見慣れた景色、何の変哲もなくみえるこの世界……当たり前すぎて気づかない、ふつう考えもしない身の回りのことについて、いろいろな方向から手当たり次第に、いつもとはちょっと違う見方で「人類学的」に観察の目を注いでみると、思いもかけない驚異に満ちた世界が露わになる。私たちが生きているのは、退屈なわかりきった世界ではない。この世界そのものが奇蹟なのだ。知っていたつもりの「未知の世界」へ誘う、人類学者による観察+考察のエクササイズ。
私たちのこの世界は、人類学者インゴルドの言う「生きものとして住み込んでいる」視点から見たとき、どのような世界として在るのだろうか。それは科学が外側から研究対象とする世界と全く同一のものなのだろうか。
「「私たちの生きるこの世界」「普遍的な単一の自然」「誰にとっても同じ物質」といった、真剣に検討することもなく私たちが受けいれている暗黙の前提について、自らの体験に照らして具体的に再審理を試みること。そこから始めなければ、人類学は人類学たりえないだろうというのが、現時点で私の辿り着いた考えなのである」(本文より)
[出版社より]
著 者|古谷嘉章
出版社|古小烏舎
定 価|2,000円+税
判 型|四六判・並製
頁 数|256
ISBN|978-4-910036-01-4
発 行|2020年11月
Contents
第一章 水と土のバラード
・人間たちの住む世界―地球の表面は大気の底である
・土に埋めるモノ―ゴミと宝物と遺体
・凸と凹―人間の生活が景観に遺す痕跡
・アスファルトという表皮―世界は繕い続けなければ劣化する
第二章 どの材料で何を作るか
・ただの石というものはない―石器時代人の鉱物学
・粘土とプラスチック―何でも作れる可塑的物質の汎用性
・裸の王様の衣装―子供には見えない豪華な素材
第三章 道具というモノ
・住むための人間の家―動物の巣は家とよべるのか
・車輪のための道 歩いてできる道―舗装された車道と高山の山道
・調理に使えない調理用の土器―容器の性能と美的価値
第四章 いろいろな体
・私たちの体の中の宇宙―至近距離にある不可視の世界
・腐敗と発酵―微生物との持ちつ持たれつ
・人はなぜ像をつくるのか―仏像や神像は代役にすぎないのか
・朽ち果てるべき木像―耐久性偏愛は普遍的ではない
第五章 触ると触れる
・触知性―脳は知らなくても皮膚が知っている世界
・自分に触れる、他人に触れる―人間にとって触れ合いとは何か
・ウイルス感染を避けて―人間は触れ合わずに生きられるのか
・インターネットに触れる―人と世界のインターフェイス
第六章 見える世界・見えない世界
・見かけと人種差別―目をつぶれば人種差別は無くなるのか
・放射線を出す物質―瀰漫する見えない何かの気配
・電気と神霊―遍在する見えないパワー
第七章 千変万化・生生流転
・調理という科学実験―物質を変化させて食べられるようにする技
・間 あそび―隙間は何もないわけではない
・世界そのものが生きている―人類学者インゴルドの世界像
・世界は物質の流れのなかにある―作ることと生まれ育つこと
・マルチナチュラリズム―人類学者ヴィヴェイロス・デ・カストロの世界像
・私たちの生きている世界そのものが奇蹟なのだ
Author
古谷 嘉章 Yoshiaki Furuya
東京生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。九州大学大学院比較社会文化研究院教授。著書に『異種混淆の近代と人類学―ラテンアメリカのコンタクト・ゾーンから』(人文書院、2001)、『憑依と語り―アフロアマゾニアン宗教の憑依文化』(九州大学出版会、2003)、『縄文ルネサンス―現代社会が発見する新しい縄文』(平凡社、2019)、『「物質性」の人類学―世界は物質の流れの中にある』(共編著、同成社、2017)などがある。
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