくるのだろうか。 2009年以降、自民党の勝利が続く日本の国政選挙について、政治学やデータ分析の専門家たちはどのように見ているのか。国際的にみて女性の社会進出が遅れているといわれている日本の現状は? またそれを取り巻くメディアの状況は? そして、若い世代が感じている日本の選挙のリアルとは? 科学的な分析に加え、杉並区長へのインタビューやお互いの話を聴き合いながら思索を深める哲学対話から、選挙を、そして政治をより身近にたぐり寄せるためのさまざまなヒントをちりばめた、すべての世代に向けた選挙の新しい入門書。 [出版社より] 編著者|荻上チキ 出版社|青弓社 定 価|1,800円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|180 ISBN|978-4-7872-3546-6 初 版|2024年10月 Contents まえがき 荻上チキ 第1章 なぜ自民党は強いのか?――政治に不満をもつのに与党に投票する有権者 飯田 健 1 自民党の強さ 2 自民党の強さの原因 3 政治に不満をもつにもかかわらず自民党に投票する有権者 4 自民党が負けるシナリオ? 第2章 選挙制度は日本の政治にどう影響しているのか?――自民党一党優位の背景を説明する 菅原 琢 1 自民党の「強さ」の謎 2 もくろみが外れた衆院選挙制度改革 3 小選挙区比例代表並立制が促す終わらない政界再編 4 並立制の解は政党間の協力 5 自民党一党優位は絶対ではない 第3章 なぜ野党は勝てないのか?――感情温度や政党間イメージについて 秦 正樹 1 「野党はふがいない」と言われ続ける理由 2 世論の野党への認識:1――感情温度を用いた分析 3 世論の野党への認識:2――イデオロギーを用いた分析 4 世論の野党への認識:3――政権担当能力評価 5 野党の今後を考える 第4章 なぜ女性政治家は少ないのか?――政治とジェンダー、政治家のメディア表象について 田中東子 1 新聞はどのように女性政治家を報じてきたのか 2 ポピュラー文化と女性リーダーの表象 3 「すべての女性たち」が政治の場で活躍できる社会とは 第5章 政治家にとって対話とは何か?――杉並区長・岸本聡子インタビュー 岸本聡子(聞き手:永井玲衣/荻上チキ) 第6章 私たちはどうやって投票先を決めているのか?――日本の有権者についてわかっていること、データからわかること 大村華子 1 私たちの投票は何によって決まっているのか 2 日本の有権者の投票は何によって決まっているのか 3 データを使ったら、どんなことがわかるのか 第7章 私たちにとって選挙とは何か?――選挙をめぐる哲学対話 永井玲衣/荻上チキ あとがき 荻上チキ Editor & Author 荻上 チキ Chiki Ogiue 評論家。メディア論を中心に、政治経済、社会問題、文化現象まで幅広く論じる。ストップいじめ!ナビ代表理事。社会調査支援機構チキラボ所長。ラジオ番組「荻上チキ・Session」(TBSラジオ)メインパーソナリティ。「荻上チキ・Session-22」で、2015年度ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞、2016年度ギャラクシー賞大賞を受賞。著書に『社会問題のつくり方』(翔泳社)、『いじめを生む教室』(PHP研究所)、『災害支援手帖』(木楽舎)など。
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ビデオのメディア論
¥1,980
1980年代以降、テレビ番組を録画・再生できるビデオデッキが普及したことでタイムシフト視聴が可能になり、ビデオは私たちの映像経験に大きな変容をもたらした。ビデオはどう受容され、メディアとしてどのような射程をもっていたのか。 放送技術であるビデオがニューメディアとして注目されるプロセス、教育現場での受容から家庭への普及、音楽ファンのエアチェック文化とミュージックビデオ受容の連続性、アニメファンのビデオ受容、レンタルビデオ店の成立とそれを可能にした条件――。録画・編集・流通・所有・交換・視聴・消費など、様々な視点からビデオのメディア史に光を当てて、ビデオの社会的な受容の複数性と映像経験の多層性を明らかにする。 DVDの登場や「Netflix」などの定額制の動画配信サービス、各種の動画共有サービスに目配りしながらも、ビデオというメディアの固有性とかつてあった可能性を歴史から掘り起こす。 [出版社より] 著 者|永田大輔・近藤和都・溝尻真也・飯田豊 出版社|青弓社[青弓社ライブラリー] 定 価|1,800円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|256 ISBN|978-4-7872-3513-8 初 版|2022年10月 Contents 序 章 ビデオのメディア論に向けて 永田大輔/近藤和都/溝尻真也/飯田 豊 1 拡張する映像文化とビデオ 2 映像の文化社会学から、ビデオのメディア論へ 3 拡散するビデオ研究とその体系化の困難 4 ビデオの普及/利用をめぐる歴史社会的文脈 5 本書の視角と限界 6 本書の構成 第1部 ビデオのメディア考古学 第1章 放送技術からニューメディアへ――一九五〇―六〇年代における「ビデオ」概念の拡張 飯田 豊 1 ビデオとはテレビである 2 放送技術としてのビデオテープ――初期の放送用VTRの利用 3 作り手と送り手の分離――番組制作会社の誕生 4 ビデオはテレビではない――コミュニケーションのためのニューメディアへ 5 「ビデオ・パッケージ旋風」――視聴者のためのニューメディアへ 第2章 ビデオにおける「教育の場」と「見ること」――一九六〇年代後半―七〇年代の業界紙「ビデオジャーナル」にみる普及戦略を中心に 永田大輔 1 ビデオ受容をめぐる諸議論 2 資料の特性 3 教育とビデオ 4 「教育」と「家庭」の距離 5 結論 第2部 ビデオの社会的受容 第3章 放送番組の保存と所有をめぐる系譜学――一九七〇―八〇年代の音楽ファンとエアチェック文化 溝尻真也 1 エアチェックの流行と感覚の変容 2 一九六〇―七〇年代のラジオ 3 ラジカセの普及とエアチェックの拡大 4 ミュージックビデオ番組とビデオエアチェック 5 「楽しさ」がもたらすメディア普及 第4章 「ビデオが普及すること」が作り出すファン経験の変容過程――一九七〇―八〇年代のアニメ雑誌を素材として 永田大輔 1 普及を経験するということ 2 一般理論としての「普及理論」 3 ビデオ普及の諸特性 4 アニメファンにとっての普及経験 5 結論 第5章 レンタルビデオ店という文化装置――店舗の大規模化を介した旧作ソフトの価値転換 近藤和都 1 レンタルビデオ店の生成 2 違法店から正規店へ 3 「レンタル生活様式」の形成 4 複合化・大規模化するレンタルビデオ店 終 章 ビデオのその後と現在 溝尻真也 1 「ビデオの時代」の始まりと終わり 2 デジタル化される映像 3 撮る技術としてのビデオカメラの展開 4 「YouTube」とSNSの時代にビデオを問い直す 補 論 ビデオとは何か?――その基本的な特徴と歴史 溝尻真也 1 映像記録装置としてのフィルムとビデオ 2 ビデオの基本的な特徴 3 オープンリール式からカセット式へ 4 規格統一と企業間競争 Author 永田 大輔 Daisuke Nagata 1985年、栃木県生まれ。明星大学など非常勤講師。専攻はメディア論、文化社会学、映像文化論、労働社会学。共編著に『アニメの社会学』『消費と労働の文化社会学』(ともにナカニシヤ出版)、共著に『産業変動の労働社会学』(晃洋書房)、論文に「コンテンツ消費における「オタク文化の独自性」の形成過程」(「ソシオロジ」第59巻第3号)など。 近藤 和都 Kazuto Kondo 1989年、愛知県生まれ。大妻女子大学社会情報学部准教授。専攻はメディア研究。著書に『映画館と観客のメディア論』(青弓社)、共編著に『技術と文化のメディア論』(ナカニシヤ出版)など。 溝尻 真也 Shinya Mizojiri 1979年生まれ、福岡県出身。目白大学メディア学部准教授。専攻はメディア論、文化社会学、ポピュラー音楽研究。共著に『音楽化社会の現在』(新曜社)、『スクリーン・スタディーズ』(東京大学出版会)、『改訂版 メディア技術史』(北樹出版)など。 飯田 豊 Yutaka Iida 1979年、広島県生まれ。立命館大学産業社会学部教授。専攻はメディア論、メディア技術史、文化社会学。著書に『テレビが見世物だったころ』(青弓社)、『メディア論の地層』(勁草書房)、共著に『新版 メディア論』(放送大学教育振興会)など。
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空爆論 メディアと戦争
¥2,530
「視ること」は「殺すこと」である――。 支配し、侵略し、殺害する「上空からの眼差し」としての空爆は、第一次世界大戦や日本空爆、朝鮮空爆などを経て、いかに変容し、遠隔爆撃ドローンや現在の戦争における空爆の眼差しへと至ったのか。ウクライナ侵攻まで一貫してつながる「メディア技術としての戦争」を問い直す。 [出版社より] 著 者|吉見俊哉 出版社|岩波書店[クリティーク社会学] 定 価|2,300円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|266 ISBN|9784000271776 初 版|2022年08月 Contents 序章 アイ・イン・ザ・スカイ――アフガニスタン上空 二〇二一年八月、アメリカの敗戦/高度化した「アメリカ的空爆様式」/アイ・イン・ザ・スカイ/メディアとしての空爆――俯瞰する眼と観察者/本書の位置づけと構成 第1章 日本空爆――上空からの眼差しの支 上空から東京を焼き尽くす/B29という巨大プロジェクト/写真偵察機F13からの視線/日本列島はB29空爆の実験場/「上空からの眼差し」の発達 ――気球と飛行船/空からの植民地主義とドゥーエ・テーゼ/日本軍の中国都市への無差別爆撃/「空の帝国」と〈戦争=映像〉の視覚/路上に転がる無数の焼死体/路上の死体は語ることができるか? 第2章 空爆の冷戦、そしてポスト冷戦 東京から平壌へ――朝鮮戦争と空爆/ベトナム戦争と空爆/巨大爆撃機と森のゲリラ戦/未来を予測する空爆システム/湾岸戦争と「ポルノグラフィックな監視」/軍事における革命?――植民地主義は終わらない 第3章 メディアとしてのドローン爆撃 カミカゼ・ドローンの跳梁跋扈/ドローンの歴史を振り返る/アメリカの「カミカゼ」/「カミカゼ」は、いつ始まったのか?/テレビジョンとしての攻撃型ドローン/対日戦争への攻撃型ドローン投入/安全な場所からの帝国主義戦争/〈銃〉と〈眼〉のメディア論的結合 第4章 空爆という上演――眼差しとふるまい 「自爆」としての「カミカゼ」/特攻兵という爆弾の〈眼〉/空爆する帝国 自爆する野蛮/遠くから眺める――眼差しの帝国/地下への潜伏とカモフラージュ/空爆する眼 見ることの権利/再び、路上の死体は語ることができるか? 終章 プーチンの戦争――モバイル時代と帝国の亡者 プーチンの戦争 帝国への妄執/「スパイ」と「俳優」の間にあるもの/ヴィリリオの誤算?/高さの遠近法とデータの遠近法 文献 解説――眼差しのテクノロジーの臨界を描く……北田暁大 あとがき Author 吉見俊哉 Shunya Yoshimi 1957年生まれ.東京大学大学院情報学環教授.著書に『都市のドラマトゥルギー──東京・盛り場の社会史』(河出文庫,2008年),『博覧会の政治学──まなざしの近代』(講談社学術文庫,2010年),『視覚都市の地政学──まなざしとしての近代』(岩波書店,2016年),『平成時代』(岩波新書,2019年),『大学は何処へ──未来への設計』(岩波新書,2021年),『東京復興ならず──文化首都構想の挫折と戦後日本』(中公新書,2021年)など.
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虚像培養芸術論 アートとテレビジョンの想像力
¥3,850
SOLD OUT
1960年代、テレビジョンの想像力=「虚像」がアートを起動した。 磯崎新は都市デザインを虚業と称し、横尾忠則は虚像となり、高松次郎は影を演じた。今野勉はテレビの日常性を主張し、東野芳明は「テレビ環境論」を書いた。マスメディアの想像力を分母に、現代を逆照射する戦後日本芸術論。 本書の目的は、現代芸術がマスメディアを分母とした表現活動を再配置し、テレビジョン=「虚像」が想像力とされた時代の作家像、作品概念を、現代の視点で分析することである。 マスメディア(放送文化と出版文化)を介してはかられる領域横断は、芸術家相互の新たなネットワークを生成し、旧来の制度化された芸術諸分野を解体していた。「虚像の時代」を問い直すこと、つまりオールド・メディア成熟期をテーマにすることは、ニュー・メディア成熟期を迎える現在の批判理論に繋がる。 本書では、東野芳明・磯崎新・今野勉の思考を軸にマスメディアの中の芸術家像を検証しながら、現代美術、現代思想、現代メディア論を縦横無尽に横断し、メディア芸術の歴史的な視座を編み直していく。現代芸術は、抵抗文化としてのラディカルな戦略をいかに設計してきたのかを分析する。 [出版社より] 著 者|松井茂 出版社|フィルムアート社 定 価|3,500円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|312 ISBN|978-4-8459-2030-3 初 版|2021年03月 Contents プロローグ:テレビをつける 第一部 虚像培養国誌 第一章 知覚のボディ・ビルディング──その日常性への上昇 第二章 東野芳明と横尾忠則──ポップ・アートから遠く離れて 第三章 戦後日本におけるマスメディア受容と現代芸術の文化学──高松次郎の場合 第二部 磯崎新論──出来事(ハプニング)の編纂(アーキテクチヤ) 第四章 出来事(ハプニング)の編纂(アーキテクチヤ)──都市デザインとしての《SOMETHING HAPPENS》 第五章 イソ、サム、トーノの《建築空間》──福岡相互銀行大分支店にみる建築と美術の協働 第六章 「かいわい」に「まれびと」が出現するまで──「お祭り広場」一九七〇年 第七章 繰り返し語り、騙られる《コンピューター・エイディド・シティ》をめぐって──一九六八年のテレヴィジョンと幻視者(ヴイジヨナリー) 第三部 アートとテレビジョンの想像力 第八章 マスメディア空間における芸術表現と情報流通──雑誌『現代詩』を事例に 第九章 テレビ環境論 その2──《あなたは…》と《ヴォイセス・カミング》と 第一〇章 流通するイメージとメディアの中の風景 エピローグ:ゼロ地点から向かいます──放蕩娘たちのストリーク あとがき Author 松井 茂 Shigeru Matsui 1975年東京生まれ。詩人、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]准教授。共編に『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(河出書房新社、2013)、『日本の電子音楽 続 インタビュー編』(engine books、2013)等。共著に『FABに何が可能か 「つくりながら生きる」21世紀の野性の思考』(フィルムアート社、2013)、『キュレーションの現在 アートが「世界」を問い直す』(フィルムアート社、2015)、『テレビ・ドキュメンタリーを創った人々』(NHK出版、2016)等。監修に『美術手帖』の特集「坂本龍一」(2017)、「平成の日本美術史 30年総覧」(2019)、『現代思想』「磯崎新」(2020)等。キュレーションに「磯崎新12×5=60」(ワタリウム美術館、2014)、「磯崎新の謎」(大分市美術館、2019)等。詩集に『二●二●』(engine books、2020)等。
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新映画論 ポストシネマ
¥3,300
あらゆる動画がフラットに流通する時代に、映像を語ることが意味するものは? サイレントから応援上映までを渉猟し、ポストシネマの美学を切り拓く。 『新記号論』『新写真論』に続く、新時代のメディア・スタディーズ第3弾。Netflix、TikTok、YouTube、Zoom……。プラットフォームが林立し、あらゆる動画がフラットに流通する2020年代。実写とアニメ、現実とVR、リアルとフェイク、ヒトとモノ、視覚と触覚が混ざりあい、映画=シネマの歴史が書き換えられつつあるこの時代において、映像について語るとはなにを意味するのだろうか? サイレント映画から「応援上映」まで1世紀を超えるシネマ史を渉猟し、映画以後の映画=ポストシネマの美学を大胆に切り拓く、まったく新しい映画論。作品分析多数。 [出版社より] 「著者の正体は、本書に登場する「半・野良猫」かも。好奇心に導かれ、様々な領域を軽々と越境し、自由闊達に論じた映画論だ」 ――想田和弘(映画作家) 「すずさんは「空を飛ばない少女」、上昇に限界がある。そんな彼女にとっての「下降」の意味を語る本書。そうだ、りんさんは桜の木から「下降」して消えていったのだった」 ――片渕須直(アニメーション映画監督) 著 者|渡邉大輔 出版社|ゲンロン[ゲンロン叢書] 定 価|3,000円+税 判 型|四六判・並製 頁 数|480 ISBN|978-4-907188-44-3 発 行|2022年02月 Contents はじめに――新たな映画の旅にむけて 第1部 変容する映画――カメラアイ・リアリティ・受容 第1章 カメラアイの変容――多視点的転回 第2章 リアリティの変容――ドキュメンタリー的なもののゆくえ 第3章 受容の変容――平面・クロースアップ・リズム 第2部 絶滅に向かう映画――映画のポストヒューマン的転回 第4章 オブジェクト指向のイメージ文化――ヒト=観客なき世界 第5章 映画の多自然主義――ヒト=観客とモノ 第6章 「映画以後」の慣習と信仰――ポストシネフィリーの可能性 第3部 新たな平面へ――幽霊化するイメージ環境 第7章 アニメーション的平面――「空洞化」するリアリティ 第8章 インターフェイス的平面――「表象」から遠く離れて 第9章 準-客体たちの平面――インターフェイスとイメージの幽霊性 おわりに――ポストシネマのアナクロニズム あとがき 提供図版一覧 索引 Author 渡邉 大輔 Daisuke Watanabe 1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形』(2012年)、『明るい映画、暗い映画』(2021年)。共著に『リメイク映画の創造力』(2017年)、『スクリーン・スタディーズ』(2019年)など多数。
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中動態の映像学――東日本大震災を記録する作家たちの生成変化
¥2,420
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酒井耕・濱口竜介、鈴尾啓太、小森はるか――。 震災を記録してきた3組の作家たちの実践から、映像メディア理論の新境地を開く。 今日のメディア・テクノロジーは、世界のあれこれの出来事をほとんどリアルタイムに私たちに見せる一方で、それらを次々と処理していくことを同時に要求している。そのなかで私たちは、日々膨大な情報に埋もれてしまい、眼前に存在する他者や未知の出来事をアクチュアルに見る能力を著しく低下させてはいないだろうか? 東日本大震災を記録した3組の「作家」たちの実践を通じて、「中動態」という概念を手がかりに他者と共生するための想像力の可能性を探る。 [出版社より] 「東日本大震災後に生まれた市民アーカイヴ、せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称:わすれン!)」という場の重要性はどれだけ語っても語り尽くせないが、本書の記述の瑞々しさは当時のざわめきを甦らせてくれた。事態のただ中へと巻き込まれ、学び、変わってゆくこと。「中動態の映像学」はここから始まる」 ――濱口竜介(映画監督) 「映像テクノロジーの歴史性や、環境映像環境学の成果をとりいれつつ、東日本大震災にまつわる膨大な映像群を「芸術的中動態」の概念からとらえ、ドゥルーズの『シネマ』論の「世界への信」へと至る。本書は、「見ること」と「作ること」を巡り、「災害」と全員が当事者でありうるこの時代の映像のあり方を鮮烈に示す必読書」 ――檜垣立哉(哲学者) 著 者|青山太郎 出版社|堀之内出版 定 価|2,200円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|273 ISBN|978-4909237637 初 版|2022年01月 Contents はじめに 序 章 〈見る〉をめぐる困難について 第一節 〈見る〉と映像生態系 第二節 〈見る〉の上滑り 第三節 震災をめぐる表現への批判 第四節 〈隔たり〉を行き来する回路 第五節 ポストメディア概念と〈見る〉 第一章 〈見る〉とメディア・テクノロジーの系譜学 第一節 マスメディア批判の言説の系譜 第二節 日本における映像受容空間の変遷 第三節 「意識の技術」としてのニューメディアへの疑念 第四節 フランスのメディア事情の変遷 第五節 ポストメディア論の輪郭 第二章 様々なるアーカイブ論への問い 第一節 アーカイブ理念の再検討 第二節 東日本大震災をめぐるデジタルアーカイブ 第三節 災害アーカイブにおける映像記録の位置づけ 第四節 災害アーカイブ論批判 第三章 映像生態系としての「わすれン!」の特異性 第一節 〈作る〉を支えるせんだいメディアテーク 第二節 「わすれン!」の理念と役割 第三節 コミュニティ・アーカイブとしての位相 第四節 〈見る〉と〈作る〉をアップデートさせる「場」 第四章 三つの映像制作論と作家たちの生成変化 第一節 酒井耕・濱口竜介と〈いい声〉 東北記録映画三部作の概要 対話を記録するという方法 〈いい声〉をめぐる編集 第二節 鈴尾啓太の反復 『沿岸部の風景』という作品について 震災をめぐる姿勢と葛藤 逡巡と葛藤のなかで成立する制作 第三節 小森はるかの触発的記録 記録と表現のあわいをゆく 『あいだのことば』の方法論 『波のした、土のうえ』の方法論 第四節 イメージが立ち現れるということ 第五節 未知なるイメージをつかまえるということ 第五章 〈作る〉と〈見る〉を結び直す中動態論 第一節 中動態をめぐる言語学的検討 第二節 芸術学への中動態の導入 第三節 複眼的中動態と主体性の生成変化 終 章 〈見る〉から〈信じる〉へのイメージ論 第一節 世界への信を回復するということ 第二節 「より深い外部」のイメージ 第三節 〈わからなさ〉を探索するということ おわりに 参考文献 Author 青山 太郎 Taro Aoyama 1987年、愛知県生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(学術)。現在、名古屋文理大学准教授。今日のメディア環境における映像制作の美学と倫理学のあり方を探求している。また、映像デザイナーとして国内外で制作・展示活動を手がける。
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メディアの文明史——コミュニケーションの傾向性とその循環
¥1,650
粘土板と楔形文字というメディアを擁したメソポタミア文明。やがて薄くて軽いパピルスと尖筆が出現し、別の性格を有する社会へと文明が展開する——。 コミュニケーション・メディアの深奥部には〈バイアス=傾向性〉が潜んでおり、長期間使用することによって、新しい社会の特性が決定づけられ、その時代の人々の思考様式などが変化していく。技術革新の進む20世紀半ば、ダイナミックな文明史観とともに、今日的なメディア産業批判にも通じる議論を提示したメディア論の必読古典。マーシャル・マクルーハンの序文を付す。解説=水越伸。 [出版社より] 著 者|ハロルド・イニス 訳 者|久保秀幹 出版社|筑摩書房[ちくま学芸文庫] 定 価|1,500円+税 判 型|文庫版/並製 頁 数|444 ISBN|9784480510846 刊 行|2021年11月 Contents 序文(マーシャル・マクルーハン) ミネルヴァの梟〔文明史におけるメディアの意義〕 コミュニケーションの傾向性〔メディアの特性と文明の諸形態〕 時間を弁護して〔メディアと時間概念の歴史〕 空間の問題〔メディアと空間支配の歴史〕 産業主義と文化的価値〔現代文明と機械化-産業化されたメディア〕 一八世紀のイギリス出版業 合衆国における科学技術と世論 「批判的検討」 付録一 北米におけるコミュニケーションと電磁波資源についてのノート 付録二 成人教育と大学 訳注/訳者あとがき/文庫版訳者あとがき 文庫版解説 現代メディアへの予言の書 水越伸 Author ハロルド・イニス Harold Innis 1894-1952年。カナダ、オンタリオ生まれ。シカゴ大学で博士号取得後、トロント大学教授。政治・経済史学者であると同時に、メディア論、コミュニケーション理論の先駆者。トロント大学においてマーシャル・マクルーハンなどの後継者を生みだし、後の歴史社会学におけるトロント学派の基盤をつくることになった。 Translator 久保秀幹 Shukan Kubo 1950年生まれ。法政大学文学部哲学科卒業、法政大学講師。
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歴史が後ずさりするとき——熱い戦争とメディア
¥1,914
歴史が後ずさりしはじめたかに見える二十一世紀初めの政治・社会の現実を鋭く批判したエーコの発言集。 グローバル化された世界の中での軍事衝突、ポピュリズムや原理主義の台頭、娯楽化するメディア……。歴史があたかも進歩をやめて後ずさりしはじめたかに見える二十一世紀初めの政治・社会の現実に鋭い批判の矢を放ち、異文化への理解や教育のあり方、知識人の使命について独特のアイロニーに富む文体で深い洞察を巡らす。 [出版社より] 著 者|ウンベルト・エーコ 訳 者|リッカルド・アマディ 出版社|岩波書店[岩波現代文庫] 定 価|1,740円+税 判 型|文庫判 頁 数|474 ISBN|9784006004378 初 版|2021年05月 Contents 訳者まえがき エビの歩き方――歴史の後ずさり Ⅰ 戦争、平和、その他のこと 戦争と平和をめぐるいくつかの考察 アメリカを愛し、平和行進には参加 ヨーロッパの展望 狼と羊――濫用の修辞学 ノルベルト・ボッビョ――学者の使命についての再考察 啓蒙主義と常識 遊びからカーニヴァルへ プライヴァシーの喪失 ポリティカリー・コレクトについて 私立学校とは何か 科学、技術、魔術 Ⅱ グレート・ゲームへの逆戻り ワトソンとアラビアのロレンスとの間で この話はどこかで聞いたことがある まず資料をそろえる 戦うには文化を要する 正義の側に立たなくても勝てる グレート・ゲームの記録 言葉は石のようなものだ 言葉の戦争 ビン・ラディンを「理解している」人たち 原理主義、十全主義(インテグラリズム)、人種差別主義 内戦、レジスタンス、テロリズム カミカゼと暗殺者 Ⅲ 十字軍への逆戻り 聖戦、感情、理性 多民族社会における交渉のしかた エルサレム陥落――生中継 ミス、原理主義者、ハンセン病患者 アダム以前の人間の存在をどう取り扱うか Ⅳ 『神学大全』その他 ヨーロッパの根源 キリストの十字架像、風俗と習慣 胎芽の霊魂について 偶然と知的設計論 わしの息子から手を引け 神を信じなくなった人間は何でも信じる ゼロ年を信じる 錬金術を信じる アーモルト神父を信じる 超能力者を信じる テンプル騎士団を信じる ダン・ブラウンを信じる 伝統を信じる トリスメギストスを信じる 第三の秘密を信じる PACSとルイーニ枢機卿 相対主義なのか? Ⅴ 人種の防衛 イタリア人は反ユダヤか? 陰 謀 私の最も親しい友人の何人かは 彼の最も親しい友人の何人かは Ⅵ 第三千年紀初めの黄昏 ある夢 死の短所と長所について 訳者あとがき 岩波現代文庫版 訳者あとがき Author ウンベルト・エーコ Umberto Eco 1932‒2016年。北イタリア・アレッサンドリャ生まれ。ボローニャ大学教授、同大高等人文学研究所所長を歴任。中世美学、記号学、メディア論、小説など幅広い分野で活躍。著書・編著書に『記号論』『薔薇の名前』『開かれた作品』『フーコーの振り子』『バウドリーノ』『永遠のファシズム』『美の歴史』『醜の歴史』など。 Translator リッカルド・アマデイ Riccardo Amadei 1945年、北イタリア・トリーノ生まれ。翻訳者・同時通訳者。訳書にジャンナ・スケロット『誰もがみんな噓をついている』など。
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書き取りシステム 1800・1900
¥9,350
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フーコーとラカンを道具立てに描きだす「書くこと」のメディア論的系譜学。ドイツ・メディア学を牽引したF・キットラーの代表作にして、20世紀後半の知に大きな影響を与えた大著。 ファウストの聖書翻訳が切り開く「1800」の、詩・哲学・教育。ニーチェのタイプライター導入に始まる「1900」の、文学・精神分析・メディア技術。二つの「書き取りシステム」の間で、書く行為はいかにその地位を変容させたか、文学言説の回路はいかなる性差のもとに配置されたか。 厖大な文献を博捜して描く革新的なメディアシステム論であり、フーコー『言葉と物』に比肩しうる人文学の記念碑。 * 「神が控訴院議長シュレーバーのパラノイア的認識に啓示した「書き取りシステム」という語は、ある所与の文化において、有意味なデータをアドレス指定し送り、記録保存し、処理することを可能ならしめる諸技術と諸制度のネットワークを言い表すこともできる。それゆえ、書籍印刷といった技術や、それと連結した文学や大学といった制度は、歴史的に極めて強力な編成を形作るのであり、それはゲーテ時代のヨーロッパにおいて文芸学そのものを可能にする前提条件となった」——本書「あとがき」より [出版社より] 原 書|Aufschreibesysteme. 1800·1900 著 者|フリードリヒ・キットラー 訳 者|大宮勘一郎・石田雄一 出版社|インスクリプト 定 価|8,500円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|840 ISBN|978-4-900997-88-2 発 行|2021年05月 Contents I 一八〇〇 学者悲劇――舞台上の前狂言 ゲーテ『ファウスト』における書物の扱い/解釈学としての聖書翻訳/文学と哲学/聖書に取って代わる教育国家/文学、悪魔との契約、国家公務 母の口 一八〇〇年前後における読み方の学習 母親用初級読本/汎愛主義的識字教育/シュテファーニの音韻読法/標準語としてのドイツ語/ヘルダーの言語人間学と吐息「ああ」/一八〇〇年前後の言語と音楽の諸要素/言語の始まりとしての初級読本/母性的識字教育の回想可能性 母性と官僚制 ペスタロッツィによる母親のための教育学/国家のための母性/教師の官吏化/高等教育機関の二つの性/F・シュレーゲル――哲学と女性について 言語の通信路 翻訳の不-可能性 一般的等価物としての意味/ノヴァーリスにおける、翻訳としての科学と文学/読者アントン・ライザー 黄金の壼 言語の始まりとしての口述による秘義伝授/父親による書き方授業改革/ロマン主義の始原の書字としての自然/官僚神話と図書館幻想/識字教育の愛/無意識の詩人と狂気の官吏/一八〇〇年前後の詩人官吏の二重生活 作者たち、読者たち、作者たち 書くことの陶酔と固定観念/感覚的メディアの代理としての文学/歴史的に過去に属するテクストのシステム統合/作者という機能の定立 乾杯の辞 女性読者という機能…… 一八〇〇年前後の女性作家たちの匿名性/ベッティーナ・ブレンターノと始原の作者ゲーテ/女性たちの詩人としての、ゲーテのタッソー/詩的な愛の告白/ホフマンの、ヒステリー性の女性読者/作者の増殖と読書の規制/女性の読書中毒/文学読本 ……そして神の国 ニートハマーのゲーテ読本/高等学校制度におけるドイツ文学/哲学と大学改革/競合する詩人と哲学者/詩的精神の現象学/話すこと、読むこと、書くことに関するヘーゲル/哲学者、詩人、女性 II 一九〇〇 ニーチェ――ここに悲劇が始まる ニーチェによる古典主義の決算/自動詞的な書く行為の原光景/一九〇〇年前後の言葉屋/三つのメディア――言語、音楽、映画/ニーチェのシニフィアンの論理学/盲目とタイプライター/口述者にして独裁者たるニーチェと彼の女性秘書たち/女性の耳のための哲学 偉大なラルラ 精神物理学 エビングハウスの記憶実験/一九〇〇年前後の言語と音楽の諸要素/モルゲンシュテルンのランダム詩/文化技術と失語症研究/失語症者の文学/実験における聴取と押韻/瞬間露出器を用いた読書研究/ガートルード・スタインの実験における自動書記 技術的メディア 蓄音技術の起源/蓄音機詩と痕跡保全/蓄音機を使った実験での思考奔逸/ベンとツィーエンにおける思考奔逸/ベンの『旅』――言葉から映画館へ/技術的メディアと娯楽文学/自足的メディアとしての高尚文学/文字の精神物理学/モルゲンシュテルンのタイポグラフィー詩/シュテファン・ゲオルゲ書体 判じ絵 翻訳不可能性とメディア変換 ゲオルゲの秘密の言葉の宝庫/個々のメディアの分析と組み立て/精神分析とその裏面/フロイトの夢解釈技法/精神分析vs映画/フロイトの精神物理学的諸前提/寝椅子の上の文字/蓄音機かつ作家としてのフロイト/文学テクストの精神分析/精神病者のテクストの精神分析/シュレーバー、フロイト、フレクスィヒ/シュレーバーに関する「書き取りシステム」/教養の終焉と無意味の快楽 狂気のシミュラークル 文学と精神医学/競合する作家と精神分析家/脳内経路のテクスト化/リルケの「始原のノイズ」における頭蓋骨蓄音技術/『マルテ・ラウリッツ・ブリッゲ』/書く文盲者たち/リアルタイム解析と想像不可能なもの/芸術教育運動における自由作文/精神の官吏たちに代わる偶然の書き手たち/偶然の読者のための偶然の記録保存器/作者の匿名/歴史的に過去に属する女性の書き手たちのシステム統合 クィーンの捨て駒 『未来のイヴ』/精神分析と女性たち/女性たちとタイプライター/ストーカーの『ドラキュラ』――タイプライターの吸血鬼小説/高尚文学と娯楽文学におけるタイピストたち/カフカの恋愛――技術的メディア/最先端の技術水準 あとがき 第三版あとがき 訳注 訳者解題 文献目録 人物目録 カバー写真=デンマーク王立図書館閲覧室(コペンハーゲン)、2010年、港千尋撮影 Author フリードリヒ・キットラー Friedrich A. Kittler 1943年生、2011年歿。ボーフム・ルール大学教授などを経て、1993年よりベルリン・フンボルト大学教授。メディア論を軸に思想・文学・芸術・歴史を論じ、ドイツのメディア学を牽引するのみならず、20世紀後半の諸分野の知に大きな影響を与える。主な著書に、『書き取りシステム1800・1900』(初版1985年)[本書]、『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(1986年)[邦訳=石光泰夫・石光輝子訳、筑摩書房、1999年/ちくま学芸文庫、2006年]、『詩人、母、子』(1991年)、『ドラキュラの遺言』(1993年)[邦訳=原克・大宮勘一郎・前田良三・神尾達之・副島博彦訳、産業図書、1998年]、『文化学の文化史』(2000年)、『視覚的メディア』(2002年)、『不滅の人々――追悼、回顧、亡霊たちの対話』(2004年)、『音楽と数学』2巻(2006–09年、未完)など。 Translator 大宮 勘一郎 Kanichiro Omiya 東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門はドイツ文学・ドイツ思想。著書に『ベンヤミンの通行路』(未來社、2007年)。共著書に『ハインリッヒ・フォン・クライスト――「政治的なるもの」をめぐる文学』(インスクリプト、2020年)、『纏う――表層の戯れの彼方に』(水声社、2007年)ほか。訳書に『ゲーテ ポケットマスターピース02』(編訳、集英社文庫、2015年)、『フロイト全集19』(共訳、岩波書店、2010年)、フリードリヒ・キットラー『ドラキュラの遺言』(共訳、産業図書、1998年)ほか。 石田 雄一 Yuichi Ishida 中央大学法学部教授。専門はドイツ文学・ドイツ思想。共著書に『〈新しい人間〉の設計図――ドイツ文学・哲学から読む』(青灯社、2015年)ほか。訳書に『フロイト全集19』(共訳、岩波書店、2010年)、ハイナ・ミュラー『闘いなき戦い』(共訳、未來社、1993年)ほか。
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ポスト・アートセオリーズ 現代芸術の語り方
¥2,530
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拡散する現代アートに対峙する理論とは何か。 芸術の終焉、ポストモダニズム、ポストセオリーの時代を越えて、来るべき理論を探る野心作。 1980年代、アーサー・ダントーは「芸術の終焉」を唱えた。しかし、その後、現代アートはグローバル資本主義の拡大に同伴するかのように爆発的な隆盛を見せる。一方、芸術に向き合ってきた人文学はポストモダニズムの席巻の後、社会主義の崩壊、メディア技術の発展やアート自体の拡散も相俟って、理論的なものが後退してゆく。果たしていまや、この事態に斬り込む言葉はあるのか。本書では、「理論」を牽引するジャーナル『オクトーバー』『クリティカル・インクワイアリー』の変遷を軸に、現代思想とアートの複雑な絡み合いを読み解く。米国を越えて加速する世界規模の知のサーキュレーションを背景に、かつての理論的地平の乗り越えを試みる。 [出版社より] 著 者|北野圭介 出版社|人文書院 定 価|2,300円+税 判 型|四六判・並製 頁 数|280 ISBN|9784409100448 初 版|2021年03月 Contents はじめに Ⅰ 理論 1 「芸術の終焉」以降のアートの語り方 「ポストアート」という語り方/「芸術とは何か」という問いの深化/「芸術とは何か」という問いとはどのような問いか/デュシャンとウォーホール/メタ実在論としての「芸術の終焉」論 2 ポストモダニズムとはどのようなものであったのか ポストモダニズム美学、その前夜/ポストモダニズム美学、その祭りの後から/記号とは何でなかったのか/記号の前と後、あるいは形而上学の一歩手前/モノを旋回する『オクトーバー』/「対象性」の奈落①/「対象性」の奈落②/分析哲学の「オクトーバー」/作品なる対象を支えるメディウムの彷徨い 3 ポストセオリーという視座 理論の危機の諸相/二一世紀における知の基盤としてのメディア論/モノの迷路を問いただすミュージアム/ひとが作品を欲望するのか、作品がひとを欲望するのか/哲学を穿つメディア論/ポストメディウム論以後のメディア研究/モノ、メディウム、アートの三角形/折り重なるメディウム/「対象」なきあとの芸術実践/参加のダイナミズム/ダイナミズムのなかの参加/アートなる力動態、その形態学/人間、すなわち、イメージと画像が往還するメディウム/三つの展覧会が指し示すもの Ⅱ 批評 1 分断された肉体――寺山修司 2 ポストモダニズムを射抜く――ミックスド・メディア・シアター 3 紅のバラ――ピナ・バウシュ「窓拭き人」 4 イメージのマテリアリティ――アラン・セクーラ 5 イメージの制御、その行方――「渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉」 6 呼び覚まされる声――三輪眞弘+前田真二郎「モノローグ・オペラ『新しい時代』」 7 黒いコードの群れ──クリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」 Ⅲ 討議 冷戦終結以降におけるアートと思想のサーキュレーション ――ミハイル・ヤンポリスキーを手がかりに[+乗松亨平、番場俊] ヤンポリスキーと「理論」の行方/アメリカのヤンポリスキー――アヴァンギャルド、『オクトーバー』、ポスト冷戦/メディウムと存在論の狭間で あとがき 人名索引 Author 北野 圭介 Keisuke Kitano 1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、メディア論。2012年9月から2013年3月まで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ客員研究員。著書に『ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年/新版2017年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義 オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)、『映像論序説 〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)、『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』(人文書院、2014年)。編著に『映像と批評ecce[エチェ]』1~3号(2009年~2012年、森話社)、訳書にD・ボードウェル、K・トンプソン『フィルムアート 映画芸術入門』(共訳、名古屋大学出版会、2007年)、アレクサンダー・R・ギャロウェイ『プロトコル』(人文書院、2017年)など。
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マテリアル・セオリーズ 新たなる唯物論にむけて
¥2,530
物質に回帰する理論の群れ。 新しい唯物論、思弁的実在論、オブジェクト指向存在論などの新しい現代思想をはじめ、21世紀のバズワードとなった人新世をめぐる議論、あるいはメディア論におけるプラットフォームへの着目、人文社会学における情動論など、今日、人文諸学の基礎理論の周りには、「物質」、「テクノロジー」、「情動」といった言葉がはげしく飛び交っている。世界的規模で爆発的に展開している、その潮流はどこから来たのか。そして、どこへ向かうのか。各分野をまたいで繰り広げられる、濃密な議論の応酬。 建築、美術、哲学、映画研究、フェミニズム、メディア論、社会学など第一線の研究者20名による、8本の討議が浮かび上がらせる、最前線の知の光景。 [出版社より] 編 者|北野圭介 出版社|人文書院 定 価|2,300円+税 判 型|四六判・並製 頁 数|306 ISBN|9784409030998 初 版|2018年08月 Contents 序 表象からものへ、ものから表象へ Ⅰ ものをめぐる新しい思考 1 新しい唯物論の可能性とその限界――兆候としてのモノ +アレクサンダー・ザルテン ニュー・マテリアリズムの興隆とその起源 セオリーか兆候か アニミズムと資本主義の連関 死と時間の問題 イメージの循環と変化 ものとのあるべき関係を探して 2 人新世とフェミニズム +飯田麻結+依田富子 「人新世」をめぐる問題圏の拡がりと強度 ハラウェイの影響と継承 思考不可能性という問題をどう立て直すか 誰が人新世を語ることができるのか Ⅱ ポストメディア、ポストヒューマン 3 メディアテクノロジーと権力――ギャロウェイ『プロトコル』をめぐって +伊藤守、大山真司、清水知子、水嶋一憲、毛利嘉孝、北村順生 ネットワーク化する権力と対抗運動 〈帝国〉とプロトコルの現在へ プロトコルへの戦術的応答 プロトコルはパワフルなのか 『資本論』と人工生命 読解のための三つのポイント カルチュラル・スタディーズ、人工知能 技術決定論への回帰? 4 ポストメディウム理論と映像の現在 +加治屋健司+門林岳史+堀潤之+前川修 ポストメディウム理論の限界 マノヴィッチ/ベルール クラウスの批評戦略 メディウム以降の美術 メディウム間の棲み分け 5 リダンダンシー・ハビトゥス・偶然性――ポストヒューマニズムの余白に +坂元伝+佐藤良明+リピット水田堯+山内志朗 ポストヒューマンとリダンダンシー 接頭辞「ポスト」の行方 「無意識」以後のit 創発性の建築空間 エンボディメント(身体化)とは何か 「自由」というファンタジー 6 映画をめぐる新しい思考のために +宇野邦一+リピット水田堯 フレームとは何か 映画における過剰なもの 身体の還元不可能性 「見者」の身体 映画と精神分析 Ⅲ 「日本」をめぐって 7 日本哲学のポジショニング +檜垣立哉 日本哲学の現代性 西田幾多郎の強度 ポストモダンと京都学派 哲学と批評の交わらなさ マルチ・ナチュラリズム 未来のテクネー論へ 8 日本社会をいかに語るか――来るべきカルチュラル・スタディーズ +吉見俊哉 バーミンガム学派の役割 カルチュラル・スタディーズとの出会い 『思想の科学』とカルチュラル・スタディーズ 社会学とカルチュラル・スタディーズの関係 アジアとの連携へ 敵と「添い寝」する戦略 グローバリゼーションの渦の中で 「理論」の役割 流行思想からの跳躍 大衆文化とカルチュラル・スタディーズ 日本近代の特殊性 日本に期待されるもの 「文化」を再定義する あとがき――言葉の揺れのなかで 人名索引 Editor 北野 圭介 Keisuke Kitano 1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、メディア論。2012年9月から2013年3月まで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ客員研究員。著書に『ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年/新版2017年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義 オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)、『映像論序説 〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)、『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』(人文書院、2014年)。編著に『映像と批評ecce[エチェ]』1~3号(2009年~2012年、森話社)、訳書にD・ボードウェル、K・トンプソン『フィルムアート 映画芸術入門』(共訳、名古屋大学出版会、2007年)、アレクサンダー・R・ギャロウェイ『プロトコル』(人文書院、2017年)など。
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クリティカル・ワード メディア論——理論と歴史から〈いま〉が学べる
¥2,420
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メディアの織りなす世界を読み解く35のキーワード。 ゲーム、ソフトウェア、モバイルから、資本、ジェンダー、観光、軍事まで……。 現在/過去の文化と社会を一望できる、メディア論の新しい教科書! 2020年代を迎えた現在、インターネット以降のテクノロジーやスマートフォン、SNSの一般化はさらに進み、メディアの在り方は大きく変容し続けています。今やグローバル資本主義と政治的分断の加速は前提となり、メディアを取り巻く社会や文化、私たち人間の状況は、かつてないほどの大きな変化にさらされています。「メディア論」は常にアップデートされ続ける研究分野であり、その意味でも現代社会を考える上でますます重要な分野になっていると言えるでしょう。 本書では、メディア論における近年の新たな動向や、メディア理論の歴史的な系譜を現代的な視点で整理し直し、さらにメディアの実践を横断的にとらえて論じることを試みた、これまでになかったメディア論の入門書です。 豪華執筆陣による、メディア論の新たな射程を編み直す一冊! [出版社より] 編著者|門林岳史・増田展大 出版社|フィルムアート社 定 価|2,200円+税 判 型|四六判・並製 頁 数|296 ISBN|978-4-8459-2006-8 初 版|2021年02月 Contents はじめに 門林岳史・増田展大 第1部 理論編──メディア理論の現在 1 身体 門林岳史・増田展大 2 知能 原島大輔 3 遊び/ゲーム 吉田寛 4 ニューメディア/ソフトウェア 堀潤之 5 アーカイヴ 大久保遼 6 メディアエコロジー 門林岳史 7 プラットフォーム 増田展大 8 政治とメディア 清水知子 9 資本とメディア 水嶋一憲 10 ポストヒューマン 飯田麻結 第2部 系譜編──メディア思想の潮流 1 フランクフルト学派 竹峰義和 2 マクルーハンとトロント学派 門林岳史 3 ドイツのメディア哲学 鈴木恒平 4 カルチュラル・スタディーズとメディア論 毛利嘉孝 5 ジェンダーとメディア 田中洋美 6 ポストメディア 門林岳史 7 アートとメディア 馬定延 第3部 歴史編──メディア考古学の実践 1 複製メディア 増田展大 2 出版メディア 門林岳史 3 画像メディア 増田展大 4 聴覚メディア 福田貴成 5 音声メディア 秋吉康晴 6 触覚メディア 水野勝仁 7 没入メディア 岩城覚久 8 憑依メディア 浜野志保 9 ヴァナキュラー・メディア 前川修 10 スクリーン・メディア 大久保遼 11 インターネット・メディア 喜多千草 12 モバイル・メディア 光岡寿郎 13 観光メディア 佐藤守弘 14 物流メディア 遠藤英樹 15 通信メディア 飯田豊 16 金融メディア 山本泰三 17 軍事メディア 松谷容作 18 司法メディア 橋本一径 人名索引 事項索引 Editor 門林 岳史 Takeshi Kadobayashi 関西大学文学部映像文化専修教授。専門はメディアの哲学、映像理論。著書に『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?──感性論的メディア論』(NTT出版、2009年)、訳書にマーシャル・マクルーハン&クエンティン・フィオーレ『メディアはマッサージである──影響の目録』(河出文庫、2015年)、ロージ・ブライドッティ『ポストヒューマン──新しい人文学に向けて』(監訳、フィルムアート社、2019年)など。 増田 展大 Nobuhiro Masuda 九州大学大学院芸術工学研究院講師。専門は写真史・写真論、映像メディア論。著書に『科学者の網膜──身体をめぐる映像技術論:1880-1910』(青弓社、2017年)、『インスタグラムと現代視覚文化論──レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』(分担執筆、ビー・エヌ・エヌ、2018年)、『スクリーン・スタディーズ──デジタル時代の映像/メディア経験』(分担執筆、東京大学出版会、2019年)など。
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コンヴァージェンス・カルチャー ファンとメディアがつくる参加型文化
¥4,070
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オードリー・タン氏(台湾デジタル担当政務委員大臣)推薦! メディア論・ファンダム研究の名著、待望の邦訳! 『サバイバー』、『アメリカン・アイドル』、『マトリックス』、『スター・ウォーズ』、『ハリー・ポッター』……世界的ヒットを記録したエンターテインメントは、多くのファンたちが積極的に参加することで熱狂の渦が生まれた。映画やアニメ、ゲーム、コミックなど多岐にわたるメディア・プラットフォームのもとに、ポップカルチャーのファンたちは集まり、コミュニティをつくる。そこは新しい知識が生み出され、主体的な参加が促される創造的な場である。もはやメディア産業もファンダムを無視してコンテンツをつくることはできない。 本書は、メディア研究の第一人者が、<コンヴァージェンス>の理論をもちいてトランスメディアの複雑な関係を読みとく古典的名著。ファンと産業界が衝突しながらもともに切りひらいてきた豊かな物語世界の軌跡をたどり、参加型文化にこれからの市民社会を築く可能性を見出す。もう消費するだけでは満足できないファンたちは、どこへ向かうのか? 企業を揺さぶり、社会をも変えてきた、ポップカルチャーの力を探る。 ◎コンヴァージェンスとは…… 1. 多数のメディア・プラットフォームにわたってコンテンツが流通すること 2. 多数のメディア業界が協力すること 3. オーディエンスが自分の求めるエンターテインメント体験を求めてほとんどどこにでも渡り歩くこと [出版社より] 著 者|ヘンリー・ジェンキンズ 訳 者|渡部宏樹 北村紗衣 阿部康人 出版社|晶文社 定 価|3,700円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|556 ISBN|978-4-7949-7248-4 初 版|2021年02月 Contents イントロダクション「コンヴァージェンスの祭壇で祈ろう」 ──メディアの変容を理解するための新しいパラダイム 第1章 『サバイバー』のネタバレ ──知識コミュニティの解剖学 第2章 『アメリカン・アイドル』を買うこと ──私たちはリアリティ番組でどのように売られるか 第3章 折り紙ユニコーンを探して ──『マトリックス』とトランスメディアのストーリーテリング 第4章 クエンティン・タランティーノの『スター・ウォーズ』? ──草の根の創造性とメディア産業の出会い 第5章 どうしてヘザーは書けるのか ──メディアリテラシーとハリー・ポッター戦争 第6章 民主主義のためのフォトショップ ──政治とポップカルチャーの新しい関係 結論 テレビを民主化する? ──参加の政治学 あとがき ──YouTube時代の政治を振り返る Author ヘンリー・ジェンキンズ Henry Jenkins 南カリフォルニア大学教授。コミュニケーション&ジャーナリズム研究科、映画芸術研究科、ならびに教育研究科で、デジタル時代の参加型文化やファンダム、若者教育などを教えている。同校着任以前はマサチューセッツ工科大学(MIT)にて比較メディア研究プログラムを立ち上げ、ディレクターを長らく務めた。著書にTextual Poachers: Television Fans and Participatory Culture、Comics and Stuff 、共著にParticipatory Culture in a Networked Eraなどがある。 Translator 渡部 宏樹 Koki Watabe 筑波大学人文社会系助教、エジプト日本科学技術大学客員助教。 北村紗衣 Sae Kitamura 武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』(白水社)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房)など。 阿部康人 Yasuhito Abe 駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部グローバル・メディア学科講師。
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プライバシー・パラドックス データ監視社会と「わたし」の再発明
¥2,970
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「プライバシーの死」は加速する!? 「デジタル庁」「データ戦略」等、デジタル国家へと急旋回する日本社会に向けた警告の書、緊急刊行!個人データが収集されていることを知りながら、嬉々としてデジタルツールを使い続ける。「プライバシー」をめぐって矛盾した行動を取り続けるわたしたちは、すでに「プライバシーの死」を受け入れているのか? 「プライバシー・パラドックス」といういま最も困難な問題を、メディア美学者の武邑光裕が、欧州の歴史を縦横にたどりながら解き明かす! データビジネス、データガバナンス関係者は必読!(編集担当:黒鳥社 若林恵) [出版社より] 著 者|武邑光裕 出版社|黒鳥社 定 価|2,700円+税 判 型|B5変形判/並製 頁 数|176 ISBN|978-4-9911260-3-1 発 売|2020年12月 Contents 序文 現在 義務 未来 歴史 民意 自己 操作 双子 秘密 魔術 補稿 後記 Author 武邑 光裕 Mitsuhiro Takemura メディア美学者。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東 京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。1980 年代 よりメディア論を講じ、VR からインターネットの黎明期、現代 のソーシャルメディアから AI にいたるまで、デジタル社会環境 を研究。2013 年より武邑塾を主宰。 著書『記憶のゆくたてーデジタル・アーカイヴの文化経済』〈東京大学出版会〉、『さよならインターネット ――GDPRはネットとデータをどう変えるのか』〈ダイヤモンド社〉など。
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精選 シーニュ
¥1,540
20世紀フランスを代表する思想家モーリス・メルロ=ポンティ(1908‐61)が死の前年にまとめた論集『シーニュ』。同書には、言語学、絵画論、人類学への言及や、フッサール論、ベルクソン論、マキアヴェッリ論など、おもに中期から晩年にかけて執筆された多彩な論考が収録されており、その多中心的な思想を一望するうえで欠かせない一冊となっている。本書ではそのなかから、ニザンとサルトルとの関わりが美しく綴られた序文のほか、「間接的言語と沈黙の声」「哲学者とその影」など重要論考6本をセレクトし、新訳。清新な訳文と懇切丁寧な注釈・解説により、その真価が明らかとなる。文庫オリジナル。 [出版社より] 著 者|モーリス・メルロ=ポンティ 編訳者|廣瀬浩司 出版社|筑摩書房[ちくま学芸文庫] 定 価|1,400円+税 判 型|文庫版/並製 頁 数|416 ISBN|978-4-480-51002-0 初 版|2020年09月 Contents 間接的言語と沈黙の声 モースからレヴィ=ストロースへ 哲学者とその影 生成しつつあるベルクソン マキアヴェッリについての覚書 Author モーリス・メルロ=ポンティ Maurice Merleau-Ponty 1908‐61年。高等師範学校卒業。コレージュ・ド・フランス教授。実存主義、現象学的思想を代表するフランスの哲学者。人間の行動、身体、言語、芸術などに深い哲学的洞察を示し、さまざまな文化領域に多大な影響を及ぼした。サルトルとともに『レ・タン・モデルヌ』誌を創刊し、多くの政治的発言を行なったことでも知られる。 Editor / Translator 廣瀬 浩司 Koji Hirose 1963年生まれ。筑波大学人文社会系教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。パリ第1大学博士(哲学)。著書に『後期フーコー』『デリダ――きたるべき痕跡の記憶』などが、訳書に『ミシェル・フーコー講義集成9 生者たちの統治』などがある。
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記号論講義 日常生活批判のためのレッスン
¥1,870
社会やモノやメディアが現代人に発信してくる記号の嵐。それに飲み込まれず日常を生き抜くためには、どのような力が必要なのか。本書は、現代思想の基礎となるソシュールやパースの記号論から始まり、テレビCMや雑誌広告・アートと建築・身体と権力・ニュース報道・スポーツイヴェント・サイバースペースにおけるコミュニケーションの各論へと、11のレッスン形式で構成される。それらを通して、読者はセミオ・リテラシー、つまり「意味批判力」を獲得することができるはずだ。東京大学での講義をもとに書かれた、新しい記号論の教科書。 [出版社より] 著 者|石田英敬 出版社|筑摩書房[ちくま学芸文庫] 定 価|1,700円+税 判 型|文庫版/並製 頁 数|640 ISBN|978-4-480-09989-1 初 版|2020年07月 Contents モノについてのレッスン 記号と意味についてのレッスン メディアとコミュニケーションについてのレッスン “ここ”についてのレッスン 都市についてのレッスン 欲望についてのレッスン 身体についてのレッスン 象徴政治についてのレッスン “いま”についてのレッスン ヴァーチャルについてのレッスン Author 石田 英敬 Hidetaka Ishida 1953年、千葉県に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院情報学環長、総合文化研究科言語情報科学専攻教授。専攻、記号学・メディア論、言語態分析。特に19世紀以後のメディア・テクノロジーの発達と人間文明との関係を研究。編訳書に『ミシェル・フーコー思考集成(全10巻)』、『フーコー・コレクション(全6巻+ガイドブック)』(筑摩書房)、著書に『知のデジタル・シフト』(弘文堂、編著)『アルジャジーラとメディアの壁』(岩波書店、共著)『記号の知/メディアの知』(東京大学出版会)などがある。
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新記号論 脳とメディアが出会うとき
¥3,080
ゲンロンカフェ発 伝説の白熱講義を完全収録! クロマニョン人とリュミエール兄弟、スピノザとニューロサイエンス、フロイトとiPadが軽やかに結びつく、超時代・超領域の連続講義。 やがて聴衆は、人文学と認知科学が団結し、ファシズムに立ち向かう瞬間を目の当たりにする。 われわれの認知を、コミュニケーションを、政治行動を、テクノロジーはどのように規定しているのか。インターフェイスに囲まれて生きる現代人の必携・必読の書。 脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる! [出版社より] 著 者|石田英敬・東浩紀 出版社|ゲンロン 定 価|2,800円+税 判 型|四六判 頁 数|450 ISBN|978-4-907188-30-6 初 版|2019年03月 Contents はじめに 東浩紀 講義 石田英敬+東浩紀 第1講義 記号論と脳科学 メディア論の問い/なぜ記号論は廃れたのか/現代記号論の限界/技術的無意識の時代/フッサールは速記で考えた/チャンギージーの発見/ヒトはみな同じ文字を書いている/ドゥアンヌの読書脳/ニューロンリサイクル仮説/一般文字学はなにをすべきか 第2講義 フロイトへの回帰 不思議メモ帳の問題/語表象と対象表象/『夢解釈』読解における新発見/意識はどこにあるのか/夢のシネマ装置/超自我は聴覚帽の内在化である/人文学の危機/ライプニッツに帰れ/アンドロイドは電気羊の夢を見る/ドリームデコーディング/夢の危機と夢見る権利 第3講義 書き込みの体制(アウフシュライベジステーム)2000 1 情動と身体――スベテが「伝わる」とき フロイトとスピノザ/ダマシオ『スピノザを探して』/『神経学的判断力批判』の可能性 2 記号と論理――スベテが「データ」になるとき 記号のピラミッドと逆ピラミッド/パースとデリダ/人工知能の原理/記号接地問題/ふたつの現象学 3 模倣と感染――スベテが「ネットワーク」になるとき スピノザと模倣/光学モデルの限界/資本主義の四つの柱/なぜ記号論か/六八年革命の評価/ タルドとドゥルーズ=ガタリ/書き込みの体制2000にどう向き合うか 補論 石田英敬 4つの追伸 ハイパーコントロール社会について 文字学、資本主義、権力、そして自由 おわりに 石田英敬 Author 石田 英敬 Hidetaka Ishida 1953年千葉生まれ。東京大学教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(2010年)『大人のためのメディア論講義』(2016年)、編著書に『フーコー・コレクション』全六巻(2006年)ほか多数。 東 浩紀 Hiroki Azuma 1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年)『動物化するポストモダン』(2001年)『一般意志2.0』(2011年)『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年)ほか多数。