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崇高と美の起源
¥1,870
美と崇高という観念が快と苦/恐怖を生じると論じ、ロマン派芸術への道を拓いた美学史上に残る不朽の名著、待望のコンパクト版。 「私の意図は、美を崇高と区別して考察することであり……どの程度まで美と崇高が一致するのかを検討することである」。巨大で危険な対象がもたらす感動「崇高」は恐怖と緊張を喚起して神経を運動させる。一方「美」は身体全体の組織を弛緩させて快を生じ、「愛」の情念を生み出し、社交をも促進する。崇高と美は市民社会構成のための主要な社会的原理であるとし、19世紀ロマン派への道を拓いた美学史上に残る不朽の名著。 [出版社より] 著 者|エドマンド・バーク 訳 者|大河内昌 出版社|平凡社[平凡社ライブラリー] 定 価|1,700円+税 判 型|B6変型判/並製 頁 数|272 ISBN|9784582769654 発 行|2024年04月 Contents 趣味に関する序論 第一部 第一節 目新しさ 第二節 苦と快 第三節 苦の除去と積極的な快の違い 第四節 お互いに対比されるものとしての悦びと快 第五節 嬉しさと悲しさ 第六節 自己保存に属する情念について 第七節 崇高について 第八節 社交に属する情念について 第九節 自己保存に属する情念と性的な社交に関する情念の差異の究極原因 第一〇節 美について 第一一節 社交と孤独 第一二節 共感、模倣、野心 第一三節 共感 第一四節 他人の苦痛への共感の効果 第一五節 悲劇の効果について 第一六節 模倣 第一七節 野心 第一八節 総括 第一九節 結論 第二部 第一節 崇高によって引き起こされる情念について 第二節 恐怖 第三節 曖昧さ 第四節 情念に関する明晰さと曖昧さの違いについて (第四節) 同じ主題のつづき 第五節 力 第六節 欠如 第七節 広大さ 第八節 無限 第九節 連続性と画一性 第一〇節 建築物の大きさについて 第一一節 快適な対象における無限 第一二節 困難さ 第一三節 壮麗さ 第一四節 光 第一五節 建築物の中の光 第一六節 崇高を生み出すものとしての色彩 第一七節 音と音量 第一八節 唐突さ 第一九節 中断 第二〇節 動物の叫び声 第二一節 臭いと味──苦みと悪臭 第二二節 触覚と苦 第三部 第一節 美について 第二節 均整は植物の美の原因ではない 第三節 均整は動物の美の原因ではない 第四節 人間の種において均整は美の原因ではない 第五節 均整に関するさらなる考察 第六節 合目的性は美の原因ではない 第七節 合目的性の本当の効果 第八節 要約 第九節 完全性は美の原因ではないということ 第一〇節 美の観念はどの程度まで精神の性質に適用できるのか 第一一節 美の観念はどの程度まで徳に適用できるのか 第一二節 美の本当の原因 第一三節 美しい対象は小さい 第一四節 滑らかさ 第一五節 漸進的変化 第一六節 繊細さ 第一七節 色彩における美 第一八節 要約 第一九節 顔立ち 第二〇節 目 第二一節 醜さ 第二二節 優雅さ 第二三節 気品ともっともらしさ 第二四節 触覚における美 第二五節 音の美 第二六節 味覚と臭覚 第二七節 崇高と美の比較 第四部 第一節 崇高と美の作用因について 第二節 観念連合 第三節 苦と恐怖の原因 第四節 同じ主題のつづき 第五節 いかに崇高が生み出されるのか 第六節 いかにして苦は悦びの原因となりうるのか 第七節 より精妙な器官に必要な運動 第八節 なぜ危険でないものが恐怖に似た情念を生み出すのか 第九節 なぜ巨大な視覚対象は崇高であるのか 第一〇節 巨大さにはなぜ統一性が必要なのか 第一一節 人為的無限 第一二節 振動は似かよっていなければならない 第一三節 視覚対象における連続の効果の説明 第一四節 暗闇に関するロックの見解についての考察 第一五節 暗闇はそれ自身の性質によって恐ろしい 第一六節 なぜ暗闇は恐ろしいのか 第一七節 黒色の効果 第一八節 黒の効果の緩和 第一九節 愛の身体的原因 第二〇節 滑らかさはなぜ美しいのか 第二一節 甘さ、その性質 第二二節 甘さは弛緩をもたらす 第二三節 変化はなぜ美しいのか 第二四節 小ささについて 第二五節 色彩について 第五部 第一節 言葉について 第二節 詩の一般的な効果は事物の観念を喚起することによるのではない 第三節 観念に先立つ一般語 第四節 言葉の効果 第五節 イメージを喚起することなく言葉が作用するいくつかの例 第六節 詩は厳密には模倣芸術ではない 第七節 いかにして言葉は情念に作用するのか 初版への序文 第二版への序文 訳者解題 大河内昌 平凡社ライブラリー版 訳者あとがき 解説 井奥陽子
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ニューメディアの言語——デジタル時代のアート、デザイン、映画
¥2,420
新たな文化的論理の作動。視覚文化の変貌に迫った21世紀の古典。 デジタル・テクノロジーの登場と進展は、既存のメディアを変えただけでなく、独自のメディアも生み出した。それは1990年代からいっそう顕著となる。本書は、〈ニューメディア〉を特徴づける原則を抽出し、デジタル・マテリアリズムとでも呼ぶべき方法で、体験を構成する諸概念を鮮やかに分析。また同時に、視覚文化の変貌を歴史的に位置づけていく。ニューメディアにおいては、いかなる論理がその発展を駆動しているのか、そして映画に代表される旧来の文化的形態との連続と断絶とは──。 犀利な視線を通して新たな美学が示される。マーシャル・マクルーハン以降、最も示唆に富むメディア史。 [出版社より] 著 者|レフ・マノヴィッチ 訳 者|堀潤之 出版社|筑摩書房[ちくま学芸文庫] 定 価|2,200円+税 判 型|文庫判/並製 頁 数|752 ISBN|978-4-480-51186-7 初 版|2023年07月 Contents 序文(マーク・トライブ) プロローグ―ヴェルトフのデータセット 謝辞 イントロダクション Introduction 第1 章 ニューメディアとは何か? What Is New Media? 第2 章 インターフェース The Interface 第3 章 オペレーション The Operations 第4 章 イリュージョン The Illusions 第5 章 フォーム The Forms 第6 章 映画とは何か? What Is Cinema? 訳者あとがき 文庫版訳者あとがき 索引 Author レフ・マノヴィッチ Lev Manovich 1960年モスクワ生まれ。ニューメディアの理論家・批評家・アーティスト。現在、ニューヨーク市立大学大学院センター教授。美術、建築、コンピュータ・プログラミングを学んだ後、1981年にニューヨークに移る。CGのオペレーターとして働きつつ、実験心理学、美術史、映画理論などを学び、1993年にロチェスター大学から博士号を取得。著書・論文多数。 Translator 堀 潤之 Junji Hori 1976年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得。関西大学文学部教授。専門は映画研究・表象文化論。
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眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』
¥1,430
SOLD OUT
ドゥルーズ哲学の創造の原理が、『シネマ』の緻密かつ明快な読解から明かされる。映画という芸術の新しさは、いかにして哲学の新しさへと跳ね返るのか?ドゥルーズに伏在する「言葉と物」の二元論から、今世紀の日本の批評を導いてきた「否定神学批判」の限界に迫る、『非美学』の著者のデビュー作が文庫化。黒嵜想、山本浩貴(いぬのせなか座)との解説座談会を追加収録! [出版社より] 著 者|福尾匠 出版社|河出書房新社[河出文庫] 定 価|1,300円+税 判 型|文庫判/並製 頁 数|368 ISBN|978-4-309-42116-2 初 版|2024年08月 Contents 第1章 映画と哲学、ベルクソンとドゥルーズ 『シネマ』と映画;ベルクソンにおけるイメージと運動 ほか 第2章 運動イメージ―感覚‐運動的に思考する映画 運動イメージの分化―宇宙の構築 運動イメージの種別化―主観性の物質的アスペクト ほか 第3章 運動と時間 運動から時間へ?―ランシエールの『シネマ』批判をめぐって 零次性としての知覚イメージ―物の知覚 ほか 第4章 第一、第二の時間イメージ―視‐聴覚的に思考する映画 結晶イメージの境位―知覚と記憶の同時性 過去の共存と現在の同時性―「脳」と「宇宙」の新しい意味 ほか 第5章 第三の時間イメージ―ひとつのおなじ結論の三つの異なるバージョン 私に身体を与えてください―瞬間に持続を導入する 偽なるものが力能になるとき―『シネマ』の物語論 ほか Author 福尾 匠 Takumi Fukuo 1992年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。著書に『非美学』、『眼がスクリーンになるとき』、『日記〈私家版〉』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。
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非美学——ジル・ドゥルーズの言葉と物
¥2,970
ドゥルーズにとって諸芸術はどんな意味を持つのか。美学を適用するための倫理を探りながら、日本批評の「否定神学批判」の射程距離をも探る。俊英による日本現代思想の新たな展開がここに。 ー 非美学は、批評の条件についての哲学的思考である。 非美学は他者から〈眼を逸らす〉ことの意味を思考する試みである。 哲学を「概念の創造」として定義したドゥルーズにとって、芸術を通して概念を創造する批評とは何だったのか――。ドゥルーズに伏在する「言葉と物」の二元論から、今世紀の日本の批評を導いてきた「否定神学批判」の限界に迫る、俊英による真の現代思想がここに。 他者から〈眼を逸らす〉ことの意味は、いかにして思考可能なのか? われわれの現代思想はここから始まる。 [出版社より] 「博士論文をもとにした著作に、人々の価値観を根底から揺さぶろうとする気合いを込める――今や往年のあり方となりつつあるその禍々(まがまが)しいまでの熱意を、久しぶりに読んだ。芸術と哲学の距離。そして、ものごとの自律性を改めて肯定すること。何もかもをクリエイティブだと言って微笑むようなこの時代に、創造性とは何かをゼロから問い直す」 ——千葉雅也 著 者|福尾匠 出版社|河出書房新社 定 価|2,700円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|466 ISBN|978-4-309-23157-0 初 版|2024年06月 Contents 序論 第1章 能力 美学批判とその挫折 1–0 前期ドゥルーズの能力論 1–1 理性、批判、超越論性 1–2 共通感覚とその発生 1–3 共通感覚批判 1–4 美学=感性論(エステティック)の統合とイメージなき思考 1–5 想像力の役割とその両義性 第2章 イメージ 『シネマ』の批評的受容論 2–0 イマジネーションからイメージへ 2–1 ベルクソンのイメージ概念――物質=イメージ=知覚 2–2 運動と思考――映画的能力論(1) 2–3 運動イメージと時間イメージ――観客の視点から 2–4 デューリングの映像論 2–5 イメージか装置か 2–6 観客かエンジニアか 2–7 イメージと概念 第3章 体系 地層概念の地質学 3–0 「地層」と後期ドゥルーズ 3–1 なぜ地層を概念にするのか 3–2 地層のエレメント 3–3 動物になる前に――剝離する表現(1) 3–4 ドゥルーズとフーコーの言葉と物(1) 3–5 視聴覚的思考――映画的能力論(2) 3–6 「ましてやわれわれ自身が著者であるとき」――映画の思考と『シネマ』の思考 3–7 内在平面――哲学の構築主義(1) 第4章 言語 概念のプラグマティック 4–0 命題と言表、科学と哲学 4–1 オースティンの言語行為論――パフォーマティブから発語内行為へ 4–2 デュクロの言語行為論――法的人称性と発語内行為としての前提 4–3 指令語と間接話法――言表行為の集合的アレンジメントとは何か 4–4 指令語をパスワードに書き換える 4–5 概念――哲学の構築主義(2) 4–6 眼を逸らさなければ書けない――〈実現〉のパリノード 第5章 人称性 パフォーマティブ理性批判 5–0 二〇世紀哲学史 5–1 哲学的自我と直観 5–2 コルニベールによるイメージ論の読解 5–3 哲学的言表行為の三人称性 5–4 イメージと常識――〈持つ私〉と〈在る私〉 5–5 〈呼ぶ私〉へ 5–6 概念的人物――哲学の構築主義(3) 第6章 非美学 6–0 振り返り 6–1 ポスト構造主義と否定神学批判 6–2 東浩紀の線と面、あるいは言葉と物 6–3 非並行論――ひとは身体が何をなしうるか知らないことも知らない 6–4 ドゥルーズとフーコーの言葉と物(2) 6–5 家具としての二元論、あるいは「非意味的切断」再考 6–6 ドゥルーズとフーコーの言葉と物(3) 6–7 生存の非美学――剝離する表現(2) Author 福尾 匠 Takumi Fukuo 1992年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。著書に『非美学』、『眼がスクリーンになるとき』、『日記〈私家版〉』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。
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アヴァンギャルドのオリジナリティ モダニズムの神話
¥4,950
20世紀美術批評の最重要論集。モダニズム芸術の中核概念である「特異性」「オリジナル」「唯一性」「原作者」「自発性」などを神話として分析し、それらによって覆い隠されている「反復」「コピー」「差異」「パスティッシュ」「展示空間」といった現実を顕わにする論争の書。美術をめぐる言説に、時代を超えて刺激を与え続けている現代の古典、改訳にてついに再刊。原著1985年刊。『オリジナリティと反復』リブロポート、1994年刊を全面的に改訳した新版。 [出版社より] 原 書|The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths 著 者|ロザリンド・E・クラウス 訳 者|谷川渥/小西信之 出版社|月曜社 定 価|4,500円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|480 ISBN|978-4-86503-109-6 初 版|2021年03月 Contents 謝辞 序 I モダニズムの神話 グリッド ピカソの名において ノー・モア・プレイ シュルレアリスムの写真的条件 この新たな芸術――空間に描くこと 写真の言説的空間 アヴァンギャルドのオリジナリティ 敬具(シンシアリー・ユアーズ) II ポストモダニズムへ向けて 指標論 パート1 指標論 パート2 ジャクソン・ポロックを読む、抽象的に ルウィット・イン・プログレス リチャード・セラを訳す 展開された場における彫刻 ポスト構造主義と準文学的なもの 訳者解説 クレジット 人名索引 事項索引 Author ロザリンド・E・クラウス Rosalind E. Krauss 1940年生まれ。コロンビア大学教授。美術史・美術批評。著作に1985年『オリジナリティと反復』(リブロポート、1994年)、1993年『視覚的無意識』(本書)、1997年『アンフォルム――無形なるものの事典』(イヴ=アラン・ボワとの共著、月曜社、2011年)、1998年『ピカソ論』(青土社、2000年)、1999年『独身者たち』(平凡社、2018年)など。 Translator 谷川 渥 Atsushi Tanigawa 1948年生まれ。美学者。東京大学大学院博士課程修了。文学博士。著書に、『鏡と皮膚――芸術のミュトロギア』(ちくま学芸文庫、2001年)、『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房、2009年)、『新編 芸術をめぐる言葉』(美術出版社、2012年)、『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫、2013年)、『芸術表層論』(論創社、2017年)など。 小西信之 Nobuyuki Konishi 1960年生まれ。美術評論。東京藝術大学大学院美術研究科修了。愛知県立芸術大学教授。共著に、藤枝晃雄/谷川渥編著『芸術論の現在』(東信堂、1999年)、多木浩二/藤枝晃雄監修『日本近現代美術史事典』(東京書籍、2007年)など。
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視覚的無意識
¥4,950
モダニズムの眼が抑圧している欲望とはなにか? エルンスト、デュシャン、ジャコメッティ、ベルメール、ピカソ、ポロックらの作品のなかに近代の視を土台から蝕むものたち(『レディメイド」、「肉体的なもの」、「不定形」、「脈動」、「低さ」、「水平性」、「重力」、「痕跡」……)を、フロイト、ラカン、バタイユらの理論を援用しながら見出す試み。モダニズムの中核をなす「視覚性」概念を、主体の精神分析を採り入れつつ批判的に分析する、現代最重要の美術批評家の主著、待望の日本語全訳。 [出版社より] 原 書|The Optical Unconscious 著 者|ロザリンド・E・クラウス 訳 者|谷川渥/小西信之 出版社|月曜社 定 価|4,500円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|528 ISBN|978-4-86503-073-0 初 版|2019年03月 Contents one two twoマイナスone two再び three four five six six再び 訳者あとがき(谷川渥) 訳者あとがき+(小西信之) 図版一覧 参考文献一覧 索引 Author ロザリンド・E・クラウス Rosalind E. Krauss 1940年生まれ。コロンビア大学教授。美術史・美術批評。著作に1985年『オリジナリティと反復』(リブロポート、1994年)、1993年『視覚的無意識』(本書)、1997年『アンフォルム――無形なるものの事典』(イヴ=アラン・ボワとの共著、月曜社、2011年)、1998年『ピカソ論』(青土社、2000年)、1999年『独身者たち』(平凡社、2018年)など。 Translator 谷川 渥 Atsushi Tanigawa 1948年生まれ。美学者。東京大学大学院博士課程修了。文学博士。著書に、『鏡と皮膚――芸術のミュトロギア』(ちくま学芸文庫、2001年)、『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房、2009年)、『新編 芸術をめぐる言葉』(美術出版社、2012年)、『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫、2013年)、『芸術表層論』(論創社、2017年)など。 小西信之 Nobuyuki Konishi 1960年生まれ。美術評論。東京藝術大学大学院美術研究科修了。愛知県立芸術大学教授。共著に、藤枝晃雄/谷川渥編著『芸術論の現在』(東信堂、1999年)、多木浩二/藤枝晃雄監修『日本近現代美術史事典』(東京書籍、2007年)など。
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ラディカント グローバリゼーションの美学に向けて
¥2,860
SOLD OUT
イメージやモノが氾濫し、群島化した世界にふさわしい「オルターモダニティ」とは? 翻訳の思考を通して現代の美術批評を素描する。 今日の旅する人(ホモ・ウィアートル)としてのアーティストたち──。時空間のなかを浮遊しながら根を伸ばし張りなおしていくような、その「ラディカント」的実践の分析から、文化や想像力の標準化に抗するしなやかな美学が浮かびあがる。 「関係性の美学」を提唱したキュレーター、ニコラ・ブリオーの著書、待望の初邦訳! ー グローバル化され「大きな物語」「歴史」を失って久しい現代、さまざまな形態、イメージ、モノ、言説が氾濫し、差異が重要性をもつ世界を読み解くのにふさわしい美学とはどのようなものだろうか? ブリオーは、起源としての唯一の「根」を讃えた「ラディカル」なモダニズムとも、多文化主義的なポストモダンや多様で同時的な組織網たるリゾーム(地下茎)とも異なる、前進するにつれて根を伸ばし張りなおしていく「ラディカント(radicant)」的あり方を備えたモダニティ=オルターモダンという視座を提示する。 そこで重要なのは、翻訳の身振りであり、イメージを他のコードに変換し、みずからの根を異質なフォーマットに移植することである。 アーティストたちは他の時代や場所の素材を使用・転用し、記号航海士として放浪しながら現代の文化的風景の中に道筋をつくりだしていく。 1998年、『関係性の美学(原題:Esthétique relationnelle)』で美術の新たなパラダイムを切り拓いたブリオーが、21世紀の今日的状況を考察するため、旅人としてのアーティストたちの実践を通して新しい時代のしなやかな美学を描き出した、文化や想像力の標準化に抗するための挑戦的一冊。 [出版社より] 著 者|ニコラ・ブリオー 訳 者|武田宙也 出版社|フィルムアート社 定 価|2,600円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|296 ISBN| 978-4-8459-1818-8 初 版|2022年01月 Contents まえがき 序論 第一部 オルターモダニティ 1 根――ポストモダン理性批判 2 ラディカルとラディカント 3 ヴィクトル・セガレンと二一世紀のクレオール 第二部 ラディカントの美学 1 美学的不安定性と放浪する形態 2 形態゠行程 3 移転 第三部 航海論 1 文化的な雨のなか(ルイ・アルチュセール、マルセル・デュシャン、芸術的形態の使用) 2 芸術的集産主義(コレクティヴィズム)と道筋の生産と道筋の生産 ポスト・ポスト、あるいはオルターモダンの時代 訳者あとがき Author ニコラ・ブリオー Nicolas Bourriaud 1965年生。キュレーター、作家、美術批評家。パレ・ド・トーキョー、テート・ブリテン、エコール・デ・ボザールなどの要職を経て、現在モンペリエ・コンタンポラン・ディレクター。本書以外の主な著書に以下がある。Esthétique relationnelle, Dijon, Les Presses du réel, 1998 ; Formes de vie. L’art moderne et l’invention de soi,, Paris, Denoël, 1999 ; Postproduction. La culture comme scénario : comment l’art reprogramme le monde contemporain, Dijon, Les Presses du réel, 2002 ; L’Exforme. Art, idéologie et rejet, Paris, PUF, 2017 ; Inclusions. Esthétique du capitalocène, Paris, PUF, 2021. Translator 武田 宙也 Hironari Takeda 1980年生。京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学、美学。主な著書に、『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』(人文書院、2014年)、『フーコー研究』(共著、岩波書店、2021年)、『ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス講義』を読む』(共著、水声社、2021年)、主な訳書に、ロベルト・エスポジト『三人称の哲学――生の政治と非人称の思想』(共訳、講談社、2011年)、ジャン・ウリ『コレクティフ――サン・タンヌ病院におけるセミネール』(共訳、月曜社、2017年)、マキシム・クロンブ『ゾンビの小哲学──ホラーを通していかに思考するか』(共訳、人文書院、2019年)などがある。
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ポスト・アートセオリーズ 現代芸術の語り方
¥2,530
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拡散する現代アートに対峙する理論とは何か。 芸術の終焉、ポストモダニズム、ポストセオリーの時代を越えて、来るべき理論を探る野心作。 1980年代、アーサー・ダントーは「芸術の終焉」を唱えた。しかし、その後、現代アートはグローバル資本主義の拡大に同伴するかのように爆発的な隆盛を見せる。一方、芸術に向き合ってきた人文学はポストモダニズムの席巻の後、社会主義の崩壊、メディア技術の発展やアート自体の拡散も相俟って、理論的なものが後退してゆく。果たしていまや、この事態に斬り込む言葉はあるのか。本書では、「理論」を牽引するジャーナル『オクトーバー』『クリティカル・インクワイアリー』の変遷を軸に、現代思想とアートの複雑な絡み合いを読み解く。米国を越えて加速する世界規模の知のサーキュレーションを背景に、かつての理論的地平の乗り越えを試みる。 [出版社より] 著 者|北野圭介 出版社|人文書院 定 価|2,300円+税 判 型|四六判・並製 頁 数|280 ISBN|9784409100448 初 版|2021年03月 Contents はじめに Ⅰ 理論 1 「芸術の終焉」以降のアートの語り方 「ポストアート」という語り方/「芸術とは何か」という問いの深化/「芸術とは何か」という問いとはどのような問いか/デュシャンとウォーホール/メタ実在論としての「芸術の終焉」論 2 ポストモダニズムとはどのようなものであったのか ポストモダニズム美学、その前夜/ポストモダニズム美学、その祭りの後から/記号とは何でなかったのか/記号の前と後、あるいは形而上学の一歩手前/モノを旋回する『オクトーバー』/「対象性」の奈落①/「対象性」の奈落②/分析哲学の「オクトーバー」/作品なる対象を支えるメディウムの彷徨い 3 ポストセオリーという視座 理論の危機の諸相/二一世紀における知の基盤としてのメディア論/モノの迷路を問いただすミュージアム/ひとが作品を欲望するのか、作品がひとを欲望するのか/哲学を穿つメディア論/ポストメディウム論以後のメディア研究/モノ、メディウム、アートの三角形/折り重なるメディウム/「対象」なきあとの芸術実践/参加のダイナミズム/ダイナミズムのなかの参加/アートなる力動態、その形態学/人間、すなわち、イメージと画像が往還するメディウム/三つの展覧会が指し示すもの Ⅱ 批評 1 分断された肉体――寺山修司 2 ポストモダニズムを射抜く――ミックスド・メディア・シアター 3 紅のバラ――ピナ・バウシュ「窓拭き人」 4 イメージのマテリアリティ――アラン・セクーラ 5 イメージの制御、その行方――「渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉」 6 呼び覚まされる声――三輪眞弘+前田真二郎「モノローグ・オペラ『新しい時代』」 7 黒いコードの群れ──クリスチャン・ボルタンスキー「Lifetime」 Ⅲ 討議 冷戦終結以降におけるアートと思想のサーキュレーション ――ミハイル・ヤンポリスキーを手がかりに[+乗松亨平、番場俊] ヤンポリスキーと「理論」の行方/アメリカのヤンポリスキー――アヴァンギャルド、『オクトーバー』、ポスト冷戦/メディウムと存在論の狭間で あとがき 人名索引 Author 北野 圭介 Keisuke Kitano 1963年生。ニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中途退学。ニューヨーク大学教員、新潟大学人文学部助教授を経て、現在、立命館大学映像学部教授。映画・映像理論、メディア論。2012年9月から2013年3月まで、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ客員研究員。著書に『ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』(平凡社新書、2001年/新版2017年)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』(平凡社新書、 2005年)、『大人のための「ローマの休日」講義 オードリーはなぜベスパに乗るのか』(平凡社新書、2007年)、『映像論序説 〈デジタル/アナログ〉を越えて』(人文書院、2009年)、『制御と社会 欲望と権力のテクノロジー』(人文書院、2014年)。編著に『映像と批評ecce[エチェ]』1~3号(2009年~2012年、森話社)、訳書にD・ボードウェル、K・トンプソン『フィルムアート 映画芸術入門』(共訳、名古屋大学出版会、2007年)、アレクサンダー・R・ギャロウェイ『プロトコル』(人文書院、2017年)など。
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ラディカル・ミュゼオロジー つまり、現代美術館の「現代」ってなに?
¥2,200
複数の過去/現在/未来がぶつかりあう場としての現代美術館。 投機的な思惑によって動く美術市場や非政治的な相対主義が支配する現代美術の現状に抗して、「現代美術(コンテンポラリー・アート)」の「現代(コンテンポラリー)」の意味をラディカルに問う、世界各国の美術関係者によって数多く引用されている重要論文。 [ドローイング:ダン・ペルジョヴスキ] [出版社より] 著 者|クレア・ビショップ 訳 者|村田大輔 出版社|月曜社 定 価|2,000円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|134 ISBN|978-4-86503-098-3 初 版|2020年04月 Contents Ⅰ なかに入る Ⅱ 現代美術館 Ⅲ コンテンポラリーを理論化する Ⅳ タイム・マシンズ――ファン・アッベミュージアム Ⅴ 共有物〔コモンズ〕のアーカイヴ――ソフィア王妃芸術センター Ⅵ 反復――メテルコヴァ現代美術館 リュブリャナ Ⅶ 弁証法的同時代性〔コンテンポラニアティ〕 原注 謝辞 訳者解説 日本の美術館の現場から Author クレア・ビショップ Claire Bishop 1971年、英国生まれ。ニューヨーク市立大学大学院センター美術史PhDプログラムを拠点とする美術史家・批評家。美術館におけるパフォーマンスの実施・展示のあり方を問う批評で、現在最も注目される批評家の一人。『アートフォーラム』誌の定期執筆者であり、『オクトーバー』誌の不定期執筆者。 日本語訳に『人工地獄――現代アートと観客の政治学』(大森俊克訳、フィルムアート社、2016年)、「敵対と関係性の美学」(星野太訳、『表象5』所収、月曜社、2011年)など。 Translator 村田大輔 Daisuke Murata 1976年生まれ。金沢21世紀美術館を経て、現在、兵庫県立美術館学芸員。
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人工地獄 現代アートと観客の政治学
¥4,620
アートと社会の関係性はいかに変化してきたか? 芸術史において見逃されてきた「参加」の系譜をアクロバティックに再編集し、現代アートの動向を批判的に読解する美術評論家クレア・ビショップの代表作、待望の邦訳。 ー 今日のアートにおいては、「参加」――すなわち社会的関与を重視したプラクティスが、非常に重要な位置を占めている。国内では芸術祭やアートプロジェクトが百花繚乱の様相を呈しているが、国際的にも社会的、政治的な側面を重視したプロジェクト型のアートがあらたな文脈を築きつつあり、その規模と影響力は、もはや現代アートのメインストリームを占めているといってよいだろう。特定の集団や地域と相互に歩み寄りながら行なわれるプロジェクトがある一方で、倫理を逸脱した(とみなされる)アートは、ときに衝突と論争を巻き起こしている。 こうした状況がありながら「アートの社会的関与はどの時点で達成といえるのか?」「アートにおける<参加>をいかに評価するか?」「芸術と倫理の衝突をいかに考えるか?」といった根源的な問いについて、いまだ確固たる答えは出ていない。 クレア・ビショップによる『人工地獄(原題:Artificial Hells)』は、このようなアートと社会の関係性について鋭い考察を行なうものである。20世紀以降の芸術史から同時代のアートへと至る全九章の構成は緻密かつ類例のない大胆さをもつが、これには彼女が世界各国のプロジェクト型アートの実例に触れ、また膨大な人物へのインタビューを行なってきた蓄積が存分に生かされている。各章を追いかけることで、彼女自身のアートに対する洞察の深化さえうかがえるだろう。 ビショップは、アートには社会から独立した役割があると確信するが、それはとりもなおさず芸術が倫理を重んじなくともよいという意味ではない。むしろ彼女は作者性と観客性、能動と受動、加害と被害――これらが本質として対立的にはとらえがたいものであることを強調し、複雑に転じていく位相をひもとくことで、より慎重かつ正確な理解を求めようとする。 「敵対」と「否定」に価値を見出しつつ、それらを多層的にとらえ直すビショップの鋭く豊かな思考は、「関係性の美学」以後のアートの構造を理解するうえで必ず踏まえるべきものといえるだろう。 [出版社より] 著 者|クレア・ビショップ 訳 者|大森俊克 出版社|フィルムアート社 定 価|4,200円+税 判 型|A5判/上製 頁 数|536 ISBN|978-4-8459-1575-0 初版|2016年05月 Contents 序論 第一章 社会的転回:コラボレーションとその居心地の悪さ 1.クリエイティビティと文化政策 2.倫理的転回 3.美学的体制 4.指揮された現実:オーグリーヴの戦い 5.解放された観客 第二章 人工地獄(アーティフィシャル・ヘルズ):歴史的前衛 1.扇動、報道、参加 2.演劇化された生 3.散策と裁判 4.結束と分裂 第三章 私は参加する、君は参加する、彼は参加する…… 1.シチュアシオニスト・インターナショナル:芸術の超克 2.視覚芸術探求グループ:知覚の再教育 3.ジャン=ジャック・ルベル:集団の厄祓い 4.演劇的謀反 第四章 明示された社会のサディズム 1.明示された社会のサディズム 2.加虐者としてのアーティスト 3.封鎖された画廊、暴動や投獄 4.見えない演劇 5.テロ行為としての芸術 第五章 社会主義の内にある社会性 1.プラハ:アクションから儀式へ 2.スロバキア:終わらない表明 3.公共空間の問題 4.モスクワ:識別不可能な位相 5.反体制に抗して 第六章 附帯の人々:芸術家斡旋グループとコミュニティ・アート 1.芸術家斡旋グループの形成 2.プロセスの展示:「イノ70」展 3.斡旋――一九七〇年代とその後 4.コミュニティ・アート運動 5.「ブラッキー」と「インター・アクション」 6.衰退 第七章 旧西側体制(フォーマー・ウェスト):一九九〇年代初期におけるプロジェクトとしての芸術 1.「ユニテ・プロジェクト」、「ソンスベーク93」、「実践の文化」 2.遂行的な展覧会 3.プロジェクトの市民体 第八章 委任されたパフォーマンス:外部に委ねられる真正性 1.分類的試論 2.労働と享楽としてのパフォーマンス 3.倒錯と真正性 4.構築されるパフォーマンス 第九章 教育におけるプロジェクト:「いかに芸術作品であるかのように、授業を生きさせるか」 1.有用芸術(アルテ・ウティル) 2.三部構成のプロジェクト 3.共同作業 4.「機能するもの、生産する」 5.理想としての教育 6.教育資本主義 7.美的教育 結論 1.梯子とコンテナ 2.参加の終焉=目的 謝辞 訳者あとがき 註 索引 Author クレア・ビショップ Claire Bishop 1971年生まれ。美術史家および美術批評。1994年にケンブリッジ大学セント・ジョーンズ校美術史学科を卒業後、エセックス大学の同学科で修士号(1996)および博士号(2002)を取得。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの専任講師(2001-06)、ウォーリック大学の美術史学科の准教授(2006-08)を務める。2008年にニューヨーク市立大学大学院センターに准教授として着任。現在、同校の美術史学科教授。専門は近現代美術史(とくに参加型アート、キュレーティング理論、1989年以降の西欧の美術動向)。単著に『Installation Art』(2010)、共著に『Radical Museology: Or What’s Contemporary in Museums of Contemporary Art?』(2014)、また編書に『Participation』(2006)がある。 Translator 大森俊克 Toshikatsu Omori 美術批評、現代美術史。明治大学英文学科卒。ベルリン自由大学美術史学科基礎および専門課程修了(修士)。東京芸術大学美術研究科博士後期課程満期退学。単著に『コンテンポラリー・ファインアート』(美術出版社、2014年)。
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ヴァレリー 芸術と身体の哲学
¥1,386
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習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん「非社会的」な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉。膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫する。作品が装置であるとはどういうことか。時間と行為の関係とは? 詩が身体を解剖するとは? ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係。著者の美学・身体論の出発点となった記念碑的力作。解説=細馬宏通。 [出版社より] 著 者|伊藤亜紗 出版社|講談社[講談社学術文庫] 定 価|1,260円+税 判 型|文庫判/並製 頁 数|316 ISBN|978-4-06-522382-6 初 版|2021年01月 Contents 1 作品 第一章 装置としての作品 第二章 装置を作る 2 時間 第一章 形式としての「現在」 第二章 抵抗としての「持続」――注意をめぐって 第三章 行為の法則化――リズムをめぐって 3 身体 第一章 《主観的》な感覚 第二章 生理学 Author 伊藤 亜紗 Asa Ito 東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。専門は美学、現代アート。現在、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。リベラルアーツ研究教育院准教授。 主な著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)などがある。
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アート・パワー
¥2,750
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芸術の終焉後に、新しいアートを始めるために。 商品かプロパガンダか?アートはどこから来て、今どこに向かおうとしているのか? コンテンポラリー・アートを牽引する美術批評家ボリス・グロイスによって明らかにされる美術の現在。 「コンテンポラリー・アートとは趣味の過剰であり、そこには趣味の多元性も含まれている。この意味で、それは多元的な民主主義の過剰であり、民主的な平等性の過剰である。この過剰は、趣味と力の民主的均衡を安定させると同時に不安定にする。実際、現代の芸術を全体として特徴づけているのは、このパラドクスなのだ。 私がここで告白しなければならないのは、本書に収められた私自身のエッセイもまた、今日のアートワールドにおけるある種の勢力均衡に貢献することを願って書かれたということだ-すなわち、政治的プロパガンダとして機能する芸術のための余地を、アートワールドのなかにもっと見出すことを願って。 私たちが近現代の芸術(モダン・アート)作品と呼ぶ、芸術家が偶像破壊を流用して生み出したパラドクス・オブジェクトが、いかに続く論考の、直接的ないし間接的な主題である。」(本書「序」より) [出版社より] 原 書|Art Power 著 者|ボリス・グロイス 訳 者|石田圭子・齋木克裕・三本松倫代・角尾宣信 出版社|現代企画室 定 価|2,500円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|356 ISBN|978-4-7738-1622-8 初 版|2017年02月 Contents 第1部 平等な美学的権利について 新しさについて キュレーターシップについて 生政治時代の芸術——芸術作品からアート・ドキュメンテーションへ 方法としてのイコノクラスム——映画における偶像破壊の戦略 イメージからイメージファイルへ、そして再生——デジタル化時代の芸術 多重的な作者 複製ツーリズム時代の都市 批評的省察 第2部 戦争中の芸術 英雄の身体——アドルフ・ヒトラーの芸術論 大衆の教育——社会主義リアリズムの芸術 多様性を超えて——カルチュラル・スタディーズと他者としてのポストコミュニズム 私有化あるいはポストコミュニズムにおける人工楽園 ヨーロッパとその他者 Author ボリス・グロイス Boris Groys 1947年、旧東ドイツ生。哲学者、美術理論家、批評家。冷戦時代のソヴィエト連邦で学び、70年代後半にモスクワ・コンセプチュアリズムに関する論考で批評家としての活動を開始する。81年に西ドイツに亡命し、以後、ドイツ、米国を拠点に活動。戦後ロシア・東欧の前衛芸術をはじめ、近年ではコンテンポラリー・アートについて積極的に論じる。美術の制度や美術と社会、そして政治との関係を哲学的な視点から分析するその著作は、美術界に大きな影響を与えている。 本書Art Powerの出版によって、2009年に大学美術協会(CAA)からフランク・ジュエット・マザー賞を受賞。米ニューヨーク大学ロシア・スラヴ学教授、独カールスルーエ造形大学特別研究員を務め、2011年ヴェネツィア・ビエンナーレにロシア館キュレーター、2012年上海ビエンナーレに共同キュレーターとして参加している。邦訳書に『全体芸術様式スターリン』(現代思潮新社、2000年)がある。 Translator 石田 圭子 Keiko Ishida 神戸大学大学院国際文化学研究科准教授。専門は美学・芸術学・表象文化論。 齋木 克裕 Katsuhiro Saiki 美術家。アジアン・カルチュラル・カウンシルの助成で、MoMA PS1のインターナショナル・スタジオ・プログラムに参加する。その後、文化庁在外芸術家研修員として滞在し、以後、ニューヨークで活動。 三本松 倫代 Tomoyo Sanbonmatsu 神奈川県立近代美術館主任学芸員。専門は近現代美術・表象文化論。 角尾 宣信 Hironobu Tsunoo 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース、博士課程に在籍。専門は美学・アフェクト理論・映画論。日本の前衛映画やヴィデオ・アートのほか、サラリーマン映画や風刺漫画なども研究。
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インスタグラムと現代視覚文化論——レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって
¥3,850
デジタル写真、メディア研究の新たな指標となる、"越"写真論集が誕生! 現代の文化において大きな影響力を持ちつつも、これまでは写真論の対象としてほとんど語られてこなかったインスタグラム。『ニューメディアの言語』を著し話題を呼んだメディア理論家のレフ・マノヴィッチは、2012年から2015年にかけてインスタグラムにアップロードされた約1500万枚もの画像をデータ分析にかけることで、新しい写真論を築き上げました。 本書には、その論考「インスタグラムと現代イメージ」の全訳だけでなく、従来の写真論・デジタルメディア論・データサイエンスからマノヴィッチの論考を検討&拡張する、合計9つのテキストを収録しました。写真と文化の拡がりをまたとなく学べる一冊です! [出版社より] 編 者|久保田晃弘・きりとりめでる 出版社|ビー・エヌ・エヌ新社 定 価|3,500円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|376 ISBN|978-4-8025-1101-8 初 版|2018年06月 Contents [ 1 巻頭言/きりとりめでる・久保田晃弘 ] [ 2 レフ・マノヴィッチ「インスタグラムと現代イメージ」] きりとりめでる・久保田晃弘訳 序文 カルチュラル・アナリティクス・ラボが収集し分析したインスタグラムデータ 2010年から2015年に著者が訪れた都市 はじめに:メディウムとしてのインスタグラムのプラットフォーム 「写真」は存在するか? イズムなき理論 プラットフォーム時代における視覚文化分析の方法論 第1章:カジュアル写真 写真における「インスタント」革命 写真における「ホームモード」 美学の重要性 3種類の写真:カジュアル、プロフェッショナル、デザイン カジュアル写真 第2章:プロフェッショナル写真とデザイン写真 プロフェッショナル写真と「良い写真」のルール プロフェッショナル写真の主題とジャンルのヒエラルキー カジュアル写真の主題 デザイン写真 写真におけるリアリティの効果 第3章:インスタグラミズム スタイルとは何か? 「物語る」ことの拒否:アート・シネマとK-POPミュージックビデオ インスタグラミズムと現代のカルチュラル・アイデンティティ モダンデザインのメタ原則 デザイン写真における視覚・コンテンツ戦略 さまざまな文脈:アーヴィング・ペン、マーティン・ムンカッチ、『ヴォーグ』、『ハーパーズ・バザー』、そしてグローバル・ミニマリズム 第4章 テーマ・フィード・シーケンス・ブランディング・フェイス・ボディー 美的社会 インスタグラムのクラス インスタグラミズム vs.「普通の」写真 顔と身体 インスタグラムのテーマ 写真のシーケンスデザイン インスタグラミズムを学ぶ 私たちはインスタグラムの投稿者を「解放」する必要があるのか? アプロプリエイション、サブカルチャー、集団、主流? 付録 iPhoneのモデル:リリース日、ディスプレイの解像度、カメラの解像度 インスタグラム年表:アプリの公開と新しい機能、新しいフィルター、商業化 アメリカ以外でインスタグラムを使用するユーザーの割合(2013~2016年) 2017年2月における instagram.com へのトラフィックの国別分布 2013年1月から2017年4月の月毎のインスタグラムのアクティブユーザー数 図版 [ 3 日本の執筆陣による9つのテキスト ] 1.インスタグラミズムとレフ・マノヴィッチ ・レフ・マノヴィッチとインスタグラム美学|甲斐義明 ・なぜインスタグラムだったのか — 最後尾のメディア受容記述者としてのレフ・マノヴィッチ|きりとりめでる observasion:インスタグラムと日本 ・日本のインスタグラム観測記録:2010 → 2018|ばるぼら 2.デジタル写真の今/諸相 ・デジタル写真の現在 — 三つの層から考える|前川修 ・接続する写真 — 記憶、自撮り、身振り|増田展大 ・Photoshop 以降の写真作品 — 「写真装置」のソフトウェアについて|永田康祐 scene:データビジュアライゼーションの現場から ・コードを書き、可視化する|芝尾幸一郎 3.文化はどこへ行くのか? ・写真の理解可能性 — 計量社会学とインスタグラム|筒井淳也 ・カルチュラル・アナリティクスの過去・現在・未来|久保田晃弘 人名索引 Author レフ・マノヴィッチ Lev Manovich 1960 年モスクワ生まれ。国際的なデジタル文化の主導的な理論家であり、データ・サイエンスの方法による現代文化分析のパイオニア。今回訳出した「インスタグラムと現代イメージ」以外に、すでに12 冊に渡る著書があり、「マーシャル・マクルーハン以来、最も示唆的で広範なメディアの歴史」と評された『 e Language of New Media』(MIT Press、2001 年)は、2013 年に『ニューメディアの言語 — デジタル時代のアート、デザイン、映画』というタイトルで翻訳が出版されている(堀潤之訳、みすず書房)。 「ヨコハマ国際映像祭2009」でのフォーラム「ハイブリッド・メディアとは何か?─ソフトウェア時代の映像表現」に参加。2013 年には「デザインの未来を形作る25 人の重要人物」に、2014年には「未来を築く50 人の最も興味深い人物」に選出されている。現在は、ニューヨーク市立大学大学院センターのコンピュータサイエンスの教授であり、計算的な手法による視覚文化分析を開拓した「カルチュラル・アナリティクス・ラボ」のディレクターでもある。 ー きりとりめでる Kiritorimederu 1989 年鹿児島生まれ。2012 年に鹿児島大学法文学部人文学科思想系を卒業し、営業事務やショップ店員となった後、2016 年に京都市立芸術大学大学院美術研究科芸術学を修了。美術館勤務、公益財団法人の学芸員を経て、現在は個人で活動。特に、視聴覚文化の変容と伴走する美術作品をデジタル写真論の視点から 、研究、展覧会企画を行なっている。2017 年に「渡邉朋也個展「 信頼と実績」」(artzone)。2016 年に「フィットネス. | nss.show」(akibatamabi21)、「移転プレ事業 Open Diagram」(元崇仁小学校)など企画。2017 年から美術系同人誌「パンのパン」を発行。 久保田 晃弘 Akihiro Kubota 1960 年大阪生まれ。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科メディア芸術コース教授。世界初の芸術衛星と深宇宙彫刻の打ち上げに成功した衛星芸術プロジェクトARTSAT をはじめ、自然知能と芸術の数学的構造、ライヴ・コーディングによるライヴ・パフォーマンスなど、さまざまな領域を横断・結合するハイブリッドな創作の世界を開拓中。芸術衛星1 号機の《ARTSAT1:INVADER》でアルス・エレクトロニカ 2015 ハイブリッド・アート部門優秀賞をチーム受賞。《 ARTSATプロジェクト》の成果で、第66 回芸術選奨の文部科学大臣賞(メディア芸術部門)。SIAF(札幌国際芸術祭)2017 に、SIAF ラボと共同で《Space-Moere(宇宙モエレ)プロジェクト》で参加展示した。著書、監修監訳書多数。近著に『遙かなる他者のためのデザイン ̶ 久保田晃弘の思索と実装』(ビー・エヌ・エヌ新社、2017 年)『メディアアート原論』(共編著、フィルムアート社、2018 年)がある。 甲斐 義明 Yoshiaki Kai 1981 年東京都生まれ。新潟大学人文学部准教授。写真史・近現代美術史研究。著書として『時の宙づり ̶ 生・写真・死』(IZUPHOTO MUSEUM、ジェフリー・バッチェン・小原真史との共著、2010 年)など、編訳書として『写真の理論』(月曜社、2017 年)がある。 芝尾 幸一郎 Kouichiro Shibao 1975 年大分県生まれ。熊本大学文学部哲学科卒業後、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)メディア表現研究科修了。ソーシャルゲームの会社で、データ分析・分析基盤作成業務に従事している。データ分析基盤作成に関して、『ゲーム開発が変わる! GoogleCloud Platform 実践インフラ構築( NextPublishing)』(共著、インプレスR&D、2016年)がある。本稿では法令データを扱ったが、最近は判例データの収集を始めており、次は判例データと法令データの紐づけを行おうと考えている。 筒井 淳也 Junya Tsutsui 1970 年福岡県生まれ。立命館大学産業社会学部教授。一橋大学社会学部卒業。同大学社会学研究科博士後期課程満期退学。博士(社会学)。専門は計量社会学、家族社会学。主著に『仕事と家族』(中公新書、2015 年)、『計量社会学入門 ̶ 社会をデータで読む』(世界思想社、2015 年)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書、2016 年)など。 永田 康祐 Kosuke Nagata 1990 年愛知県生まれ。独立行政法人日本学術振興会特別研究員DC 1。東京藝術大学大学院映像研究科博士後期課程在籍。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、東京藝術大学芸術情報センター非常勤講師、東京大学非常勤講師などを経て現職。主に2010年前後のデジタル写真や写真を要素としてもつ立体作品について研究しながら、自身でも映像作品や写真作品、インスタレーションなどを制作・発表している。主な展覧会に、「オープンスペース2018 イン・トランジション」(NTT インターコミュニケーション・センター、2018 年)、「第10 回恵比寿映像祭「インヴィジブル」」(東京都写真美術館、2018 年)、「Malformed Objects ─無数の異なる身体のためのブリコラージュ」(山本現代、2017 年)など。 ばるぼら Barbora 20 世紀生まれ。ネットワーカー・古雑誌蒐集家・周辺文化研究家。インターネットおよび自主制作文化について執筆、調査・研究を行う。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社、2005 年/2006 年)、『NYLON100%』『岡崎京子の研究』(共にアスペクト、2008 年/ 2012 年)。共著に『20 世紀エディトリアル・オデッセイ』(赤田祐一との共著、誠文堂新光社、2014 年)、『定本 消されたマンガ』(赤田祐一との共著、彩図社、2016 年)、『僕たちのインターネット史』(さやわかとの共著、亜紀書房、2017 年)、『日本のZINE について知ってることすべて』(野中モモとの共著、誠文堂新光社、2017 年)などがある。 前川 修 Osamu Maekawa 1966 年佐賀県生まれ。神戸大学大学院人文学研究科教授。芸術学・美学、写真映像論。著書に『痕跡の光学 ̶ ヴァルター・ベンヤミンの「視覚的無意識」について』(晃洋書房、2004 年)、共著に『芸術・葛藤の現場 ̶ 近代日本芸術思想のコンテクスト』(晃洋書房、2002 年)、『心霊写真は語る』(青弓社、2004 年)、共訳書にジル・モラ『写真のキーワード』(昭和堂、2001 年)、ウォーカー& チャップリン『ヴィジュアル・カルチャー入門 ̶ 美術史を超えるための方法論』(晃洋書房、2001 年)、ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(青弓社、2010 年)がある。 増田 展大 Nobuhiro Masuda 1984 年京都府生まれ。立命館大学映像学部講師。専門は写真史・映像メディア論。著書に『科学者の網膜 ̶ 身体をめぐる映像技術論:1880-1910』(青弓社、2017 年)、共著に『ポケモンGOからの問い』(神田孝治他編著、新曜社、2018 年)、『映像文化の社会学』(長谷正人編著、有斐閣、2016 年)など。
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イメージの根源へ 思考のイメージ論的転回
¥3,080
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本書は、主に美術をめぐって著者がここ数年、考えたり書いてきたりしたものを一冊にまとめたものである。絵画が思考と、イメージがロゴスといかなる関係を結びうるのかを問う「絵画論」、「間メディア性(インターメディアリティ)」に焦点を当てた「光、色、音」、美学の本来の問題、「感性(アイステーシス)」に立ち返った「美学=感性論」と、イメージの世界に分け入りながらその根源に鋭く迫る。 [出版社より] 著 者|岡田温司 出版社|人文書院 定 価|2,800円+税 判 型|四六判/上製 頁 数|288 ISBN|9784409100349 初 版|2014年12月 Contents はじめに Ⅰ 絵画論 イメージの根源、根源のイメージ 思考するイメージ、イメージする思考----セザンヌと解釈者たち 「天使が何かするときのように行動せよ」-----クレー論の余白に 喪としての絵画-----モランディの芸術 灰色の魅惑、あるいは色の震え 「作者を捜せ!---ボルケーゼ美術館とふたりの目利き」 Ⅱ 光、色、音 光のエクリチュール、あるいは破壊と誕生の詩学 「すべての芸術は音楽の状態を憧れる」再考 愛のチューニング---「調律の図像学」のためのスケッチ ニュートンと画家たち----科学と芸術が出会うとき ムーサとセイレーン----声の魔力 Ⅲ 美学論=感性論 バロックとネオバロック----モダンとポストモダンの狭間で 「醜」と「崇高」----モダンとポストモダンを横断する美学的カテゴリー 「メディウム」の行方 メランコリーの星座-----パノフスキー、ベンヤミン、アガンベン 「昇華」とは何の謂いか? あとがき Author 岡田 温司 Atsushi Okada 1954年広島県生まれ。京都大学人間・環境学研究科教授。西洋美術史、思想史。著書に『モランディとその時代』(人文書院、2003年、吉田秀和賞)、『フロイトのイタリア』(平凡社、2008年、讀賣文学賞)、訳書にロベルト・ロンギ『芸術論叢』(中央公論美術出版、1999年、ピーコ・デッラ・ミランドラ賞)など多数。
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アートとは何か 芸術の存在論と目的論
¥2,860
何が作品をアートにするのか? ミケランジェロ、フランチェスカ、ダヴィッド、ピカソ、マティス、マネ、デュシャン、ケージ、ウォーホルなど多くの古今の傑作(マスターピース)を取り上げ、プラトンからデカルト、カント、パースにいたる美学と哲学を検証しながら、時空を超えて通用する「アート」の定義を提示する。ポップアート以降の芸術論を牽引し、現代美学に多大な影響を与えた著者の遺作。1984年の重要論文「アートの終焉」を特別収録。 「包括的な特徴など何も存在しないがゆえ、アートの定義は不可能であると、指導的な美学者たちは基本的に定めてきた。そこにおいてアートとは、せいぜいのところ一つの開かれた概念にとどまる。しかし、私見によれば、アートは一つの閉じられた概念である必要がある。ある形式(フォーム)のアートがなぜ普遍的であるのかを説明するような、何らかの包括的な特質が存在しなければならない」(本書より) [出版社より] 著 者|アーサー・C・ダントー 訳 者|佐藤一進 出版社|人文書院 定 価|2,600円+税 判 型|四六判/並製 頁 数|240 ISBN|9784409100400 初 版|2018年11月 Contents 緒言 第1章 うつつの夢 第2章 修復と意味 第3章 哲学とアートにおける身体 第4章 抗争の終焉――絵画と写真の間のパラゴーネ 第5章 カントとアート作品 第6章 美学の未来 附論 アートの終焉(一九八四年) 謝辞 訳者あとがき 文献一覧 人名索引 Author アーサー・C・ダントー Arthur Coleman Danto 1924‐2013年。哲学者、美術批評家。コロンビア大学名誉教授。邦訳に、『言語と哲学の世界』(薗田勲訳、社会思想社、1980年)、『物語としての歴史 歴史の分析哲学』(河本英夫訳、国文社、1989年)、『哲学者としてのニーチェ』(眞田収一郎訳、風濤社、2014年)、『芸術の終焉のあと 現代芸術と歴史の境界』(山田忠彰監訳、三元社、2017年)、『ありふれたものの変容 芸術の哲学』(松尾大訳、慶應義塾大学出版会、2017年)、「『芸術界』ふたたび」(高階絵里加訳、『すばる』1994年12月)、「芸術の終焉の後の芸術」(高階秀爾訳、『中央公論』1995年4月)、「アートワールド」(西村清和編・監訳『分析美学基本論文集』勁草書房、2015年)などがある。 Translator 佐藤 一進 Takamichi Sato 1978年岩手県生まれ。京都大学経済学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。京都精華大学芸術学部専任講師、同准教授を経て、現在、神戸学院大学法学部准教授。政治思想史専攻。単著に『保守のアポリアを超えて 共和主義の精神とその変奏』(NTT出版、2014年)、共著に『共和主義ルネサンス』(NTT出版、2007年)、『ナショナリズムの政治学』(ナカニシヤ出版、2009年)、『現代社会論のキーワード』(ナカニシヤ出版、2009年)などがある。
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陶酔とテクノロジーの美学 ドイツ文化の諸相1900―1933[OUTLET]
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新たな技術・メディアが驚異的な発展を遂げて人々に圧倒的な支持を得た19世紀末から20世紀初頭に、冷めた合理性に裏打ちされる新たな技術と祝祭性を伴う熱狂の狭間で揺れ動いたドイツ文化の諸相を、当時の社会思想や社会状況も織り交ぜながらあぶり出す。 [出版社より] 編著者|鍛治哲郎・竹峰義和 出版社|青弓社 定 価|4,000円+税 判 型|A5判/並製 頁 数|288 ISBN|978-4-7872-7349-9 初 版|2014年6月 Contents 陶酔の美学、あるいは個の解消とテクノロジーのなかの陶酔――序にかえて 鍛治哲郎 第1部 陶酔のテクノロジー 第1章 機械の陶酔のなかで ベルント・シュティーグラー[柳橋大輔訳] 1 坩堝のなかで 2 速度とリズム 3 より高次の秩序 4 新しい技術的人間とファシズム的大衆 第2章 「おまえはカリガリにならなければならない!」――ヴァイマール映画における陶酔と越境の契機をめぐる一考察 竹峰義和 1 カリグラフィーとしてのカリガリ 2 アトラクションとしてのカリガリ 3 越境するカリガリ 第3章 陶酔と制御――アルフレート・デーブリーン『山と海と巨人』における技術 ガブリエーレ・シュトゥンプ[長谷川晴生訳] 第2部 陶酔のディスクール 第4章 海の誘惑 身体の夢――G・ベンとS・フェレンツィにおける生物学と陶酔 鍛治哲郎 1 消滅と一体化――ホーフマンスタール 2 海と陶酔――ベン 3 海と母胎――フェレンツィ 4 海の干拓――フロイト 第5章 エルンスト・ブロッホ『この時代の遺産』における陶酔の弁証法 森田 團 1 『この時代の遺産』における陶酔 2 生きられた瞬間の暗闇 3 暗闇の絶対的な先行性 4 陶酔の弁証法 第6章 陶酔のなかで共に生きる――ベンヤミンの麻薬実験と恍惚の集団性 カイ・ファン・アイケルス[羽根礼華訳] 1 ベンヤミンvs.クラーゲス――社会的陶酔と非社会的陶酔 2 いかにして陶酔を組織するか 3 私たちの弱さの政治的作用 第7章 陶酔と無調――奏でられ、歌われ、酔われる四重奏に向けて 長木誠司 1 歌われる四重奏――ベルクの『抒情組曲』 2 ほかの遊星の陶酔――シェーンベルクの『弦楽四重奏曲第二番』 第3部 陶酔の演出 第8章 第一次世界大戦中のパウル・ベッカーの思想と「世界観音楽」の終焉 岡田暁生 1 世紀転換期と巨大管弦楽の夢 2 第一次世界大戦と世界観音楽の破綻 3 パウル・ベッカー『ドイツの音楽生活』と音楽の「新しい公共性」 4 共同体的熱狂への幻滅 第9章 アビ・ヴァールブルクにおける陶酔とメランコリーの認識法――ニンフとアトラスをめぐる「ムネモシュネ・アトラス」拡張の試み 田中 純 1 「ニンフ=グラディーヴァ」の系譜 2 「アトラス=せむし」の系譜 第10章 技術と陶酔、演劇と祝祭――マックス・ラインハルトの場合 高橋宗五 第11章 方法としての陶酔、材料としての人間、芸術家としての総統――ヴァイマール共和国における国家社会主義と「政治の美学化」 ヘルマン・ゴチェフスキ 1 指導者原理と国家社会主義の魅力 2 方法としての陶酔 3 材料としての人間、芸術家としての総統 インターフェースとしての陶酔体験――むすびにかえて 竹峰義和 Editor 鍛治 哲郎 Tetsuro Kaji 1950年生まれ。鎌倉女子大学教授。専攻はドイツ文学。著書に『ツェラーン 言葉の身ぶりと記憶』(鳥影社)、共著に『批評理論』(講談社)、共訳書に『グリム ドイツ伝説集』上・下(人文書院)など。 竹峰 義和 Yoshikazu Takemine 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専攻は表象文化論、ドイツ思想史、映像メディア論。著書に『アドルノ、複製技術へのまなざし』(青弓社)、共著に『美のポリティクス』(御茶の水書房)、共訳書にヴィンフリート・メニングハウス『吐き気』(法政大学出版局)など。